8/17 Day17 日本語あれこれ、表現自在
どうも、尾木です。
本日、日記に書けるような有意義なことは何もしていないので言葉の表現方法について色々語ろうと思います。
とりあえず日記を先に。
日記
今日は英単語帳で勉強し、本を読み、YouTubeを眺めて、有意義な自粛ライフを送っていました。
そして夕方にはいつもの如く、散歩へ、イオンへ、書店へ出かけました。
最近日が沈むのが早くなった気がします。18時30分には既に暗くなっていて、夜の虫の音は秋のものとなりつつありました。
遠目からイオンのエスカレーターを降りる親子がなぜか印象に残りました。娘が母の腰に手を回して、若い男女カップルのようにして降りていく姿。それがなんとなく頭の片隅に残っています。カルチャーショックといいますか、そのような習慣は我が家には存在しないので不思議な感覚でした。
知らない親子の仕草を見てこんな分析している時点でなんか気持ち悪いですね。
ともかく、いつもの如くイオンの書店をふらふらしていましたところ、表紙の本の題名にあらゆる工夫がされている事に気がつきました。体言止め、問いかけ、範囲の指定(例えば『30代から始める~』的なやつ)色々表現がありました。
「では、」と「果たして最も人が印象に残る表現は何だろうか?」
それはお洒落な言い回し、美しい表現、身近に感じるもの、衝撃が走る言葉、思わず考えさせられる問い。後ほど考察していこうと思います。
言葉の表現について色々思考しながら家路につきました。言葉を思いついては、急に立ち止まってメモする。終われば音楽の余韻に浸りながら秋を感じ、空を眺める。また思い出したかのように歩き出す。そんなお散歩は楽しいものです。
こうして現在に至るわけであります。
とりあえず日記はここまでです。
次節から色々書きながらあれこれ考えてみようと思います。
日本語あれこれ、表現自在
本日の日記で敢えて気候について述べるのを控えました。
ここで考えうる表現を扱いつつ、今日の気候を表現していこうと思います。
通常:
「今日は涼しく、過ごしやすい温度でした。」
通常は言うまでもなくこれを使えば確実に伝わる表現。ただ、すこし味気ないというか、無機質さを感じる場合がある。
倒置法:
「涼しかったですよ、今日は。」 応用:「涼しくて過ごしやすかったですよ、とりわけ今日はね。」
発言や感嘆でよく用いられる。感情が入っているように受け取れる。「今日」のように後半の言葉を強調したいときに使えそうです。
体言止め:
「今日は爽涼。」 応用:「本日、8月17日は爽涼。風は穏やかで、日差しは柔らかい日。」
状況説明を簡潔に、キレよく表現できるように感じる。しかし説明不足に陥りやすいので前後に補う文か、誰もが分かる簡潔な内容である必要があるだろう。
連続:
「今日は涼しかった。それは涼しかった。」応用:「あぁ涼しい涼しい。今日は心が軽やか、とても涼しい。」
倒置法の強化版。少しくどくなりやすいが、さらに応用で連続の最後に対義語や異なる言葉を入れると、そこが強調されて印象に残りやすそう。(あぁ、涼しい涼しい。今日は心が軽やか、涼しすぎて凍傷になりそうだ。体の震えが止まらない。ついに人を〇してしまった。)みたいな。
なんか違うかも。
断定:
「今日こそが涼しいというべき日だ。」応用:「今日こそが涼しいというにふさわしい日である。」
なかなか気候でする表現ではないのでピンとと来ないです。厳密には「です」も断定に含まれる気がしますが、より強い表現として今回は挙げました。ビジネス書の題名でよく目にする。おそらく。「コーチングを始めるのに必要なスキルは~だ!」みたいなやつ。
明確に伝えたいことが分かる反面、口調が高圧的に感じて嫌がる人も少なくなさそう。
反語:
「今日を涼しくないと言えるだろうか?」応用:「皆さん!今日が暑いと言えるでしょうか? 否、そんなことはない!断言しよう、今日は涼しいと!」
古典で習うあれ。~だろうか、いや~ない。例文がなんだか演説口調になってしまった。あと、この例もあまり良くない。というより、例文と反語の相性が良くない。
反語は聞き手に印象を与えやすい。ただ、多用は禁物、胡散臭さが増してしまう。後半の「いや~ない」の部分は表現しないことが多い。最後に新しい例を。
例改:「では、彼らを見捨てて良い理屈があるでしょうか?」(いや、そんな理屈はない。)
