見出し画像

AIの作品が気に食わないのはなぜだろう

「この絵、すごいな。」
そんな風に思ってじっくり見ていたら、「AIが作りました」と説明がついていた。

その瞬間、ちょっと冷めるのはなぜだろう?

3年ほど前から、SNS上ではAIが生成したイラストや絵画を見かけるが多くなった。

最初は「明らかにAIの絵」とわかるものばかりだったが、今は「え、これAIが描いたの?」と驚くレベルの作品も少なくない。

精密な線画、完璧な色彩、光と影のバランス。
もし、作者が「この絵は私が描きました」と言えば、多くの人がファンになるだろう。

でも、その作者が「実はAIが作りました」と言った瞬間、なぜかガッカリしてしまう。

「なんだよ、AIかよ」と、少し冷めた気持ちになるのはなぜだろうか?


AIの作品が受け入れられない理由


AIの作品に対する反応には、大きく分けて二つの視点がある。


① 過程の不足

「AIが作った」と知った瞬間、なんとなく価値が下がった気がする。

それは、私たちが「作品には過程があるべき」と思っているからだろうか?

実際、AIの作品には「作り手の努力や試行錯誤」が存在しない。
(出力させるためのプロンプトを考えるくらい)

誰かが何時間もかけて描いたものではなく、短時間で生成されたものである。

② 著作権や倫理的な問題

AIのイラスト生成は、既存の作品を学習データとして使っている。

多くのアーティストが長年培ってきた技術や感性が、無断で吸収され、再構成されている。

「それは盗作ではないか?」という批判が出るのは当然だろう。

技術の進化が、クリエイターの尊厳を壊してしまうなら、それは単なる進歩とは言えないのかもしれない。


私がAI作品に対して抱く感情としては①に近い。

しかし「なぜ過程が必要なのか」という問いに対して、明確な答えを出せずにいる。


AI作品とどう向き合うか


私は風景の写真を撮り、それを作品として販売している。
だからこそ、AIが生成した「写真」には強い抵抗感を抱く。

AIの絵や音楽に対しても、どこか受け入れがたい気持ちがある。

しかし、この機に写真やアートの価値について改めて考えざるを得ないとも思った。

「人が作ったもの」と「AIが作ったもの」の違いは、それを作る過程や背景の有無だろう。

AIで作った作品がバズっていても、「AIで作れたこと」に対する賞賛や驚きが理由がほとんどで、作品そのものに感動している人を見たことがない。

私は、AI作品を無理に受け入れる必要はないと思う。

しかし、AIが生み出すものと既存の価値観がぶつかることで、私たちが「創作とは何か?」をより深く考えることには着目したい。

AIの作品を否定するのではなく、それが生まれたことで見えてきた「人の創作の価値」に目を向ける。

そのくらいのスタンスでいるほうが作り手は健全なのではないかと思うし、AIを踏み台に新しい価値を作れるような気がする。


あなたはAI作品についてどう思うか


ここまで読んでくれたあなたに、ベタなオチで締めさせてもらう。

実は、この文章もAI(ChatGPT)が書いている。
(多少の加筆はしてるけどね)

あなたはこの記事を読みながら、どこかで「なるほど」と思ったり、「たしかに」と共感したりしたかもしれない。

AIが書いたことを知って「なんだよ、AIか」とガッカリしただろうか?
それとも、「別に内容が面白ければいい」と思っただろうか?

おそらく今後、AI作品に対する価値観はAIの進化と共に変わっていくだろう。

今回に記事は、2025年2月の段階で私がAI作品に対して思ったことを記録するために書いたものだ。

あなたはAIが作った作品についてどう思う?


↓ 前回のイワカンニッキ ↓


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集