黒歴史を数えろ
黒歴史という言葉がある。
隠したい、今考えるととんでもなく恥ずかしい過去のことを表すことが多く悪い意味で用いられる言葉。
実はガンダムシリーズの1999年に放送開始された「ターンエーガンダム」の劇中で用いられたのが初出である。(劇中での意味は今日私たちが認識しているものとは少し違う)
この黒歴史は「無い方が良い」「触れちゃいけない」ものと思われがちであるが、最近この考えに変化があった。
現在の私は、黒歴史に対し「あること自体は悪いことではなく、むしろ多い方が良いくらい」という解釈をしている。
それはなぜか。
この考えに至った論理を順に書いていく。
まず、黒歴史は必ず過去に起きた事象であること。どんな黒歴史もその事象が起きて、大体は数ヶ月から数年が経って黒歴史と認識する。
次に、黒歴史の事象(例えば、喋り方をアニメキャラに似せていたこと)を当時は黒歴史になると思っていないこと。その時はダサいとも、恥ずかしいことだとも全く思っていない。
そして、過去の事象を黒歴史と認識するとき、当事者が過去の自分と乖離していること。まるで自分ではなかったかのように思えるのだ。
これらのことから、未来で黒歴史となる何かを起こした時、そしてその何かを黒歴史と認識するまでの間に当事者に何某かの変化があったことがわかる。
「まるで自分じゃなかったかのような」と思うほどの大きな変化だ。これは、何かを知る、学ぶ、解ることで当事者が大きく変わったことで、過去の自分を受け止められなることで起きることである。
そして黒歴史、つまり悪いことと認識しているということは、今は当時より良くなっていることを示している。
何かをした過去から、何かを知る・学ぶ・解ることで変わり、当時よりも良くなったことで何かが黒歴史になる。
当事者の心に残るのは黒歴史だけで、なぜ黒歴史になったのかは残らない。
しかし、理由にこそ価値がある。
過去に自分がやったこと、他人にされたことが受け入れられないのはわかる。全くもって受け入れる必要はないと思うが、黒歴史になった理由に肯定すべき努力や出会いがあるはず。
冒頭に書いた「あること自体は悪いことではなく、むしろ多い方が良いくらい」のは、黒歴史の数だけ自分が変わり、より良くなっているからである。
プロセスにこそ価値があるという「プロセスエコノミー」の考え方と、「常に逆を考える」という言葉から考えが変わった話。
黒歴史みたいに完全にネガティブに思える言葉でも、逆を考えてみると自分を幸せにすることができるかもしれない。
公開する必要はないが、まずは黒歴史を数えてみよう。
内省内省…
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