【書籍・資料・文献】『会計学の誕生』(岩波新書)渡邉泉
石原都政3期総括で強調された複式簿記
2011年に施行された都知事選では、現職の石原慎太郎都知事がほかの立候補者から出遅れながらも3選出馬を表明した。石原候補の表明前、神奈川県の現職知事だった松沢成文知事が都知事選にスライドで出馬することを発表。石原都知事と松沢県知事は思想や党派を超えた旧知の間柄にあり、それだけに松沢候補は石原後継を打ち出していた。
一転して石原都知事が4選出馬を表明すると、松沢候補は出馬を取り下げる。そして、石原4選の流れをアシストした。4選時における石原候補は、決していい候補者とは言えなかった。それは、3期までの政策がどうとかの問題ではない。4選に臨んだ都知事選で、石原候補は目に見えるような選挙活動をせず、実質的に無風選挙をつくり出した。これを選挙戦術と言ってしまうこともできる。しかし、それは無風選挙を生み出し、有権者にとって選択肢を奪い、ひいては民主主義を脅かす。
石原候補は現職都知事でもあるため、都政という公務をこなしながらの選挙戦になった。選挙戦は圧倒的に現職が有利になるが、石原陣営は4選出馬を想定していなかった。出馬会見などで、本人もそう言及している。つまり、選挙準備が遅れた。石原陣営にとって、それが痛手だったことは明白だ。
公職選挙法の悪しき部分は、建前では立候補者を公平に扱うと規定されていることだ。石原候補が選挙活動をしなければ、当然ながらほかの候補者の選挙活動も報道されなくなる。こうして、2011年の都知事選は実質的に無風と化した。
石原候補は、都知事として大震災などの政務にあたっている。そのために、選挙活動に時間を割けないというのが建前としての理由だった。未曽有の大震災は東北を中心に大被害を出したが、東京も無縁ではなかったし、被災者の受け入れや災害支援などで東京都が果たした役割は大きい。それだけに、東日本大震災に都知事が大きくかかわるのは自然な話だ。選挙活動よりも公務優先という大義名分もある。
都知事選最終日、石原候補は立川駅前と有楽町駅前の2か所で街頭演説を実施したが、それらも後援会から「さすがに一回も街頭演説をしないのは、有権者に対して…」という声が挙がったからだったという。つまり、儀礼的に実施したに過ぎない。
有権者にとって判断材料の少ない選挙運動ではあったが、石原候補は出馬表明時に記者会見を開き、またその後も数回だけ記者会見を実施している。そこで語られた3期12年の石原都政の総括として、石原候補が繰り返して強調したのが東京都の会計における複式簿記の導入だった。
簿記の世界は単式簿記と複式簿記に二分できるが、いまや単に簿記といえば複式簿記を指すまでに単式簿記は使われない時代遅れの遺物と化している。しかし、当時の地方自治体の公会計制度は単式簿記を基本とし、複式簿記は自治体が導入したほうがよいとされているレベルにとどまっていた。いまでも、地方自治体の公会計制度は単式簿記の作成は義務付けているが、複式簿記の作成は義務付けていない。
総務省は地方自治体に対して、複式簿記の作成を通知し、現場が混乱しないように作成の支援までしている。しかし、総務省の複式簿記導入の通知は法的拘束力がないうえ、3つの作成方式を選択させる内容だった。選択肢を多くした背景には、自治体の実情に合わせて複式簿記導入のハードルを下げるといった意味があったものの、会計の不統一感が際立った。しかも、完全な複式簿記ではないものもあって、いったんは導入したものの、新たな方式に切り替える自治体もいくつか出た。総務省が用意した3つの方式は、混乱を引き起こす元でもあった。
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