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グリーンランドに伝わる物語を追う旅へ

2025年、私は6年ぶりとなる北極への旅に出る。

向かう先は、グリーンランド。最北の集落であるシオラパルクを拠点に、一人で400kmほどを歩く予定だ。

これまで、18回の北極行を経験してきた。その中では、北極点への挑戦や、カナダからグリーンランドへのトラバースなど、明確な到達地点があった。

今回の旅は、大きなテーマがある。それは、極北のエスキモーに伝わる一つの物語を追い、その舞台を見て作品としてまとめること。

話しは2016年に遡る。その年、私はカナダ最北の集落グリスフィヨルドから、グリーンランド最北のシオラパルクまで、国境を跨いで二つの村を繋ぐルートの単独踏破に挑んだ。

十分な経験を積んだという思いを持ってこのルートの踏破に挑み、48日をかけて無事にシオラパルクに到着することができた。

到着したシオラパルクで過ごしている間に、私は一つの物語を聞いた。
それは、シオラパルクからさらに北上したところにある、アノーイトー岬という場所にまつわる、エスキモーの物語だった。
その話がどんな物語だったか、以下のnoteの記事に書いているので、ご一読いただいてから続きをどうぞ。

「岩になった婆さん」と「シロクマの息子」の物語。
この話には、何か大きなメッセージが込められているように感じた。

きっと、親から子へと、狩猟の最中に岩に脂を塗るという行為を通して「この岩はね、ずっと昔に…」という形で語り継がれてきたはずだ。
しかし、それがエスキモーを取り巻く社会状況や環境変化などに伴って、途絶えようとしている。

そう感じていたところ、次の機会が訪れた。

昨年、100年前に活躍したデンマーク人探検家、クヌート・ラスムッセンの記録を調べている時に、ある記述を発見した。

ラスムッセンは、グリーンランドで生まれ、血縁の4分の1にエスキモーのルーツを持つ探検家。人類学者としても有名で、グリーンランドからカナダ、アラスカにかけて広く犬ぞりで探検を行い、各地の習俗や言語、民話などを収集した。

邦訳されたラスムッセンの本が過去を遡っても一冊も存在しないので、日本ではあまり知られていないが、グリーンランドでは知らない人がいないし、エスキモーの人類学や極地探検の世界では知らない人がいない。

グリーンランドからカナダ北部を広く探検してまとめた著書「GREENLAND BY THE POLAR SEA」(1921年)の中に、グリーンランド極北部で聞いたという一つの民話が収められていた。

それは、ICE-BEAR, THE WIDOW'S SONという章題がついた物語。

By a freak of fate Anoritoq possesses a name which means "The Windswept One."
This little camp, which has become world-famous as the winter quarters of Dr. Cook's pretended Polar Expedition, is, however, the only place in the neighbourhood of Etah which is always dead calm.
Anoritoq's name is derived from an old tale about a certain Anoritoq who reared a bear.

GREENLAND BY THE POLAR SEA 1921

という書き出しで始まる話。自分で訳すのが大変なのでGoogle翻訳がベースだが、以下に訳したものを併記する。

不思議な運命により、アノリトクは「風に吹かれた者」という意味の名前を持っている。この小さなキャンプは、クック博士の偽りの極地探検隊の冬季宿営地として世界的に有名になったが、エタ近郊で常に静寂に包まれている唯一の場所。 アノリトクの名前は、クマを育てたアノリトクという人物に関する古い物語に由来している。

Anoritoqという場所での物語。その地にかつて強盗や殺人を働いた男がいた。他の村人が獲ったアザラシを奪い、時に殺人まで犯す彼の所業に困った人々は、ある日彼を殺してしまった。
男の母親はAnoritoqと呼ばれていた。息子が殺されたことを母親が知ると、母親は村人に頼んだ。

" When next you catch a pregnant bear, then give to me the embryo that it may be my child, " the woman begged of them.
Then one day, when the hunters had caught a pregnant bear, they brought the embryo home to the woman, and she reared it with blubber from her lamp, and soon it was so big it could catch seals for her.
The bear was called Anoritoq's son.

GREENLAND BY THE POLAR SEA 1921

「次に妊娠した熊を捕まえたら、胎児を私にください。私の子供になるかもしれませんから」と女性は彼らに懇願した。 そしてある日、猟師たちが妊娠した熊を捕まえると、胎児を女性の家に持ち帰った。彼女はランプの脂でそれを育てると、すぐにそれはとても大きくなり、彼女のためにアザラシを捕まえるようになった。 その熊はアノリトクの息子と呼ばれた。

冬になり、アザラシを獲るのが難しくなると、熊の息子は村人の貯蔵庫からアザラシを盗み出してしまう。息子が殺されることを心配したAnoritoqは、息子の毛に煤を塗り、自分の息子だとわかるようにした。

She now told the people in her camp to drive out and ask
in other places whether anyone had killed a bear with soot on one side ; and before long sledges returned and told her that a bear like this had been killed in one of the neighbouring camps.
The woman sorrowed greatly when she knew that her foster-son was dead. Weeping, she left her house and sat down on the headland outside the camp. As she looked across the endless ice which had previously been the bear's hunting-ground, she sang

