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橋下徹と枝野幸男 彼らが変えた選挙風景

2019参院選 特定枠という新制度

 7月4日に始まった参議院議員選挙は、先の鳥取県・島根県徳島県・高知県合区を受けて、新たに特定枠が導入されたといわれる。

 従来、参議院の選挙区は最低でも一県から一人の議員を選出できる制度になっていた。ところが、一票の格差が問題になり、人口減少が進む島根県・鳥取県と徳島県・高知県が割を食うことになる。2県で一人の議員を選出する合区に移行したことで、わが県の代表を選出できなくなるからだ。

 そうした声を受けて誕生したのが特定枠制度。鳥取県・島根県からAという立候補者を立てたとする。Aは鳥取県を地盤とする候補者。これだと島根県民は面白くない。そこで、島根県を地盤とする議員を全国比例の特定枠から立候補させる。特定枠は優先的に当選することが可能だから、これで嶋名県側の不満を解消できる。

 要するに、特定枠という新しくてややこしい制度を導入した背景には、「選挙区における一票の格差を縮めるために合区を導入したが、それでは不満が噴出するので全国比例でその穴を埋める」という手当てをしたことになる。

 合区、そしてどちらの県にも顔を立てるという選挙システムは、全国で票を集めようとする自民党の思惑が透けて見える。これは参議院選挙に導入された選挙システムに他ならないが、県民の不満を真摯に受け止めなければ、それは衆院選にも影響を及ぼす。

 自民党の思惑で導入された特定枠ではあるが、もちろん他党が利用することも可能だ。特定枠をうまく活用したと言われるのが、れいわ新選組を率いる山本太郎さんと言われる。特定枠をいかに使うのか? それは政党の裁量に任されているし、得票との兼ね合いもあるので、ここでは政党間の巧拙を比べる気はない。

 いずれにしても、特定枠という変形システムが導入されたことで、参議院選挙はますます複雑になり、それは有権者に混乱を生じさせることは間違いない。

政党名が浸透する歳月は、約30年!?

 日本の衆議院の選挙制度が中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に移行してから、20年以上が経過した。すでに中選挙区制は懐かしくもあり、中選挙区での投票経験のない世代も多くなっている。ようやく制度が定着したように思える。

 選挙制度が激変する間、政党は離散集合を繰り返した。20年以上も同じ政党名を継続しているのは、自民党・公明党共産党の3党。公明党は国政政党として旗を降ろしていた時期もあるから、実質的に自民党と共産党だけが20年以上の歴史を有するということになる。

 政治改革やら第3極を狙う勢力を謳って新党の誕生が相次いだ時期もある。それらは、はっきり言って有権者の意識とは遠く離れているというのが実態だった。有権者である国民は、常に政治動向に目配せできない。だから、テレビ・新聞・インターネットなどで情報収集をするしかない。

 政治の動きが激しいと、そこから脱落してしまう有権者も出る、出るというよりは、大半がついてきていないと思える。脱落してしまった有権者は、どこの党に投票していいのかわからなくなり、それが政治離れを加速させるもしくは、名前を知っている既存政党に機械的に投票しようとする。

 戦前生まれの高齢者たちは、それこそ一票の重みを知っている。だから、政治に関心が高くなくても、投票には必ずと言っていいほど足を運ぶ。しかし、投票所でふと手が止まる。知っている政党がない。いや、正確に言えば、自民党と公明党と共産党は知っている。高齢者たちは、投票所で沈思黙考する。結局、なんともなしに「自民党」を選ぶ。

 選挙では、「握手をした人の数だけしか票は入らない」と言われる。これは、握手をすれば有権者一人に名前を覚えてもらえる、ということでもある。現代には、テレビや新聞やインターネットがあり、世間に名前を流布する機会はいくらでもある。

 それでも、そうした文明は面と向かって話をする、握手するという行為に敵わない。手軽に発信できる方法は、簡単に人から忘れられてしまうという諸刃の剣でもある。

 そして、候補者は結構なサイクルで変わるし、なによりもそんなに頻繁に会う機会がないから覚えられない。常に国会中継を見ている人ならともかく、自民党の議員を10人以上正確に書き出せる人は稀だろう。せいぜい、総理大臣や目立っている閣僚、幹事長、それとプラスアルファぐらいしか覚えていない。結局、有権者の大半は、政党で候補者を判断し、投票している。特に、政治に深い関心を寄せていなければ、政党のイメージで投票をする。

