塩で育った山岳都市・大町の生きる道
通い続けた長野県大町市
東洋経済オンラインに寄稿した“あの地方駅が「北アルプスの玄関口」になるまで”は、北アルプスの玄関でもある大糸線の信濃大町駅を取り上げた。
これまで東洋経済オンラインに寄稿した原稿は、取り上げた駅を軸にその自治体の政策や都市計画といった内容にフォーカスしている。今回の信濃大町駅でも、それは踏襲した。
信濃大町駅は大町市の中心駅となる存在だが、登山愛好家や出身者・在住者でなければほとんど利用することはない。鉄道マニアは存在は知っていても、実際に下車したことがあるという人はかなり少数だと思われる。
それだけに、かなり不安要素もあった。これまで東洋経済オンラインで取り上げた駅は、東京・神奈川・千葉・埼玉の1都3県にある。そして、多くは自治体名を冠する中心駅だった。
信濃大町駅は市の中心駅だが、長野県の長野市や松本市といったメジャーな市を差し置いて取り上げる必然性はあるのか? 1都3県の枠からはずれるにしても、もっとメジャーな駅を取り上げるべきではないか? そんな葛藤もあった。
なぜ、信濃大町駅を取り上げようとしたのか? 実は2018年10月から、取材で断続的に大町市を訪れる機会があったからだ。その際、長野駅からレンタカーを借りて大町市を回ったり、中央線-篠ノ井線-大糸線と乗り継いだり、高崎線-しなの鉄道を使ったりするなど、いろいろなルートで大町を目指した。
北アルプスという観光資源をどう活かすのか?
また、いろいろな立場の大町市民から話を聞くことができたのも収穫だった。観光振興に取り組む人からは、大町で氷河を見られることを教えてもらった。
それまで通説では、標高が3000メートルを超えないと氷河は発生しないと言われていた。標高1700~2000メートルの北アルプスで、氷河が発見されたのは、これまでの学説を覆す発見だった。
その奇跡ともいえる発見は、近年になってのことだ。大町の氷河が学界などから認定されたのは2018年。古くて新しいコンテンツが、大町の観光を変える可能性は高い。
険しい山々と異なり、大町の氷河はわりと簡単にアクセスできる場所から見ることができる。これからの大町は氷河を見られる山岳都市としても売り出していくことになるだろう。
塩という武器
もうひとつ、大町市を取材していて、内陸部でありながら大町は塩によって育まれた都市だったということが気になった。江戸期まで、塩の大半は瀬戸内海で生産されていた。
瀬戸内海の塩生産地は10か国なので、十州塩田と呼ばれもした。戦国時代、自国領でも製塩は試みられているが、多くは十州塩田から塩を輸入するしかなかった。
徳川家康の江戸入府前後、関東でも製塩が試みられている。千葉県市川市の行徳でも塩田が開かれた。人間が生きていくうえで、塩は必要不可欠。だから行徳塩田も重宝されたが、十州塩田で生産される塩と比べると、明らかに品質は悪かった。
内陸の松本藩は太平洋側からの塩輸送を禁じた。その理由は定かではないが、一説には軍事的な観点からとされる。そのため、西回り航路による北前船が、糸魚川で塩を積み下ろし、そこからボッカと呼ばれる運び屋によって松本藩まで届けられる。
糸魚川から千国街道を通って松本までの行路は、約7日前後で行き来するので、途中にはいくつかの宿場町が形成された。千国街道の中でも、大町は重要な宿場町となり、内陸にありながら塩によって繁栄した。
明治になると、松本の南側、つまり太平洋側から塩が輸送されるようになる。そのため、栄華を誇った大町の塩問屋は衰退。明治期、大町は登山客を増やすことで生き残りを図った。
水を工業振興に活かす
その後の大町の歩みは紆余曲折ある。北アルプスから湧き出る水を利用して電気をつくり、それをアルミニウムの精錬に使う。アルミニウムの精錬には大量の電気が必要なため、大町は最適地だった。そのため、巨大なアルミニウム製造工場が建設された。
最近では、北アルプスの湧水を飲用水として利用することに活路を見出そうとしている。大町にとって、北アルプスは単なる観光資源なだけではない。工業用水・飲用水という市民の暮らしと財産を保つ、まさに生命線なのである。