北極冒険家が教える「準備と実行」 第4回 ルート選択について その2
ポリニアの危険性
前回、ルート上にあるポリニアについて少々話した。
ポリニアの危険な点としては、場所によって見た目では存在を捉えられないものがあるということが挙げられる。
北極において、海の表面で凍結した海氷の上を歩くとき、多くの場合その氷の上をさらに雪が覆っている。
それが、場所によっては地形の影響などを受けて、春先に表面の雪が溶ける前に氷から先に削られるように溶けていく場合がある。潮流の早い海峡、切り立った岩壁の流れの早い場所、小さな島が寄り集まった群島内、大きな川の河口部などで春先に起きる現象だ。
上の模式図に示した様に、落とし穴の様な状態になる。これが、まだほんのり薄い氷が残っていたりすれば、海水も上がってこないために表面の雪には何の兆候も現れず、見た目は全く平坦な雪面でも、いざその場所に乗ると落水する、ということが起きる。ただ、落水しただけでは人間の体は特に衣類を着込んでいれば浮力があるので、すぐに這い上がることができる。しかし、この様な場所が危険である最大の理由は、氷の下の強い流れにある。この流れは、落ちた人間を一気に氷の下に引きずり込むほどの威力を持っている。仮にこの流れに捕まって、氷の下に引き込まれれば、助かる可能性はゼロだ。
私も以前、北極点の遠征準備の際に、この様なポリニアでドライスーツのトレーニングを行なった。ドライスーツとは、北極海で割れた海を泳いで通過するための特殊なスーツのこと。潮位の干満差が激しい箇所で、氷の下に強い流れがある。浮力を持つドライスーツを着て、自分の体にロープを結んで援助者に確保してもらいながら水に入ると、氷の下に引きずり込まれそうな強い流れを感じ、必死に氷の淵にしがみついた覚えがある。
↑ドライスーツのトレーニング。マイナス30度の中、泳ぐ訓練。
ポリニアにはこの様な危険もあるので、十分な注意が必要になる。
ルート選択
前回話せなかった、2016年のルートの解説を進める。
スタートのグリスフィヨルドを出ると、40kmほど北上して上陸する。川に沿って登って行くと、標高1000mほどのところに氷冠(Ice Cap)がある。氷河の塊のことだ。その氷冠から谷を流れ下る氷河を登り、その氷河を超えると反対側の川を北に向かって下っていく。下りきった先に、グリスフィヨルドのイヌイットたちが狩猟の際に使う小屋(Eskimo'sHut)がある。氷河を超えて小屋へ行くルートは、地元のイヌイットたちが使うルートであり、これは出発前にグリスフィヨルドで詳しく聞いておく必要がある。
この狩猟小屋から先のルート選択を、しばらく悩んだ。3通りの選択があり、東のベンダムフィヨルド、中央のトロルドフィヨルド、西のユーレカ海峡だ。グリスフィヨルドのイヌイットに話を聞くと、ベンダムフィヨルドを彼らは通ることが多いらしい。しかし、地図を見ると上陸した後にかなり標高を上げる。彼らは今ではスノーモービルで狩猟に出るので、登り坂も苦にならないが、人力の私の場合は極力登りたくない。ずっと平坦なのは、西のユーレカ海峡だが、やや遠回りとなる。中央のトロルドフィヨルドから上陸した地点を地図で見ると、比較的標高も低く、遠回りにもならない。また、地元のイヌイットに聞くとここはあまり行くことがないので、どうなっているか分からない、と言う。確実に行けると分かっている場所では面白くないので、トロルドフィヨルドを行くことに決めた。
第1の核心部。スベルドラップパス