 誤解をしてほしくないのだが、そうした政党名で投票することを非難しているわけではない。むしろ、政党名や政党のイメージで投票している人の方が圧倒的に多数だと思われるから、政治家には言いたいのだ。簡単に政党名を変えるな、と。

 現在、国政では野党第一党の立憲民主党は、前身が民進党であり、さらに前は民主党という政党だった。民主党は2009年から2012年まで、3年以上も政権与党を務めた。それでも、民主党という政党名を知らない高齢者はそれなりにいる。

 嘘のような話だが、高齢者にとって我が国の政党は、自民党と共産党、そしてなんだかわからない政党の3つであり、ここから選択するとなると慣れ親しんだ自民党というチョイスになるのだ。

選挙にインターネットが解禁されるまで

「政治に無関心で生きることはできても、無関係で生きることはできない」だから、自分の意思を示す一票を投じるという行為は非常に重要になる。自分が納めた税金は、政治家が使い方を決めるわけだが、その使い方を決める人を選ぶのが、いわば投票になる。

 大正デモクラシー普通選挙が実施されることになり、戦後に女性も参政権を得た。そして、平成には18歳にも選挙権が与えられた。有権者のレギュレーションんは時代とともに変わっている。

 選挙には、ほかにもさまざまなルールが存在する。立候補者が無秩序に選挙戦を戦えるなら、それこそ資金力が無尽蔵にある陣営が勝つ。実態はともかく、選挙は政策を戦わせる場だから、それは好ましくない。だから、一定のルールとして公職選挙法がある。

 公職選挙法は長い歴史のなかではぐくまれてきたが、なかには時代に対応しきれていない規定もあった。例えば、インターネット。告示後に、インターネットを更新することは公職選挙法が禁止する文書・図画の頒布に当たるとして、それまでは公示後にHPやツイッターなどの更新は自粛されていた。

 永田町の面々がインターネットを使いこなせないから、そうした規制がずっと続けられてきたのかな、とも疑いたくなるが、とりあえず禁止されているから、インターネットを選挙戦で活用することは難しかった。インターネット更新の禁が破られたのは、橋下徹大阪市長によるツイッターだった。

 2012年の総選挙では、政権政党の民主党が苦戦を強いられていた。世論調査でも、自民党が政権を奪還するという見方が確実視されていた。自民党、そして民主党がどこまで粘れれるか?が注目される中、第3極として勢いを増していたのが、橋下徹さんが率いる日本維新の会だった。

 大阪市長の橋下徹さんは応援演説で全国を回ることが、ほかの党首より難しい。そうした全国遊説の不利を補完するべく、ツイッターで次々と情報を発信した。大阪という地域政党から出発した日本維新の会だけあって、全国でも通用する名のある人物は橋下市長しかいない。そうした背景もあっただろう。

 ほかの政治家たちが選挙戦になるとツイッターをはじめHP更新に臆していたのを尻目に、橋下市長はツイッターで発信を続けた。結局、橋下市長のツイッターが契機になって、公職選挙法の規定は緩和される。そこから、わずか5年。選挙戦ではツイッター・フェイスブック、インターネット生中継など、ネットの活用は当たり前の光景になっている。

 あの規制は、いったい何だったのか?2014年衆院選の実質的にインターネット選挙解禁は、選挙のあり方を大きく変えるターニングポイントだった。そう思えるような5年間だった。

立候補者も変わり始めた

 そして、選挙の光景は再び大きく変わる。社会の変革は、確実に候補者にも表れている。女性の大学進学率は向上し、そして社会進出も加速した。そうした女性の社会進出は、参院選の立候補者にも表れている。

 政党によってバラつきはあるものの、今回の参院選立候補者の男女比は以前よりも半々に近づいた。政党別に見れば、ほとんど半々になっている党まである。驚くべきスピードで社会が変わり、それが政治にも如実に反映されているのだ。

