舞台『朝日のような夕日を連れて』

2024.08.29 上記観測。

ササキが鴻上尚史のファンで、一緒に連れて行ってもらった。

不条理演劇だかで、なんとなく話の本筋は1人の社長令嬢をとりまく男たちのいざこざという感じなのだが、シーンごとに時事ネタをお笑いにしたショートショートのような作りをしている。

オガワにとって「不条理◯◯」は、赤塚不二夫の『天才バカボン』における、「不条理ギャグ」であり、「シュールな」とか「よく分からんが笑える」みたいな、考えたら負けのコンテンツだと思っている。
この演劇も一応はその路線で見ている。

この演目は10年以上公演されており、初めに出てくるおもちゃが時代によって違うらしかった。
オガワはそういうわけで、VRの世代ということで…

2.5次元俳優の批判をしだす場面(個人的にはここが1番面白かった)で、「とうらぶの舞台で歴史上の人物をやってそうだな」と思った役者が、本当にそうだったのが印象的だった。
小松淳弥という人だ。ピタリ賞すぎる。
言葉は呪いになりうる。気をつけろ…と思う。
この人はつまり、ギリギリ「2.5次元俳優ではない」のだ。だって歴史上の人物だから。
多分…あの…「馴れ合うつもりはない…」とか言ってる役者を横で見ながら自分は「人間」の役をしていたのだ。笑い方が「カッカッカ!」の同期を見ながら「人間」の役をしていた人だ。
でも明日から七海建人をやるかもしれない立ち居振る舞いをしている。月島蛍をやるかもしれない立ち居振る舞いをしている。

「物販の売り上げをもっと役者に回してくれ」と叫ぶ場面だけ全員本気の顔をしていた。
まあ分かる。ナカノはなんとか江のブロマイドを100枚買ったと言っていた。

見てきたものや自分の言葉に本当が混ざると、嘘はその強度を増していく。
何度も何度もセリフを読むと、自分の心と同化する。気をつけろと思う。
他の役者はもうテニプリで人気キャラをやった人とか、そもそも年齢的に2.5次元俳優とは呼ばれなさそうとか、大河ドラマに出てるとか、とにかく「これから急に2.5次元に重心を置くタイミングは無さそうな人」ばかりなのだ。
あんただけだ!小松淳弥!気をつけろ!
素質がある!一演目ごときで呪われるな!選択肢を広く持て!どの道人間は表現の奴隷なのだから、全部やれ!

ここまで798文字の杞憂。
「この批判はフィクションです(意訳)」というシーンもちゃんとある。

なんかこう、自由で良かった。言いたいことはよく分からなかったが。
オガワはアニメを作るが、いつも表現したいものを前にしてどうすれば観客に分かりやすいかを考えこむ。
そういう時に、この演目が現れて、「まあ自由にやりなよ、分かりやすさは保証しないが、案外観客が意味を産んでくれるかもよ」と背中を押してくれるかもしれない。

p.s.
小松淳弥、あんステの蓮巳敬人だった!
よかったよかった。全然ちゃんと2.5次元俳優!
それで「この批判はフィクションです(意訳)」のセリフ担当だったのか?
オガワの推しは鬼龍紅郎。紅月だーいすき。