都市計画としての高級住宅地

尾山台と東京都市大学

 東洋経済オンラインに寄稿した”高級住宅街「尾山台」は渋沢栄一の思想が生んだ”では、東急大井町線の尾山台駅から南に広がる高級住宅街をクローズアップした。

 田園調布が東京でもトップクラスの高級住宅街であることは、論を待たない。その隣にある尾山台も田園調布と並ぶとまでは言わなくても、かなりの高級住宅街であることは確かだろう。

 尾山台駅を出て、商店街「ハッピーロード尾山台」を抜け、環状八号線を過ぎたあたりから住宅の一区画が急に大きくなる。斜面に建てられた家屋、だいたい2階建て。傾斜がきついため、半地下の構造を採用している住戸も見受けられる。また、坂道になった道路からは多摩川がうっすら見え、その向こうには武蔵小杉のタワマン群も臨める。

 そんな高級住宅街の雰囲気を醸す尾山台には、当然ながら商店はない。当然だ。閑静な住宅街に、静寂を破るような商店は必要ない。そして、住宅街の中ほどに、東京都市大学がある。これは、東急の総帥・五島慶太が設立した学校法人。つまり、東京都市大学は五島の手による大学なのだ。

 東京都市大学の前身である武蔵工業大学は五島の手によって成長したが、武蔵工業大学の源流である武蔵高等工科学校は別の人物によって産み落とされた。東京都市大学は東急が生み出したわけではなく、育ての親。それでも、高級住宅街の真ん中にあるキャンパスは、どことなく落ち着いた空気を醸している。

 しかし、学生にとってこれは学びやすい環境といえるだろうか? 勉学の基本は、もちろん大学で学ぶことだ。しかし、本から学び、そして人から学ぶことを念頭におくと、高級住宅街の中にあるキャンパスは、少々、行儀がよすぎるような気がしなくもない。

 尾山台の東京都市大学のキャンパスに何度か足を運び、そして図書館を利用したり、学食を利用した身としては東京都市大学の尾山台キャンパスはどことなく居心地がよくない。周囲が、あまりにも高級住宅街すぎるのだ。

温室村の周辺

 今回、記事を書くために再び尾山台駅に降り立ち、そして東京都市大学の周辺も歩いてみた。歩いているうちに、住所は世田谷区尾山台から世田谷区等々力に変わり、再び尾山台に戻ったかと思えば大田区田園調布になり、そして世田谷区玉川田園調布になったりした。この一帯は、目まぐるしく字が変わるわけだが、どこも高級住宅街の雰囲気を保っている。

 町名が田園調布となっていたところに、ぽつんと個人商店の八百屋があった。周囲は、まったくの住宅街。不思議な場所で営業している八百屋だが、私がいた数分間でも数人のお客が買い物をしている姿を目撃した。地元には、必要とされているのだろう。もしかしたら、家庭への配達をメインにしている八百屋なのかもしれない。

 そんな尾山台駅一帯だが、尾山台と田園調布にまたがって玉川温室村と呼ばれる農業が盛んな土地柄でもあった。玉川は世田谷区の地名であるために、大田区では多摩川台(田園調布)温室村と呼んだりもする。そうした世田谷区と大田区の温室村をめぐるバトルも垣間見えるが、温室村は消失して久しい。バス停に名前をとどめるのみで、世田谷区史にも大田区史にも温室村の記述はわずかしか見られない。

 ただ、東京都市大学の近くには生産緑地があり、そこにはビニールハウスでなにやら栽培していた。その近隣にも野菜を生産している畑があり、そこで収穫された野菜は世田谷区・目黒区の学校給食に供されているという。

 尾山台には温室村のDNAを受け継ぎ、いまだ農業を続けている人がわずかに残っているのだろう。そんなことを思わせる風景があった。

 尾山台で見つけた農地。ここで収穫された野菜は、世田谷区・目黒区の学校給食に提供されているという

高級住宅街の条件

 以前、田園調布駅に取材に行き、田園調布の街並みを撮影して歩いたことがある。言われてみれば、田園調布の環状道路は高級住宅街の証なのだが、板橋区常盤台などにも環状道路が整備されているし、常盤台にはフットパスクルドサックもあったりして、むしろ田園調布よりも道路インフラは進化している。

 進化しているから高級住宅街として格上というわけではないだろうが、街も時代とともに変化するし、進化もする。田園調布のDNAを受け継いでいる街といえば、常盤台ではなく、むしろたまプラーザということになるだろう。それでも田園調布を歩いていると、どうしても常盤台と比べてしまいがちになる。

 尾山台や等々力、玉川田園調布、そして大田区の田園調布をくまなく歩き、尾山台の街並みは高級住宅街ではあることは感じつつも、環状道路のようなインフラは整備されなかった。そして、高級住宅街といえば丘の上や小高い山などの高地に造成されるのが常だ。

 尾山台は、むしろ駅から下る坂道に住宅地が形成されている。河川側から見れば、これだって十分な高地になる。それでも、通常は駅から人の流れできるわけで、動線を考えると高級住宅地が低地に並ぶという逆の構図になっている。尾山台の造成には、駅からの動線が勘案されていなかったということなのだろう。

 あと、尾山台の住宅にはそれぞれ緑がたくさん植えられているのだが、街全体としては緑が多いとは言えない点が気にかかった。常盤台のまちづくり協議会でも、住宅街の雰囲気を保持するために、そして景観維持のために個々の家に高木を植えることを推奨している。

 また、常盤台では東上線のときわ台駅前のロータリーにも緑を豊富に飢えているし、公園やクルドサックの中心部んいも緑がある。そうした緑化面では、尾山台は高級住宅街としては物足りなさを感じざるを得なかった。

ミスターローズ・鈴木省三の足跡を探して

 資料調査をしていて不思議に感じたのは、ミスターローズこと鈴木省三の存在感のなさだった。まだ没してから間もないということを鑑みても、鈴木省三に関する記述は見当たらず、鈴木が運営していたとどろきばらえんの記述も一行もなかった。

 また、園芸組合史のような団体公刊物も世田谷区内の図書館で発見したが、そこにも鈴木の名前もとどろきばらえんの名前も出てこなかった。結局、とどろきばらえんの場所を比定できたのは、自分が持っていた昭和30年代の地図帳だった。これを頼りに、国会図書館でとどろきばらえんが発行していた冊子体の案内書とを突き合せて確定させた。

 鈴木の晩年が京成とともにあり、そして京成は千葉県を地盤にしていたから世田谷区史では扱わなかったということなのだろうか?鈴木に関する文献は非常に少ない。以前に、千葉県佐倉市の博物館で鈴木省三の企画展が開催されるということで足を運んだが、そこでも特に図録は制作されていなかった。図録を製作できるほどの史料が集まらないのだ。

 鈴木省三のような育種家と呼ばれる人々は、多かれ少なかれ都市計画に影響を与えている。しかし、育種家と緑地関係・造園関係とはまた異なる流れにあるようで、関係者との交流は感じられない。緑地・公園といったオープンスペース的な見地から育種家の考察も必要になると思うが、そうした考察は表立ってはなされていない。このあたり、もっと育種家や園芸家といった人たちと都市計画系の公園・造園関係はいろいろと工夫して新しい都市計画に活かせるように思う。

 実際、市区町村といった基礎自治体では街路樹や街の美化のために花壇を設置したりしている。これらの管理はNPOや町内会に一任する協働といった概念も広く浸透している。それだけに、どんな花を植えるのか?といった出発点に育種家を入れて、都市計画を練ることで新しい都市がつくられていくのだが…。


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小川裕夫
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