 今回の参院選で注目すべきは、男女という視点だけではない。今回は健常者だけではなく、障碍者の立候補も目立っている。山本太郎さんが立ち上げたれいわ新選組では、重度障碍者とされる候補者が2名。そして、立憲民主党からも聴覚障碍の候補者が全国比例で出馬している。

 障碍者の国会議員は、これまでにもまったくいなかったわけではない。郵政大臣を務めた八代英太さんは、不慮の事故で車いす生活を余儀なくされた。

 障碍者という立場になってから、政界へと身を投じる。そして、参議院議員3期、衆議院議員3期を務めた。それほどの大物議員も、車イスで移動しながら政治家活動をしていた。

 八代さんが郵政大臣を務めたのは2000年。その後、2005年まで衆議院議員を務めた。それから約15年。今回の参院選では、八代さんよりも重いと思われる障碍の候補者もいる。そうした面からも、障碍者の政治参画のハードルが下がっていることを窺わせる。

障碍者の政治参画を開いた東日本大震災

 障碍者にも開かれた政治の端緒はどこにあったのだろうか? その端緒ともいえる出来事は、恐らく2011年3月11日になるだろう。

 未曽有の大震災となった東日本大震災は、地震や津波によって東北に大きなダメージを与えた。余震も頻発したが、なによりも福島第一原発事故という前代未聞の災害に発展し、日本全体が不安に陥った。

 東日本大震災は菅直人内閣による迅速な対応が求められたが、このときに官房長官を務めたのが枝野幸男さんだった。現在、立憲民主党の代表でもある枝野さんは、ツイッター上で「エダノネロ」というフレーズが連呼されるほど、動き回っていた。

 このときの官房長官会見から、官房長官の立つ演台に手話通訳者がつくようになる。東日本大震災で不安を抱いているのは、健常者だけではない。視覚障碍者も聴覚障碍者も同じ不安を抱えている。視覚障碍者はラジオから情報を得られるが、聴覚障碍者はテレビやインターネットが主要な情報源になる。

 大災害では多様な情報手段を必要とする。ネット環境が整っていない被災地や避難場所もある。また、パソコンを持っていないor災害で破損してしまった被災者もいるだろう。

 聴覚障碍者からリクエストを受け、首相や官房長官の発する情報を聴覚障碍者にも伝える必要性を政府は検討。すぐに、会見に手話通訳がつくようになった。

 東日本大震災の混乱は、いったん収束。その後も首相会見などでは、手話通訳がつくようになった。東日本大震災という日本の危機が、障碍者への対応を変え、そして社会を変えたのだ。

変わる記者会見・街頭演説の風景

 官邸は会見写真を個人的なブログにアップすることを禁じている。そのため、残念ながらここにその写真をあげることはできない。

 しかし、確実に障碍者の政治参画が進む流れは生まれている。その先頭を走っているのが、会見に手話通訳導入の先鞭をつけた枝野幸男さんが代表を務める立憲民主党だ。

 7月4日の2019参院選告示日に有楽町駅前で実施された街頭演説会では、演説する立候補者の横に手話通訳者がついた。スタンバイしていた手話通訳者は、私が確認できただけでも2人。

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立憲民主党の街頭演説。右の青い服の男性が手話通訳者 

 街頭演説会では東京選挙区から立候補をした2人、全国比例区から立候補した6人、代表の枝野幸男さんの合計9人がマイクを握った。立候補者の持ち時間は決して長くはなかったが、それでも9人が政見を述べた。9人も演説すれば、それなりの長時間になる。手話通訳者は、途中に交代を挟みながら常に街頭演説会で聴覚障碍者のために手を動かしていた。

 手話通訳者がつく街頭演説会はかなり珍しい。通算1000回以上の街頭演説を取材してきたが、壇上で手話の同時通訳を見たのは初めてだった。おそらく、ほかの党では実践してない。

そもそも手話通訳者をそんなにたくさん用意できるのか?という課題はある。それを立憲民主党はいとも平然とやってのけた。こうした光景は、当たり前になっていくのかもしれない。



 

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