トロルドフィヨルドを抜け、その先に待っているのが、このルート全体を通しての第1の核心部であるスベルドラップパス(Sverdlup Pass)だ。エルズミア島を東西につなぐ細い谷で、谷の南北には大きな氷床が控えている。かなり深く、狭い谷になっている。ここを通過した人は数少ない。私の友人のカナダ人冒険家が、20年以上前にスベルドラップパスを通っているため、話を聞いて当時の写真を見せてもらった。また、グリスフィヨルドではスベルドラップパスに行ったことのあるイヌイットからも話をきいた。途中に凍った滝があったり、狭くスノーモービル一台通せないほどの隘路があったため、通過できなかったと言う。それが10年以上前のこと。今ではどうなっているかは、行ってみなくては分からない。
このスベルドラップパスがルート全体の中央部にあたる。仮にスベルドラップパスを通り抜けることができなかった時には、グリスフィヨルドへ引き返す。また、何か深刻な問題が起きた時には、気象観測所のユーレカ(Eureka)を目指すという選択肢もある。この谷を何日で抜けられるかが、大きなポイントの一つ目となる。
↑実際に私が行った時のスベルドラップパス。深い雪、谷を埋める雪、遮る氷の滝、それらが連続して現れる。ただ、事前にはこれを知らない。想像だけだ。
スベルドラップパスを抜けると、その先にポリニア(Polynia)のある海峡が待っている。緑の破線ルートを行くと、スミス海峡(Smith Sound)に発生しているオープンウォーターを回避するために、大きく北上して回り込む必要がある。また、ポリニアの東側、半島を北に回り込む岬の周辺の海氷も、小さなポリニアが発生していそうな怪しさを感じていたため、スベルドラップパスを抜けた後に細い半島を越えて北の湾に移ることにした。しかし、この細長い半島は、かつて氷河で東西に削られたフィヨルド地形のために、かなり切り立っている。25万分の1の縮尺の地図で見る限りは、越えられそうな場所を1箇所だけ見つけたが、果たして本当に越えられるかは、これも行ってみなければ分からない。こんなところを越えた人はいないはずだからだ。
最大の核心部。スミス海峡
そして、全ルートを通じての最大の核心部となるのが、スミス海峡(Smith Sound)だ。ここは、北極海から南下してくる強い海流と、南のバフィン湾(Baffin Bay)から北上してくる海流がぶつかる箇所であり、二つの海流の作用で橋がかかるように、アーチ状に結氷する。このような海氷と海水の境目のことをフローエッジ(Floe edge)と呼ぶ。年によって綺麗に凍らないことも多い。また、春先にこの力の均衡が崩れると、北側の海氷が南に向けて一気に崩壊して流出する。
衛星写真で見ると、真っ白真っ平らに凍っているように見えるが、北からの海流は北極海の群氷を大量に運んできてここで詰まるように凍結するために、大乱氷帯となる。
この海峡をどうやって徒歩で越えていくかが問題だった。
昔からグリーンランド側のイヌイットはスミス海峡を越えて狩猟に出たりしているが、彼らは犬ぞりという機動力と、海峡の東西それぞれに拠点を持ち、いつでも引き返すことができる態勢で狩猟に出ている。また、イヌイット達がスミス海峡を犬ぞりで越える際には、フローエッジの際に張る薄く平滑な新氷帯を一気に駆け抜けることで渡っていた。
1909年にロバート・ピアリーが北極点に初到達した際に北極海で見たという幻の島「クロッカーランド」を探査するために、ピアリー隊に参加していたアメリカ人探検家ドナルド・マクミランが北極海に出るために、犬ぞりでその新氷帯を走って通過しているような記述もある。ただそれは、犬ぞりという圧倒的な速度を確保できる機動力があってこそ通過できる新氷帯である。その新氷は、ちょっとした風の作用や潮位の変化ですぐに破壊され、南に流出するために、状況の良い時に「駆け抜けて」いく必要がある。しかし、徒歩では確実に数日が必要となるために、フローエッジの新氷帯を行くことはリスクが高い。そのため、さらに北に進路を取り、より海氷は安定しつつも、北極海からのパックアイス(群氷)がめちゃくちゃに詰まった箇所に進路をとる必要があった。
で、その乱氷帯をどう抜けるか?
