旧芝離宮(知識編)
旧芝離宮は、小石川後楽園・六義園と並ぶ江戸時代の大名庭園。しかし名前は天皇の別荘を意味する「離宮」。どういうことか。離宮の最も有名な例は京都の桂離宮と修学院離宮だろう。この2つは江戸時代に天皇の別荘として作られた庭園。一方で旧芝離宮は江戸時代に作られた大名の庭園を、明治時代になって宮内庁が購入して天皇の別荘となった。要は、桂離宮と修学院離宮が新築物件であるのに対し、旧芝離宮は中古物件というわけだ。そのうえ1924年からは東京市(現・東京都)の所有になっているので、実際に天皇の別荘として使われたのは、約340年の歴史のうち約50年だけ。ゆえに旧芝離宮は「離宮」といいながらも「大名庭園」としての性格が強いのである。
さらにややこしいのは旧芝離宮の正式名称だ。「旧芝離宮恩賜庭園」。「旧」は今はもう皇室のものではないということ。「芝」はこの地域一帯の名前(落語『芝浜』の舞台)。「離宮」は先述の通り天皇の別荘。では「恩賜」とは何か。「恩賜」とは天皇がプレゼントすること。1924年に昭和天皇の結婚を記念して、芝離宮が東京市にプレゼントされたのだ。東京市はこの時、芝離宮だけでなく上野公園、井の頭公園、猿公園も一緒にプレゼントされている。そのためこれらの公園の正式名称は「上野恩賜公園」「井の頭恩賜公園」「猿恩賜公園」となる。ちなみに旧芝離宮のすぐそばにある浜離宮も恩賜庭園だが、こちらは別の機会に恩賜されている(1945年、GHQの命令によって)。
ここまでかなり複雑な話をしてきたが、ここからもまた複雑な話をする。旧芝離宮は大名庭園だと述べたが、その大名とは誰か。この庭園は小田原藩主・大久保忠朝(1632~1712)が江戸での屋敷として作った。1686年のことだ。地元・小田原から作庭師を呼んでつくり「楽寿園」と名付けられた。ここで東京の大名庭園の名前と作者を整理しておこう。
六義園…柳沢吉保(側用人)
後楽園…徳川光圀(水戸藩)
楽寿園…大久保忠朝(小田原藩)
3人のうち、大久保忠朝の知名度は格段に低い。忠朝の曽祖父・忠世は徳川家康の古くからの家臣で、来年のNHK大河ドラマ『どうする家康!』では小手伸也が演じる。小手伸也という意味は大きい。脚本を手掛けるのは『リーガル・ハイ』(2012~14)でお馴染みの古沢良太。古沢の近年の代表作『コンフィデンスマンJP』シリーズ(2018~)で一気にブレイクしたのが小手伸也なのだ。同シリーズの主役はもともと長澤まさみ・東出昌大・小日向文世の3人だったが、その後の映画3作では小手伸也はこの3人と同列の扱いにまで出世している。そのような文脈を踏まえると、古沢良太の新作ドラマで小手伸也が演じる「大久保忠朝」の重要性は増してくる。そのひ孫が「楽寿園/旧芝離宮」を作った大久保忠朝なのだ。ちなみに小手伸也演ずる大久保忠朝の弟・彦左衛門(1532~94)は、白金台・八芳園のもとをつくった人物だ。詳しくはこのnoteの別投稿を見てほしい。