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書籍【人類はこうして戦争をやめることができる】読了

https://booklog.jp/users/ogawakoichi/archives/1/4344938186

◎タイトル:人類はこうして戦争をやめることができる
◎著者:本田幸雄
◎出版社:幻冬舎ルネッサンス新書


世界から戦争を無くすことは本当にできるのだろうか。日本は第二次大戦終結後、一度も戦争を行っていない。
それは日本が平和を目指す素晴らしい国家だから、ということでは決してない。
たまたま、日本を攻める国がなかったから。ただそれだけだ。
もちろん攻められないように、国家として最大限の努力をしている。
その結果とも言える訳であるが、国民レベルで、その意識を持っているかと問われれば、疑問があるところだろう。
逆に言えば、戦うことを全く意識せずに、戦争がない平和な世の中を生きることは、何と素晴らしいことか。
日本国民を平和ボケ、お花畑と例えることもあるが、今平和で生きていられることに、本当に感謝である。
平和とは、本来不断の努力によって獲得するものである。
待っていても、勝手に誰かが与えてくれるものではない。
日本は素晴らしい財産を沢山持っている。
確かに化石燃料などのエネルギー資源は持っていないかもしれないが、四季折々の風土、水資源や海洋資源然り、とにかく他国にないものを沢山持っている。
そして、例えば中国やロシア、北朝鮮側から見れば、太平洋に出ていきたいと思った際に、そもそも日本という国が邪魔でしょうがない。
もし日本という国土そのものがなければ、中国、ロシアは何の障害なく太平洋を航海できるのである。
海洋を自由に使えるというのは、海洋貿易も自由になるということであり、海洋資源へのアクセスも容易になるということになる。
冗談ではなく、中国は虎視眈々と狙っている。
「我々が世界の中心である」という中華思想が根底にある以上、日本国土が存在しているせいで、世界の海を自由に行き来できない状況というのは、許され難いことなのだ。
だから日本人はお花畑のままではいけないのだが、それでは「軍事力を強化さえすれば安泰なのか」と言えば、そんなことは決してない。
本書で記載の「創造と模倣・伝播の法則」の通り、軍事力は一方が強くなれば、他方もそれに合わせて増強していくので、お互いの力は必ず拮抗してしまう。
結局、軍事力は科学技術力とも連動しているので、世界一の科学技術力を持っているところが、イコール軍事力も強力ということになる。
その科学技術の発展の結果、「核」という人類を滅ぼすことができる兵器まで開発されてしまった。
アメリカが原爆を開発し、結局ソ連(現ロシア)がそれに続き、今は各国が他国に侵略されないように核を保有するというエスカレーション状態になっている。
特にロシア-ウクライナ戦争では、「ウクライナが核を保有していなかったから、ロシアが侵攻したのではないか」という意見も出てきたりしている。
こうなると各国とも「やはり核兵器を持たなければ、攻められてしまう」と思ってしまう。
ロシアのプーチン大統領は、今でも時折「核使用」をちらつかせてくる。
本当に使用すれば、その場合世界がロシアを許すはずがない。
しかし、もしアメリカや他の核保有国が、ロシアとの核兵器の打ち合いになったら、その時には人類は間違いなく滅亡してしまう。
核の打ち合いによる人類滅亡を回避したとしても、武力を武力で抑え込もうというのだから、一発触発で第三次世界大戦に突入する危険性すら孕んでいる。
過去も、軍事力という武力による脅しで、大人しく言うことを聞いたという例はほとんどない。
包囲されればされるほど敵対心に燃えて、結果的に大規模な戦争に発展するのが、歴史の常だ。
それは第二次世界大戦に突入した日本もそうだっただろうし、例を挙げればきりがないだろう。
一方で、国際社会を黙らせるには、武力以外に方法がないことも厳然たる事実なのだ。
話し合いですべてが解決するならば、過去にだって戦争が起きたはずがない。
結局、人類は戦争を止められないのだろうか。
本書の趣旨としては、国連憲章第51条の「集団的自衛権」の項目が挿入されたことが問題だとして、元々の原案ではこの項目が含まれていなかった点を指摘しつつ、本来の原案であった「ダンバートン・オークス提案(DO案)」に立ち返って再構築すべきだ、ということを主張している。
すでにある第51条を放棄することは現実的には難しいと思いつつ、それではどうするか、という点にも言及している。
その論理展開の中でも「日本国憲法第9条」にも言及されていて、改めて考えさせられる意見が記載されていた。
今日本では憲法改正が議論されている。
確かに私自身も日本国憲法について、特に第9条の戦争放棄については、GHQから押し付けられたものという印象を持っていた。
今国内では、国防のために、ここをどう改正するかの議論がされているが、制定の経緯を見ても、決して押し付けられてそれをそのまま鵜呑みにした訳ではなく、短期間ではあったが様々な試行錯誤が繰り返された経緯があったことは初めて知る話だった。
しかも制定の国会審議については、賛成が大多数での結果。
世界に類をみない、平和主義を理想とする憲法が誕生したが、これが敗戦国の国民の願いであったことは間違いない。
当時を生きた人は「戦争はもうこりごり」という気持ちだったのではないだろうか。
家族を亡くした人も多かっただろうし、無一文になって自身の未来を悲観した人も多かっただろう。
そんな中で、世界を平和にするために自ら戦争を放棄するというのは、理想かもしれないが、願いだったのではないだろうか。
結果、日本国は現在に至るまで、一度も戦争をしていない。
憲法改正の議論よりも、実は「どうしたら戦争を回避できるか。平和な世界を作れるか」を議論したいものである。
世界情勢が厳しく、日本の周囲は敵だらけだと想定すれば、それらの話は理想論として一蹴されてしまう。
しかし、相手を敵と見做して、軍備を増強していけば、相手もエスカレーションしていくだけだ。
理想は国際連合がきちんと機能して、強制執行できるだけの武力を備え、世界の平和を監視することだ。
しかし現実的に、ロシア-ウクライナ戦争においても、国連の機能不全が露呈してしまった。
「人類はこうして戦争をやめることができる」は、遠い理想かもしれないが、目指すことが必要なことだと思う。
武装的な考えで「やられたらやり返す」を繰り返していたら、世界は必ず滅亡する。
今のアメリカ、中国、ロシアという大国が、まずは国連の理想に賛同して世界をリードしなければならないが、現実は相当に難しいだろう。
アメリカ大統領にトランプ氏が再選すれば、また世界は「世界平和よりも、自国ファースト」に偏ってしまう。
人類は本当に戦争を止めることができるのだろうか。
私自身は答えを出せないでいるが、相当難しいことだとは思っている。
現実的なところで「日本が戦争に巻き込まれないようにするにはどうすればよいか」は、様々な戦略があるような気がしている。
現状ではその対策も足りていないと思うのだが、とにかく平和を願いたい。
今の我々は、未来にこの平和な日本を残していく使命がある。
だから「自国ファースト」に偏ってしまえばよい訳でもない。
平和な日本を未来に残すためには、世界も平和になる必要があるからだ。
戦争だけでなく、地球温暖化の課題も、人口増による食糧危機、行き過ぎた資本主義による格差拡大の問題など、様々な課題がある中で、我々はどういう世界を創っていきたいのか。
戦争は無くならないかもしれない。
しかし止めることは出来るかもしれない。
人類の叡智を結集して、取り組むべき課題だと思うのだ。
(2024/9/15日)


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