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家庭料理は美味しくないもの、という認識を広めたい
先日SNSで見た冷凍食品メーカーの広告で、違和感を覚えたものがある。
……
主人公は年少さんくらいの女の子。 お母さんが赤ちゃんを出産するということでおばあちゃんの家に預けられる。
おばあちゃんは手作りにこだわりがあるようだけど、お母さんは「最近の冷凍食品は美味しいから」と言い置いて入院する。
次の日のお弁当、おばあちゃんは張り切って女の子の好物唐揚げを作るが食べない。
そこでお母さんが言っていたことを思い出し冷凍食品を使うと嬉しそうに完食する。
「いつも誰が作っても同じ味で安心!」
おばあちゃんは 冷凍食品を見直す。
……
いやいやちょっとまって。
お母さんと会えなくて寂しい女の子が、お弁当でお母さんを感じられて嬉しいという気持ちは分かる。
でも家庭料理がいつでも同じ味である必要はないと思う。
家の料理にはその日の事情や気分が反映されている。
あれ作ろうと思ったけど材料が足りないから代用しよう。
思ったより時間がないから切っただけ。
家族がカゼ気味だからレシピをこう変えよう。
あの子あれが好きだったよね。
こんな試行錯誤の結果、傑作が生まれることもあるが、大体はビミョーな味になる。食べられれば許容範囲。笑える、ネタになるほどの不味さでもない。
お袋の味が美味しかったように感じるのは大いにノスタルジーが加味されているからだよ。
でもその過程、食卓に出るまでのストーリーがイイんじゃないか。子どもの舌も鍛えられる(?)。美味しくはなくても、そのストーリー込みでその人にしかできない味がお袋の味(おとんの味)だと思う。
冷凍食品が悪いと言ってるんじゃない。
忙しかったりお母さんの体調が悪い時だったり、頼れる強力なパートナー。
でもそれは選択肢の1つ。
他のものは排除するというのはなんか寂しい。他の国の見たこともない料理(=文化)は試しもせずに嫌うようなスタンスと共通するものを感じる。
そもそも家で食べるものなんて、決して美味しいものじゃないよ。
「いつも美味しくなきゃ」
「見た目がキレイじゃなきゃ」
その強迫観念が実際の手間以上に料理を億劫にさせているような気がする。
大体日本のお弁当凝りすぎ。世界のお弁当を特集した本を見たことがあるけど、こんな種類の多いおかずを彩りよく詰めているお弁当は他にない。キャラ弁なんて、概念自体がすごすぎる。
(でも皆がそうだから、あんまり雑なお弁当だといじめられるのかなあ…?)
SNSとかで料理上手な人の写真付きレシピを見るのもプレッシャーだよね。 みんなが上手にやってる気がしてくる。 でもあれは全員じゃなくて上手な一部の人。
適当な、レシピも名前もない、料理とも呼べないような料理を気軽に楽しもうよ。
そしてそれをウッカリ持って行っても、許してくれる社会であることを願ってる。
昨日の夜ごはん
サバ
ナスとピーマンの出汁びたし
味噌きゅうり
クラムチャウダー
夫が会社で出汁パックをもらってきてくれた。
味噌汁に使うのもなんだかもったいなくてナスをつけてみたが微妙だった。
家で作るものなんていつもこんなもんだ。食べられたからよし。
今日もごちそうさま。ありがとう。
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