GREENLAND BY THE POLAR SEA 1921

彼女は今、キャンプの人々に、外に出かけて、他の場所で、煤のついた熊を殺した人がいないか尋ねるように言った。すると、すぐにそりが戻ってきて、近隣のキャンプでこのような熊が殺されたと彼女に伝えた。 息子が死んだと知って、女性はひどく悲しんだ。泣きながら、彼女は家を出て、キャンプの外の岬に座った。以前は熊の狩り場だった果てしない氷を見渡しながら、彼女は歌う。

Days and nights elapsed, and the woman would take no nourishment.
Sobbing, she sang her song until the tears stiffened on her cheeks as her body turned to stone.
One still sees her lifelike form on the headland by the camp.
Her mouth is covered with a layer of hardened blubber, for they say that it brings luck to the bear-hunter if, before he goes out, he tries to feed the bear- mother with blubber.
And in the quiet winter nights, when the northern light sends its ghostly rays across the heavens, one sees old hunters going towards the mountain under some plausible pretext.
The next day fresh tracks in the snow show that the bear-mother has had visitors, and her face glistens with blubber.

GREENLAND BY THE POLAR SEA 1921

何日も何夜も過ぎ、女は食べ物を口にしなかった。
泣きながら、女は頬に涙がこぼれ、体が石に変わるまで歌を歌い続けた。
キャンプの近くの岬で、今も生きているような女の姿が目に浮かぶ。
口は固まった脂肪の層で覆われている。熊狩りに出かける前に熊の母に脂肪を与えようとすると幸運が訪れると言われているからだ。そして、北極光が空に幽霊のような光線を送る静かな冬の夜、老いたハンターたちがもっともらしい口実で山に向かうのが見える。翌日、雪に残った新しい足跡が熊の母に訪問者がいたことを示しており、顔は脂肪で光っている。

抜粋だが、このような物語だった。
私が2016年にシオラパルクで聞いたものとは異なる部分もあるが、シロクマを養子にしたこと、炭を塗って目立つようにしたこと、殺されて帰りを待つうちに岩になったこと、そして、その岩に今でも脂を塗ってやること。話の大事な筋のどれもが一致している。

ラスムッセンの記録では、その場所がAnoritoqと書かれている。
私は「アノーイトー」と聞いたのだが、実はこのふたつは同じ場所のことを言っている。
元々、エスキモーは文字を持っていないので、グリーンランドではアルファベットを用いてエスキモー語を語感に合わせて表記する。エスキモー語をアルファベットで表記したときの「r」というのは、フランス語の「r」のように、喉を鳴らすような発音をする。
そうなると、Anoritoqは発音として「アノriトック」となるが、rで喉を鳴らして、母音の「i」だけ残る。そして、エスキモー語で語尾のtoqは、最後の「q」はほとんど発音せずに「トッ」で終わる。日本語で「ありがとう」が発音的には「ありがとぉ」と「う」を言わずに母音の「お」で終わるような感じだ。
そうなると、Anoritoqは、発音的には「アノィトッ」になる。実際には「ノ」と「ィ」の間で喉を鳴らすような音が出る。
つまり、Anoritoqとは「アノーイトー」のことであり、私が聞いた全てと符合するのだ。

ラスムッセンの記録を読んだ時、鳥肌が立った。

私が聞いた物語を、100年前にもラスムッセンが聞き、そして書き残していた。少なくとも、100年前にはこの物語が存在しており、岩に脂を塗りながら、物語が語り継がれているということが、リアリティをもって私の胸に迫ってきた。

なおさら、その連綿と繋がってきたものが途絶えようとしていることが、強烈に感じられてきたのだ。

この物語と、繋がりが途絶えようとしている事実には、何か文明批評的なメッセージを感じてしまう。
グリーンランドの一つの言い伝えが消え去ったところで、私たちの生活には何の影響もないし、問題もないだろう。
しかし、同じような現象は世界中で起きているはずだ。

私たちは、過去の全ての記憶を抱えては前進することはできない。適度に忘れ、適度に置き去りにしなければ、全てを抱えていては重すぎる。

何かを置き去りにしていくとは、それは無に帰すことではない。
私たちが立つ大地の地層は見えないが、足元には確かに地球の歴史や先人たちの歴史が地層になって存在している。
グリーンランドの伝承も、時代とともに忘れられていくのは必然だとしても、一つの地層として大地に生きる私たちの足元を強固にしてくれるはずだ。

シオラパルクは年々人口が減っている。2004年に初めて私が訪れた際には80人ほどが住んでいたが、今では40人ほど。近い将来、廃村になってしまうかもしれない。

長い間、狩猟主体で生活してきたエスキモーたちも貨幣経済の中に生きるようになり、経済的には非効率な狩猟を行わなくなっている。

語り継がれてきた物語が途絶え、消え去ろうとしている文化の象徴として、この「岩になった婆さん」のその実物の岩を見に行こうと思っている。

そして、この物語を軸として、新たな絵本作品を作りたいと考えている。

シオラパルクから、アノーイトー岬へ。

一人でその地を歩き、婆さんが息子を思って「岩」になったという、その本物の岩を見てこようと思う。

もう長い間、誰も訪れていないその岩に、再び脂を塗ってやろう。

Anoritoqは、きっといまでも息子を思って歌を唄っているはずだから。

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