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良い子悪い子ふつうの子

うつ歴4年となりました。今となってはなるべくしてなったかなという感じがします。

幼いころから鉄道が好きで、まじめな思いをたまたま採用担当者に汲み取っていいただいて鉄道会社に総合職で入ることができました。

しかし、総合職とはなんでもそつなくこなして、すぐに職場に馴染み、2年、3年の間に職場を改善することが求められます。

幼少期から振り返ってみると、友だちと何を話していいか分からず、いじめではないけど今で言うイジリをされても何も返せない子どもでした。
運動も苦手で小学校になると3,4年生では勉強すら目立つほうではなく暗い感じだったと思います。

今思えば、幸いなことに、子育てに何も関与しない父が、姉を小学校から私立に入れて中高も私立に入れていたので、僕も私立に行けば何とかなるかもと思い、私立中学受験することを自分で希望しました。

塾に通ってる際にはいじめられそうになったこともありましたが、勉強がおもしろくなり、自信が付くようになると、小学校でも引っ込み思案でなくなってきました。小5小6は担任が新任の先生でやる気もあって楽しかったです。(名前を検索すると校長先生になられていました。まあ自分が41歳なので全然おかしくないのですが)

でも親のしつけか、学校教育の影響か、「良い子でいないといけない」という思い込みを、このころから会社に入って30歳近くになるまで持っていました。

中学では運動部にできれば入りなさいと言われれば、運動部の中でまあやっていけそうなアーチェリー部を選びました。そのなかで先輩の言うことは絶対という風潮がまだ残る中、嫌な思いもしました。お前は「うんうん」とうなずいて話が分かっているように聞いているのがむかつくとか。理不尽ですよね。
唯一筋力トレーニングを強制的にやったことは今となっては良かったなと思います。

勉強は私立なので順位が発表されます。学年50位に入らないと母親に嫌味を言われたり、中高一貫なのに中3くらいから予備校に行かされたり。それも良い子でいるために従っていました。

大学は嫌じゃなかったら理系の方が潰しが効く母親から言われて、理系を選択しました。さらに母親の勧めに従い、手堅く受かりそうなところ、滑り止めさえもワンランク下げて受験しました。母親からすれば失敗させたくないと思うのは当たり前かもしれま\が、チャレンジする機会であっても良かったのではないかと思います。

・・・閑話休題。うつの原因ですね。
少しバカを見せた方がまわりと馴染みやすいと30歳くらいに気づきましたが、良い子でいるべきという心に張った根にしたがって生きていて、人に迷惑をかけないことは良いことではあるものの悪意や怒声を浴びることに非常に耐性がありませんでした。

そこに、たまたま経営環境の状況から、上から怒鳴られ、営業所の所長から詰められ、会社に行けなくなりました。何一つ言い返せずに。たまごが先かにわとりが先かになりますが、人に対して深い興味を持てず自分が興味を持てることにのめり込む、自閉症スペクトラムが鬱通院後に分かりました。

今でも人と話すことは苦手で、できれば全てメールで完結したいと思って仕事をしています。

うつと自閉症スペクトラムで精神障害者保健福祉手帳3級も取得しました。ようやく開き直りができて今後当面の間は管理職(経営側になって残業し放題)になることはできません。と面談で話すことができました。

一方で良い子というアイデンティを失い、ASD・うつというアイデンティを得たもののそれで良いのかという思いがおそってきます。あと20年、30年働かなきゃいけない訳で。ぶら下がり社員を決め込むか、ローンさえ返せばよしと50歳割増し退職金を狙うか。悩ましいです。


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