メディアがもたらす「報道ストレス」と「共感被害」

報道は、誰かの命綱になることもあれば、誰かを脅かす凶器にもなる。

2017年1月。ラジオ番組「荻上チキ・Session-22」で、「薬物報道ガイドライン」を作成した。薬物依存症当事者、自助グループ、家族会、医師、支援者、リスナー、メディア関係者とで作り上げたこのガイドラインが掲げた問題意識は、少しずつ広がっているようにも思える。

このガイドラインを作成するとき、意識していたことの一つが、「共感被害」ともいうべき現象だった。薬物報道が行われ、著名人がメディア上でバッシングを受けていると、似たような境遇にある依存症からの回復者たちや支援者たちが、次々と体調を崩していくのである。

「チキちゃん、しんどいよ」「みんな、ひどい、つらいって言ってる」「テレビ消しなって、声かけあってる」

薬物報道が起きるたびに、こうしたメッセージが携帯に届く。

薬物依存当事者への偏見丸出しの報道をみるたびに、自分が叩かれているように感じてしまう人。わざわざイメージカットなどで白い粉のアップ画面や注射針を映し、さらに「全てを忘れられる」「気持ちよくてスッキリする」などの薬効を丁寧に説明する番組に触れたため、再使用の欲求が刺激されてしまった人。報道をきっかけに、ウェブ上に溢れるバッシングに触れることで、社会的発信の心をくじかれそうになる人。

反応は様々だが、相応のダメージが、薬物依存問題に取り組んでいる人々の間に蓄積していく。

報道は、時に心理的ダメージをもたらすストレッサーにもなる。中でも深刻な「報道ストレス」には、例えば次のようなタイプがあると考えられる。

(1)戦争報道、災害報道のように、ストレスフルな映像に触れ続けることで、症状が出ること(情報ストレス)

(2)報道上で直接叩かれたり、メディアに追い回されることで、症状が出ること(バッシング被害)

(3)メディアで、似た属性を持つ者など、共感を抱く対象が叩かれることで、症状が出ること(共感被害)

※これとは別に、取材に行ったジャーナリストがストレスを受ける(惨事ストレス)という現実もあるが、今回の話とはずれるので割愛。気になる人は「ジャーナリストの惨事ストレス」で検索してほしい

報道が「きっかけ」で気が沈むという人もいるが、報道が「追い打ち」になるという人もいる。僕もうつ病なので、(1)(2)(3)いずれのパターンでも、希死念慮や自傷行為が加速したりする。掛かりつけの精神科医やセラピストに、「こういう報道に触れて辛い」となんども口にしたことだって何度もある。

(3)の場合は、直接、自分が叩かれるわけではない。それでも、例えばピエール瀧氏が連日、テレビで叩かれている時は、本当にしんどい気持ちになった。様々なアイドルやスタアのファンの方は、もっと沈痛な思いになっていただろうか。同様に、依存症に関わる人たちも、報道によって大きくダメージを食らうことがある。

「●●バッシング」をメディアで見かけた人も、似たような気持ちになったことがあるのではないか。そうした時の感覚を、ここでは「共感被害」と呼んでいる。「共感被害」は仮の造語だが、「COMHBO地域精神保健福祉機構」の討議で提案したところ、同意を示す反応が多かったので、ここでも暫定的に使う。既存の言葉でより適切な言葉があれば教えてほしい。

「共感被害」は、これまで度々、精神医療に関わる分野についての報道が加熱した時、当事者たちの間で起こってきた事実だ。

2002年8月 に発表された、「大阪池田小事件による報道被害に関する調査」(財団法人全国精神障害者家族会連合会)では、「池田小事件」をきっかけに、「措置入院」「精神医療」に関する偏見と攻撃が報道上で繰り返された結果、多くの当事者や家族が、具体的な「共感被害」にあったことが示された。

具体的には、症状の悪化・再発、睡眠障害、外出不安、人間関係の悪化、再入院、自殺など、様々な影響が見られている。

共感被害1

共感被害2

報道のあり方によって、社会にスティグマが広がるだけではない。共感被害によって、具体的に当事者らの心理的症状を悪化もさせるのである。

こうした調査を知っていたため、「池田小事件の教訓」と聞くと、真っ先に共感被害のことが頭をよぎる。しかし、全てのメディアが自分ごととして捉えている訳ではない。例えば相模原連続殺傷事件では、産経新聞などが、わざわざ池田小事件を引き合いに出した上で、「措置入院」こそが論点であるという社説を展開していた。「優生思想」が問題視されていた当時においてなお、このような論調は、ウェブ上で少なからず見かけた。


国外ではどうか。例えばアメリカでも、銃乱射事件などが発生した際に、特定の疾患などに紐づけて語られることがしばしば起こる。2019年にはトランプ大統領が、「銃ではなく、精神疾患と憎しみが引き金を引いた」と発言したことが、大きな批判(と一部からの強い賛同)を呼んだ。

これに対し、"Columbia journalism review"が、提言を含む反論を発表。根拠なき報道がスティグマを強化し、精神患者を「モンスター」扱いすることで、医療から遠ざけてしまう指摘。冷静な報道を求めた。

また、APA(アメリカ心理学会)などが抗議声明を発表。偏見の助長を懸念すると共に、精神医療のリソース提供を訴えている。

https://www.apa.org/news/press/releases/2019/08/statement-shootings

こうした声明の中でも、しばしば、報道から当事者などが精神的苦痛を受けることなどが触れられている。「共感被害」は、日本国内の問題ではないのだと思わされる。いや、精神医療の分野の問題だけではない。人種、性別、趣味、年齢、地域など。自分が関わる分野についての報道が誤っていて、なおかつ偏見を含んでいた場合、自分が攻撃されているようにも感じ、またそれを真に受けた人々が類似の攻撃をしてくることを身構えなくてはいけなかったという人は、少なくないように思う。

こうした声明などは、メディア関係者にとっては重要な「教科書」にもなる。全ての報道は、「当事者」にも見られ、影響を与える。どうせ影響力を持つなら、命綱を作りたいと思う報道人だって、少なくないはずだ。

※11月25日追記:「報道鬱」表記を「報道ストレス」へと変更しました。

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