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書籍「木漏れ日に泳ぐ魚」読了


https://booklog.jp/users/ogawakoichi/archives/1/4167729032

◎タイトル:木漏れ日に泳ぐ魚
◎著者:恩田 陸
◎出版社:文春文庫


小説とビジネス書の一番の違いは、小説だからこそ存在する「登場人物」への感情移入だと思うが変だろうか。
そもそも比較することではないことは承知している。
しかし、読み進める内に、ビジネス書については「へえ」とか「はぁ」とか、「自分と異なる考え方に触れること」に対して感嘆するが、小説はそれが真逆。
代わりにあるのが、まさに登場人物への感情移入だったり、物語へののめり込みだったり。
なぜ読書している自分自身が、小説の中の主人公になった気分で読み進めてしまうのだろうか。物語に入り込んでしまうのだろうか。
もちろんそうならない小説も存在するのだが、本書は妙に自分とのシンクロ率が高かったと感じている。
物語の最初の場面から、情景が目に浮かんだからだろう。
これから別れる男女の話かと思いきや、物語が進む内にその様相が変化していく。
最初は空っぽの部屋すら目に浮かんだ。
最後の荷物となるスーツケースをちゃぶ台代わりにして、別れの酒宴を催す二人。
そんな物語の始まりから、どうなったらあんな展開になっていくのだろうか。
しかしながら、場面は同じガランとした部屋の中の、たった二人の会話劇なのである。
もちろん設定的に無理がない訳ではない。
しかしながら、それを覆すだけの展開の妙かと思う。
「ドミノ」では、多人数の登場人物が一つの結末に向かって収束していく感じが心地よかった。
本書の「木漏れ日に泳ぐ魚」は、逆である。
たった二人だけの一室の場面から、物語が拡散していく感じ。
だからと言って、とっ散らかって収拾がつかなくなる訳ではない。
収まるところに収めるのが、作者の力量なのだろうと思う。
確かに何も気にせず、一気に読み進められた。
続きが気になって先を読み進めてしまうのは、当たり前だがビジネス書ではなかなか体験できない部分だ。
読後に心が豊かになった気がするのも心地よい。
仕事の事情もあるが、今までは読書がビジネス書に偏り過ぎていた。
論理的な言葉よりも、感情に訴える文章を読みたくなる時がある。
今後は小説も出来るだけ読んでいきたいと思う。
(それでもビジネス書がメインになると思うけど)
(2023/5/5)


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