月日たち
最後の投稿から3年以上経ってしまいました。
東京支坊となっているこのnoteですが、この3年の間に石川県出身の方とご縁があって東京で結婚し、2020年に二人で決めて石川県に帰ってきました。まだまだ会社員を続けていますが、少しずつお寺のことも勉強しています。
このnoteを作ったときはまだコロナ前でした。思い返せばこの3年で身の回りのいろんなことが変わっていったと思います。超個人的なことで、3年前の自分と今の自分で変わったことを思いつくまま挙げてみるとこんな感じ
・3年前は彼女だった人が、いまは奥さん
・3年前は東京の1Kに2人で住んでいた。石川県に移住し、2LDKのアパートを経て、いまは自坊近くで庭付き一戸建てを建てた。
・勤めている会社が変わった。(夫婦ともに)
・お酒を飲める量が減った
・食べたら食べただけ太るようになった
・お寺のこと、仏教のこと、真宗のことを学びたくなった
・真宗学院に通い始めた
・奥さんのおなかに赤ちゃんができた
「コロナのせいでいろんなことが変わったね~」
なんて口ではよく言うけど、こうやって書いてみると、自分の目線で変わったと強く思えるのは自分の都合や加齢によることだけなのかもしれない。
もちろん、ありがたいことにこれまでコロナに罹患することや、コロナによる経済的な制約をそこまで強く受けることなく過ごしているから、こういう風に言えるのだと思う。コロナで命を失ったり、人生が変わった方は沢山いらっしゃる。自分も同じ経験をしていたら、コロナのせいでいろんなことが変わったと言っていると思う。
「自分の眼鏡を通してみた世界で、自分の尺度で自己と他者を比べて、自分の立ち位置を決めていく。」そんなことが当たり前になっていると思います。むしろそれの何が悪いのとすら思うときもあります。生きていくには必要なことなんじゃないかなって。
少しだけ仏教や真宗を学んで、そのプロセスや思考が、自分自身を苦しめる根本であるのかなあと思い始めました。自分の実体験においてもそう思いますし。
2,500年前のお釈迦さんが、850年前の親鸞さんが、必死に生きる中でたどり着いたその答えが、自分たちに伝わっているということは、その長い年月の中でその答え(教え)を伝えてきた膨大な人たちの共感があるんだと思う。そして、恥ずかしいことも含めてちゃんと自己を開示してきたから、共感を生み、気持ちが伝わってきたんだと思う。
一方、自分のことを思い返すと、自分を開くことの恥ずかしさ、良く見せようとする気持ちがいかに多いかを感じる。すこしでも自分を開く場所としてもう一度ここで好きなことを書かせてもらう練習をさせてもらおうと思う。