否定:
「今日は暑くなんてなかった。」応用:「今日は蒸し暑くない、快適な温度だった。」
これは曖昧な表現です。AとBとCがあるとして、今までのはAと直接言っていたが、今回の否定はBではないと言っている。つまり、Aとは直接言わずにA、Cのどちらかの可能性を残している。もしくはA、Cの両方。
例で見るなら、暑くはないだけで、寒かったかもしれないし、涼しかったかもしれない。
効果として、相手に「じゃあなんだよ?」と気にならせる。あとは、意外性を持たせることができそうです。例えば。
「歴史を常に動かしてきたのは男性ではなかった!?」
という題名の本があったとしたら、読者は「女性が動かしたのか」と考えるだろう。もちろんその答えでもよいですし、「実は歴史はお金が動かしてきた」と読者の予想を外すミスリードとすることもできます。
問いかけ:
「皆さんは今日の気候、涼しいと感じましたか?」応用:「今日涼しいでしょ?」
これは、最も広告やCMで認識できる表現です。人間は問いかけを認識すると反射で答えてしまうようですね。そうでなくとも、相手に考える余地を与えるので記憶に残りやすいのでしょう。
擬音:
「今日はスウスウと風が吹く抜ける涼しい日でした。」
ここから、以降は難易度が上がるかもしれません。
表現によって、お洒落さや独自性を問われる気がしてます。しかしその分、表現が尖り、個性が出るので秀逸であれば印象に残るでしょう。
比喩:
「今日は蝉も押し黙るほど、涼しい気候でした。」
比喩を成立させるためには、独自性を用いる必要がある。だからと言って独りよがりではいけなく、受け手にも共感を得られるものではなくてはなりません。この比喩は暗喩や擬人法に似た分類かもしれません。
比喩表現の訓練として、何かを感じたときに、別の現象で言い換えてみると良いです。
例えば今私はアメイジンググレイスを聞いているのですが、その湧き上がる感動を別の言葉で他の人にもできるだけ同じような感動を共有したい。
まず、私はこの曲を聴いてこの上ない勇気が沸いたとします。
他にこの上ない勇気が与えられるであろう表現はないだろうか?と考えた時、人の声援は勇気を貰えると思い立ちました。
この声援によってもらえる勇気がこの上ないものであった場合、それは人がたくさんいた時です。その最上級は世界中の人です。つまり、
「世界中の人々が私を応援しているような、そんな勇気を与えてくれる音楽である。」
と作り出すことができます。ちなみに美しさやロマンティックさを強調したい場合は
「最愛の人に励まされているような、そんな勇気を与えてくれる音楽である。」としたら、より唯一最大の力が得られているようです。
オリジナル:
「本日はひやや、と空気が肌を撫でる爽涼でした。」
これは、オリジナリティを出したい際に、他ではあまり聞かない、もしくは文法や言葉として非公式だけれども、なんとなく受け手に伝わるだろうという希望的観測の下表現するもの。もしくは、言葉としては成立しないけれど、「どうしてもこれでなくては、本当に伝えたい表現が伝えられない」という時に使う。私は。
主観比喩:
「今日は猛暑からの解放に歓声が沸き起こる気温だった。」
この表現では遠回しだけれども、「私」のような主観からの発信によって受け手により多くの情報を与えることができます。言ってしまえば感想に近いですね。
この例では私が暑さが苦手であることと、今日の気温が歓喜に値するものであること、つまりは涼しい気温が嬉しいことが伝えられます。
ただ、やはり曖昧な表現であり、受け手によっては飛躍して、寒いことや秋が好きと捉えられてしまうかもしれません。たしかに秋は好きですが。
共有比喩:
「まるで冷房の効いた室内が外気で感じられる新涼の心地よさだった。」
これは直喩とも言えるかもしれません。まるで、~のようだ。という形でマジョリティーの、たいていの人が経験したことのある状況に例えて伝えたい状況を表現する方法です。上記の比喩と重なる部分があるかもしれません。明確な判別はありません。ノートとメモ帳くらいの区別です。
これらで思いつく限りです。
気がつけばまた、日記の域を超えた分量を書いていたので本日はここいらで終わらせていただきます。
みなさん、よい夢を。
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