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「見るだけ・聞くだけ」が体験を通してガラリと変わってしまうこと
私はフェスにいったりライブにいったりするのが好きで、人生の多くの時間とお金をここに費やしていると思います。
そこで、今まで聞いていたアルバムの曲がパフォーマンスを体験することで全く違う印象になってしまうことがあるということがよくあります。
光景と曲のイメージがリンクする瞬間
例えば、サカナクションの『Ame(B)』というアルバム収録曲があるのですが、これを彼らは雨のふった夜のフェスとかで歌ったりするんですよね。
サカナクションは雨バンドともいわれていて、なぜか野外フェスで彼らの出番になったときに雨が突然振り始めたりするんです。
空からサーっと小雨が、降ってくる。そういう状況でステージが少し明るくなる。
アメ フルヨル キミガ クレタカサ
サスト カゼガ フク ツヨクフク
ヒダリカタニシタタルアメ
Ame(B)の歌詞って、たったのこれだけなんですけど、小雨がふって自分の肩がすこし濡れて、そういう状況のフェスでこの曲が流れるんです。
そして曲調もカッコいい(若者はこれをエモと呼ぶのでしょう)。
だから、ちょっと嫌いな『雨に降られる』という状況も、なんだかわるくないなぁとか思っちゃって、そういう光景と共にこの曲の幻想的なイメージができあがってくるわけです。
他のバンドにはない、雨バンドであり素晴らしい曲をかけるサカナクションだからこそ出せる持ち味なのかもしれません。
体験のもつインパクト
こういう体験ってサカナクションに限らずけっこうあって、特にイメージのついていないアルバム収録曲は、最初からイメージがついてないぶん顕著に『体験を通じて印象が変わっていく』ことを体感できる印象です。
さいきん私が押しているキンプリでも「Freak out」というアルバム収録曲があって、実は初めて聞いたときにあんまり自分が好きな方向性の曲じゃないかもなぁとか思ってしまっていて。
それが後日、彼らの配信ライブをみたことによりかなり印象が変わりました(もちろん良い方向に)。それ以来、今では一番好きな曲になってしまいました。
そう考えると、体験というものを通じてそれまで見方が180度変わってしまって、もうそこから前の自分には戻れないような感覚ってものを、けっこう経験しているなと。
時間軸で体験を紐解いていくと、けっこうそういった面白い事象に気が付きます。
そういうところを分析することで、新しい魅力みたいなものが発見できたりするんじゃないかなぁとか思ったり思わなかったり(いや、思う!)。
プロダクトとユーザー
「プロダクトに関わるユーザーの心理って複雑」という話をよく聞きますが、確かにモノを単純につくっただけという作業のあり方は、もしかしたらどこか限界を感じるポイントがあったりするんじゃないかなとか思います。
モノそのものの良し悪しではなく、体験をまるっと含めたところで、良し悪しが判断されているというイメージです。
定量だけでははかれない、想いとか情景とか感覚とか。
そういうところにもなにか答えがあるんじゃないかなぁ、と感じる体験の振り返りでした。
この辺りとも繋がるかな?
ちょっと考える時間がすくなくて抽象的なことで話がまとまってしまいましたが、今日はこんなところで!
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