ネクライトーキーが大好きなんだよ

 ボーカロイド楽曲をひたすら聴いていた小中学生時代を経て、いわゆるボカロPのやっているバンドというのを調べ始めて、特に気に入ったのがゆるふわ樹海ガールの、石風呂さんの、ネクライトーキーだった。 

 私がネクライトーキーのライブに初めて行ったのは高校2年生の冬、新型コロナウイルスの流行の直前だった。

 お小遣いのない家庭で育った。欲しいものを両親に相談すると必ず「将来自分のお金で」と言われた。飲み物を買ったと嘘をついて100円ずつ昼食代から貯金するのにうんざりした私は、高校1年のときから地元の郵便局で年賀状の仕分けバイトを始めた。当時から神奈川県の最低賃金は1000円近くあったから、たった10日間でも5万円ほど稼ぐことができた。横浜市某区の高校生はみんな働いていた……5万円あれば、ユニクロのカーディガンをイーストボーイのカーディガンに買い替えることができるし、iPhoneもお年玉と合わせたら買えるし、有線のイヤホンをairpodsに買い替えることだってできた。

 1.2年の冬休みをほとんどすべて年賀状の仕分けに費やした私は、高校2年生にして、人生で初めて10万円もの「自由に使えるお金」を手にすることができた。私はそれを、ネクライトーキーのCDとライブとグッズのために使うことに決めた。

 ライブに行こうと思うんだ、と両親に話すと、「1回きりの演奏に何千円も払うなんて馬鹿らしい」と一蹴された。それでも、自分の稼いだお金なら良いでしょうと説得をして、高2の2月にネクライトーキーのライブに行くことに決めた。受験生になる前にやりたいことを全部やろう、と思っていたから、(そして推薦入試なんかとても受けることができないくらい既に成績が悪かったから)2年生の期末テスト前にライブの予定を捻じ込んだ。怖いイメージのあったライブハウスの一人で行くのは怖かったから、歌留多部の女の子を誘った。友達からの「オシャレ大作戦をカラオケで歌っていた」という証言があったから。いちども2人きりで遊びに行ったことはなかったのに、快諾してくれた。

 当日は、17時過ぎなんて普段なら解散するような時間に待ち合わせた。指定席のないライブだから、足ができるだけ疲れないようにしたかったから。帰る時間がいつもより遅いことにもどきどきしていた。私はダサいワンタッチエクステを髪につけて、歌留多部の女の子は嘘みたいな厚底靴で来て、2人とも気合十分だった。
 もちろん、ライブハウスには取れてしまう可能性のある長いエクステも転んでしまう可能性のある厚底靴も絶対にやめたほうがいい。そんなことにも気が回らないくらい、私たちはライブハウスを知らなかった。

 前から10列目くらいの比較的余裕のあるスペースで開演を待った。コロナ対策だと思われるガタガタでボロボロのステッカーにきちんと両足を揃えていた。SEで手拍子して、周りのひとが腕を挙げているのを真似して、あわてて腕時計を外してまた拳を掲げた。テンポの速い曲になると周りのひとたちが一斉に前に駆け出していった。歌留多部の女の子と目を見合わせ、すいすいと前列のほうに吸い込まれていった。私たちも気がつけば前から3.4列目くらいにいた。それから最後までもみくちゃにされながら演奏を聴いていた。

 2時間も立ちっぱなしだなんて大変だなあなんて心配はまったく杞憂で、本当にあっという間だった。最後の曲です!の声が聞こえたとき、終わらないで!と、つよくつよくつよく、思った。

 それからすぐにネクライトーキーはメジャーデビューして、東京~神奈川のネクライトーキーのライブには1人でもかまわず行くようになって、気がつけばクローゼットの3分の1がネクライトーキーのTシャツになっていた。こんなに好きになれるものがあってよかった。ネクライトーキーに出会えてよかった。ありがとう、ネクライトーキー。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?