見出し画像

【短編小説】上原のおじさんの別荘は山の中②

「そもそもさ、おじさんてなんの仕事やってたんだっけ?」
おじさんの別荘に向かう関越高速道の車内で、助手席に座ってバリバリと朝から煎餅を食べている姉に聞いた。車に乗ってるのに、いや、喪服を着てるというのに、いやいやいや、そもそも葬式に出るというのに、なんで煎餅なんか持ち込んで車内で食ってんだろ? 姉は。
「え?」
煎餅を食べる姉の口と手が止まり、運転している僕のほうに顔を向けた。運転している視界の隅に入る姉の顔は、最近、ますます母親に似てきた。皺や白髪が目立ち、背中も丸まってきた。六十代半ばなんだが、ずっと老けて見える。昔は細かったのに、今は脂肪のかたまりだ。
「あんた、本気で言ってる?」
「うん。おじさんと会ってたのって子どもの頃だけじゃん。あの頃、大人はみな大人なだけだったし、仕事なんて何やってるかなんて考えたこともなかったしさ」
「ふ~ん」
「おやじの仕事にだって興味なかったし、知ろうともしなかったな」
「じゃあ、なんでいま気になってんの?」
「だってあんなに金持ちだったじゃん。会社でも経営してたのかな? けど、そんな話も聞いたことないし、なんだったんだろって思ってさ」
「やくざ」
「え?」
「のようなもの」
「そうなの?」
「ってお母さんが言ってた」
「え?」
「私もよく知らない」
「ふ~ん」
会話が途切れた。姉はまたバリバリと煎餅を食べ始める。食べるたびに煎餅のカスが姉の喪服や足下に落ちる。その姿を見て、昔の記憶が蘇った。

おじさんの別荘 / 夏休み / 青空と入道雲 / 赤とんぼ / ひろがる田舎の風景 / そこに粗末な服を纏って現れる男の子と女の子 / 知らない子ども / 地元の子だったか? / 一緒に遊んだ / おじさんが笑顔で迎え入れたのだ / いつも煎餅のような薄い焼き菓子のようなものを手に持ってバリバリ食っていた / あれはいったい何だったのだ? / え? / そもそもあれは誰? / 別荘に行くと必ず現れた / おじさん以外の親達はあからさまに嫌な顔をしてた / だけどおじさんが招き入れるから文句がいえない / あの子たち草を焼いたような匂いがいつもしてた / 駆け足がめちゃくちゃ速かった / 誰だっの? あの子たち

「ねえ、おじさんの別荘に行くといつも現れる子どもたち、いたよね?」
「ポチとコロでしょ?」 
「え? なにそれ。犬じゃないよ」
「そう呼んでたじゃん。覚えてない?」
「いや、まったく覚えてない」
「お母さんがつけたのよ。野良犬の子だって。汚い子どもたちだって」
「え? ひどい。あの子たちにもそう呼んでたの?」
「そうよ。あの子たち、そう呼ばれてもヘラヘラして何も言わなかったし」
「そうだっけ? なんかよく一緒に遊んでたような気がすんだけど」
「あんたは一緒に走り回ってたけど、私は嫌だったな」
「そうなの? 一緒にゲームしてなかったっけ?」
「おじさんがいたからよ。おじさんが彼らに優しかったから」
「あの子たちって地元の子?」
「もちろんそうでしょ。いつの間にか現れて、いつの間にかいなくなってたし。もう50年前以上も前の話でしょ。しかもあんな田舎だから貧乏な子は本当に貧乏だったんじゃない? なんでそんなこと言いだすの?」
「姉ちゃんの煎餅食う姿見て思い出したんだよ。なんで葬式行くのに喪服着て煎餅食ってんの?」
「いいでしょ? 朝、何も食べれなくて、これしかなかったのよ」

六十代半ばの姉は生涯独身だ。親の残した家に住み、スーパーのパートをしながら日々を過ごしている。ブヨブヨの身体は不自由そう。たまに話をしてもパート仲間の悪口しか出てこない。一緒にランチとかにでかけるような女友達もいない。休みはどこにもいかず家でテレビを見ながら、煙草を吸い、酒を呑み、お菓子ばかり食っている。家ぜんたいが散らかし放題だ。きっと早々に体を壊してしまうに違いない。今の姉の面倒なんか死んでもみたくない。どうせならコロリと死んでもらいたい。
そういう自分も離婚を3回も繰り返し、職をいくつも転々としながら、なんとか食いつないできた。弱いくせに見栄っ張りで、人に誇れるようなものなど何一つ身に着けていないのに、それを認められず大きなことばかり考える。ときに無茶をして、すぐに大きなしっぺ返しを食らう。が、そこから何も勉強しない。バカなくせに身につかない苦労ばかりするから、頭は禿げ、身体はか細く、62歳なのに70歳くらいに見られる。
こんな哀れな姉弟になるなんて、おじさんの別荘に行ってた子ども時代には当たり前だが夢想だにしなかった。ただただ毎日が楽しかった。ただただ毎日が輝いていた。
いったい、どうしてしまったんだろ?
なんでこんなになってしまったんだろ?

「なに、泣いてるの?」
姉の言葉にはっとする。知らぬ間に涙が頬をつたってた。
「ふふ、そうね、おじさん、優しかったものね」

親が乗ってたもう二十年以上たつ古い車に、年老いた僕と姉は乗っている。
結局、僕ら姉弟はそうなのだ。
どれだけ年をとっても親の遺産に頼っている。
なぜだろう? 涙が止まらない。
「大丈夫、あんた? 次のサービスエリアに入りなさい。少し休んだほうがいいわ。お腹も満たしたいし」

車の窓から見える夏の朝の空はどこまでも青かった。(続く)


いいなと思ったら応援しよう!