遠征前に衛星写真とグーグルアースを上手く重ねて自分なりの「海氷地図」を作り、その画像を元に乱氷の迷路を抜けていくようなルートファインディングを行う。
↑注釈や、スケール感を理解する東京の地図は元々入れていない。
フローエッジの北側に、白く写っているのが詰まっている群氷だ。正直言って、めちゃくちゃである。
↑実際のスミス海峡。このような乱氷が延々続く。
このルートファインディングが、針の穴を通すような極めてピンポイントのルートを狙う必要があり、なかなか難しい。乱氷帯の中にいると、壁のような氷が視界を遮って先が全く見えない。もし仮に、ここでトラブルに合えばグリスフィヨルドへ戻るための物資もなく、進むこともできず、大乱氷帯の中では救助など不可能なため、致命的な状況に陥る。
グリーンランド上陸
スミス海峡を抜け、グリーンランドに上陸すると、グリーンランドのイヌイットたちが使う狩猟小屋(Aunnatok)がある。そこから上陸し、川を上っていくと、巨大なグリーンランド氷床にぶつかる。氷床を登り、標高1200mほどまで上がって南下していくと、シオラパルクへと降りていくメーハン氷河を下る。
このメーハン氷河は、私自身2004年に犬ぞりでシオラパルクから南東のアンマサリクまで2000km内陸縦断した時に、登ったことがある。しかしそれも12年も前のことで、登った経験だけで降ったことはない。かなり急勾配の氷河で、クレバス帯も多い。正しい進路で降りる必要があるため、綿密なルート設定が必要だ。
2011年に一緒にカナダ北極圏を歩いた友人の角幡唯介が近年、シオラパルクに通ってこの辺りの状況に明るいため、彼に会ってメーハン氷河の状況について教えてもらった。
脳内シュミレーション
大まかにではあるが、このようにしてルート全体を調査し、それを元に頭の中でシュミレーションを行う。頭の中で遠征を何度も行うのだ。グリスフィヨルド出発時のソリの重量を考え、その重量を引きながら、最初の島越えを行う。その時のソリの重量、自分の体の状態、気温、雪質、日照時間、あらゆる状況を想像して、1日で何km進むかを想像する。これを、何段階にも分けて、あらゆる局面を想像しながら何度も脳内シュミレーションを行う。
無補給での極地の徒歩遠征では、大まかに言うと「全体の前半の日程で3分の1の距離を進み、後半の日程で3分の2の距離を進む」という、私が導き出したセオリーがある。つまり、日程の前半と後半では、進行距離が2倍に迫ってくる、ということだ。これは、数段階を経てこのような傾向になっていくため、初日と最終日では時に3倍程度の開きにもなる。
この脳内シュミレーションを行うには、その場所の環境、その時の自分の身体状況、心理状況、地図から読み取れる地形、予測される海氷、様々なデータを「頭の中で」具体化して考える必要がある。これを行うには、経験が必要になり、経験でしか行うことはできない。仮に教科書のようなものを作ったとしても、それが万人に共通するものではない。
かつて、米ソの超大国はじめ、多くの国で戦略核兵器の開発のための核実験を行っていた。その時代、核実験というと、実際に核反応を起こし、爆発させることでデータを得ていた。しかし、最近では先進国で地下核実験を行なったという話を聞いたことがない。やっているのは、北朝鮮やパキスタンなどだ。最近アメリカで行われているのは臨界前核実験で、言わばシュミレーションによる核実験だ。つまり、まだ経験の浅い北朝鮮などは実際に爆発させないとデータが取れないのだが、アメリカあたりは過去の膨大なデータの蓄積で、シュミレーションで高い再現度が得られるため、実際に爆発させる必要がない、というのに似ている。経験を重ねていくと、実際に手足を動かさなくても、シュミレーションでの再現度が高まっていく。そのためには、元データとなる経験が絶対的に必要になるわけだ。
このように事前の準備を行っていくと、いざ現場に立った時には「想定外」のことが起きなくなってくる。スベルドラップパスの狭い隘路は確かにキツく、スミス海峡の乱氷はとんでもなく激しいが、それらはすでに事前に頭の中で何度も再現されている。
冒険や探検と言うと、毎日がトラブルの連続で、毎日命からがら綱渡りしているようなイメージを持つかもしれないが、本当の現場では「何も起きず、何も起こさず」に日々が過ぎていく。そして、究極的に目指しているのは、どんなに厳しい遠征であっても、自分の想定通りの確認作業で全てが通り過ぎていくような状態に、自らを高めていくということだ。