【書籍・資料・文献】『電力改革』(講談社現代新書)橘川武郎
福島5区から見た卒原発
3.11の東日本大震災は災害史にも残る、甚大な被害をもたらした。時限的に設置された復興庁は、10年という歳月を経て閉庁することが決められた。しかし、引き続き復興への取り組みは進められる。そのため、後継の組織づくりも始まっている。
3.11が災害史に記録される点は、被害が大きかったことのほかにも翌日に起きた福島第一原発事故が起因している。原発事故によって故郷を追われた被災民は数知れず、一時的に廃退してしまった地方を再生させることは容易ではない。
長らく避難していれば新たな地にも愛着が沸くし、新しい暮らしが始まってしまう。子供がいれば学校のことが気になるし、働いていれば仕事での関係も築かれる。家の周りにだって、町内会やらPTAやらといったコミュニティが生まれる。新たな人間関係が構築される中で、再び帰郷しようと行動を起こすことは簡単な話ではない。故郷に強い気持ちを抱いていても、越えなければハードルはいくつもある。
震災後、初めての衆議院選挙が2012年12月に施行された。この選挙では、被災3県の岩手県・宮城県・福島県に注目が集まった。なかでも福島第一原発が立地する福島5区は、大注目された選挙区だった。このとき、自民党は野党。対して、先の総選挙で政権を奪取した民主党は一体性を欠き、分裂気味になっていた。
民主党からは国民の生活が第一、新党きづななどが新たに立党。さすがに民主党から分裂した政党が乱立したため、これらがまとまって日本未来の党が結成される。未来の党では原発廃止の政策を盛り込んでいたが、党首に就任した現職の滋賀県・嘉田由紀子知事は、結党会見でそれを「卒原発」と形容した。そして、「卒原発」を掲げて選挙を戦うことを打ち出した。福島第一原発のお膝元である福島5区から出馬した自民党の坂本剛二候補も、支援者との集会で繰り返し「卒原発」を口にした。
福島原発のお膝元議員が語った原発の行方
私が取材で訪れた個人演説会場は、いわき市の中心から離れた場所にあった。公民館をさらに小さくした自治会館のような集会所には、後援会をはじめ地元の町内会の方々が集まり、立候補していた坂本候補の演説に耳を傾けた。とはいえ、集まった人々ほぼ全員が自民党もしくは坂本候補の支持者。だから、集まった人たちは演説を聞きに来たというより、坂本議員や自民党との親睦を深める・結束を確かめるといった意味合いが濃く漂っていた。
坂本候補の話に特段に際立った話はなく、とにかく民主党に政権は任せられないということに話は終始した。国民の期待を一身に背負って発足した民主党政権は、有権者たちを激しく落胆させた。その理由は、いくつかある。なかでも、権力争いに端を発する党内の諍いが表面化したことは、民主党に投票した無党派層を裏切るには十分だった。
2012年の総選挙は、事前から自民党の勝ちが見えていた。問題は、どれだけ自民党が議席を獲得するか? それは、事前の予想を大きく裏切るほど自民党の大勝に終わるわけだが、選挙戦のさなかにあっては候補者は真剣そのもの。いくら優勢が伝えられたところで、気は抜けない。特に、坂本候補は前回の2009年選挙で落選し、比例復活もできなかった浪人中の身。それだけに、絶対に負けられない戦いでもあった。
福島5区は原発のお膝元だけあり、原発関連産業に従事している市民も少なくない。そうした原発を仕事にしている支持者もいる。一方、原発で家を追われる人もいる。原発事故の記憶が鮮明だった2012年において、「脱原発」も「原発推進」も両者を刺激しかねないインパクトの強い言葉だ。それらの言葉を使うことにためらいもあっただろう。かと言って、地元選出の政治家としては原発問題に触れないわけにもいかない。そんな苦しい状況から、「卒原発」が生み出されたと察せられる。
奇妙な選挙だった福島5区
この衆院選において、福島5区ではもうひとつ奇妙な動きもあった。坂本候補が負けられない戦いだったのは、浪人中という自身の境遇にもあったが、なによりも吉野正芳議員の存在が大きかった。
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