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アムンセンとスコット。いま、スコットの凄さを実感している

人類初の南極点到達をノルウェーの冒険家アムンセンと争って、1ヶ月遅れで栄冠を奪われたイギリスの海軍大佐ロバート・スコット。

アムンセンとスコットの、人類史に残る南極点初到達レースは永遠に語られる逸話であるが、言ってみればスコットは敗軍の将。

ノルウェーが産んだ世界史に残る大冒険家アムンセンは南極点人類初到達を軽々と達成し、無事に帰還した一方で、スコット隊は南極点からの帰路に様々な不運も重なり、5名が全滅。

勝ったアムンセン、敗れて南極に散ったスコットという対比が物語をさらにドラマチックにする。

アムンセンは確かに人類史に残るとんでもない冒険家だが、彼は言ってみればプライベートエクスプローラー。どこかの組織に所属し、何かの使命を帯びて旅立ったわけではなく、個人的な野心や功名心でのし上がってきた。

一方のスコットは、英国海軍大佐として、19世紀から続く英国極地探検史の潮流のど真ん中にいた人物だった。

ジョン・バロウ、ジェームズ・クラーク・ロス、ウィリアム・エドワード・パリー、ジョン・フランクリン、ロバート・マクルアー、綺羅星のごとく、極地探検史に名を残す、英国海軍の軍人たち。

ナポレオンを打倒し、拡大しながら用途を失った海軍力の使い道として、長らく忘れ去られていた極地探検に英国海軍が目を向け始めたのが、19世紀初め。

以来、カナダ北部の北西航路開拓をはじめとして、未知の南北両極地の姿を明らかにするため、多くの犠牲も払ってきた。

悲願であった人類初の「北極点」発見を、1909年にアメリカの探検家ロバート・ピアリーに先を越され、英国海軍はメンツを潰された。

では、もう一つの極点である南極点にこそ、英国旗を翻すのだと使命を帯びたのが、ロバート・スコットだった。

それ以前、英国海軍、英王立地理学協会は度重なる南極点探検隊を派遣し、1909年にはアーネスト・シャクルトン(この時は英国政府の遠征隊ではなく、シャクルトンは自費を工面して向かった)が南緯88度まで迫っていた。

人類初の南極点到達まであと一歩。最後のピースを埋め、その偉業を完成させるのは、英国海軍の秘密兵器、リーサルウエポンのロバート・スコットしかいない!という英国中の期待を背負って、1910年スコットは旅立った。

南極に向かう途中で立ち寄ったメルボルンで、スコットは一つの電報を受け取る。それは、ノルウェーのアムンセンが南極を目指して出発した、というもの。元々、アムンセンは北極点初到達を目指して準備をしていた。しかし、前年にアメリカのピアリーが北極点に人類初到達したことを知ると、すぐに計画を変更し、ならばと南極点に狙いを変えてきた。

アムンセンはそれ以前、北西航路の初通過などで名を挙げた、目下売り出し真っ最中のイケイケ冒険家だった。

これは、南極点初到達を目指したレースの様相になると悟ったスコットは、負けるわけにはいかなかった。

アムンセンとは背負うものが違いすぎる。いや、真のジェントルマンであるスコットには、そんな俗っぽい思いはなかっただろうが、状況を考えれば、アムンセンとは背景が違いすぎた。

しかし、結果は敗北。

英国海軍の威信をかけた極地探検史において、北極点初到達をアメリカに先を越され、南極点までもノルウェーに敗れることになった。

スコット隊5名は、必死の思いで辿り着いた南極点で、アムンセンが残したテントとノルウェー国旗を見た。

テントの中には、後からやってくるであろうスコットに対する手紙と予備の装備などが残されていた。完全なる敗北。

失意の中で、帰路についたスコットたちに度重なる不運が襲う。南極点から1000km以上を戻り、仲間達の待つ拠点基地まで残り200km。食糧などを貯蔵した補給地まであと20kmを切った地点で、激しい地吹雪に身動きを封じられた。

脳震盪で身動きが取れなくなっていた仲間が衰弱死。死を悟ったもう一人は、自らテントを出て地吹雪の中に消えた。

最後の力を振り絞って、スコットが日誌に記した記述が圧倒的な迫力を持っている。

8ヶ月後、拠点基地の英国南極探検隊員たちは、本隊スコットら5名の捜索に向かい、テントの中のスコットたちの遺体を発見する。日誌や装備も全て回収されたのだが、彼らが自ら引いていたソリの中には、途中のベアドモア氷河で採取された岩石の試料35ポンド(約16kg)が残されていた。

肉体的にも精神的にも極まった状況の中でも、科学的な試料である岩石を捨てることなく、最後まで運んできたというのは何を物語るか。

きっと、自分たちが死んだとしても、捜索隊は我々を発見するだろう。そして、自分たちが命をかけて採取してきた岩石は捜索隊の手によって、本国に持ち帰られるだろう、そんな意思を感じる。その意思は、狂気的ですらある。

北極でエスキモーから犬ぞりを学び、極地での最適な行動様式を現地から学ぶ姿勢のあったアムンセン。一方で、南極に雪上車や馬ソリでのぞみ、ことごとく上手くいかなかったスコットは、科学技術や馬という貴族的な行動様式を尊重し、自然の前に屈した愚か者というレッテルが貼られる。

探検の歴史とは、世界の植民地化の歴史でもある。栄光の裏には、負の側面も同時にある。

しかし、その歴史の中で偶然、南極点初到達という歴史を担わざるを得なくなったスコットの姿勢は気高く、最後まで一切の言い訳も、言い逃れもしない。そして、科学を捨てず、自分たちの命は後世に必ず引き継がれていくはずだという、社会への信頼に満ちている。

ここからいま、何を学ぶか。運命に逆らわず、果敢に挑んで、南極に散ったスコットの姿から感じることは多い。

南極点のスコット隊
スコットが最後に記した一文

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