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(2)うんこの話をしよう『サンフランシスコにもういない』

 語学学校の帰り道。僕はルームメイトの韓国人ヤンとともにサンフランシスコ名物の急な坂道を登っていた。その間、僕たちは他愛もない議論をしていた。ヤンは政治に興味があった。だから日韓関係のことや日本国内の情勢について、あれこれと訊ねてきた。
 僕は政治がわからなかった。だから何か訊かれる度にニュース番組で聞き齧ったようなことをかろうじてぽつぽつと答える程度だった。
「この問題についてどう思う?」
 ヤンは英語で訊ねてきた。
「うーん、その問題は、一応問題じゃないってことになってるよ」
 語学学校で鍛え上げた自慢のつたない英語で返す。
――いや、韓国では違う報道だった。
――そうなの?
――その数字について日本での基準はどうなってる?
――日本では世界よりも厳しい審査の基準をつくった。だから問題ない。
――その判断はおかしくないか? そこは第三者機関を設けてフェアなジャッジをしないといけない。
 ……云々。
 結局、日本国内から見る日本と国外から見る日本では、報道のされ方も違うし、一つの問題に対する情報量も違う。僕たちの意見は中々足並みが揃わなかった。
 だからといって空気が悪くなることは決してなかったが、二人の政治的見解はいっさい一致しないまま、僕たちは家まで続く長くて急な坂道をダラダラと歩いた。
 すると路肩にうんこが落ちていた。
 僕たちは歩みこそ止めなかったが、口を動かしたまま二人揃ってうんこの方に首を向けた。
 僕はヤンに言った。
「お腹痛かったの?」
「俺のじゃない。お前、あんなところでうんこするなよ」
「してないよ。でも……」
「Yeah, お前の言いたいことはわかる。デカいよな」
 僕たちは踵を返し、二人でうんこに駆け寄った。両膝に手を着き、一緒にうんこを覗き込む。
「デカいな。これの犬のプーか?」ヤンが言った。
「ヒューマンのプーに見える」
「この大きさのプーは犬だってするぞ」
「確かに。大きさからだけじゃ、わからない」
「このカラーは人間っぽいけどな」
 僕たちはそこで、それまでの政治の議論と同じ温度感で道端のそれがヒューマンのプーかドッグのプーかの議論を始めた。
「あっ、プーの中に何か残ってるよ」僕は指摘する。
「人参か? 野菜を食べてるのか。このプー、においはないぞ!」顔を近づけるヤンは捜査に積極的だ。
「時間が経ってるね」
 僕たちはその変わり果てたプーにわずかに残留した未消化物の痕跡からプーの母なる者の食性を推理し、さらには変色が始まった表面の乾燥具合やにおいの程度などから、脱糞推定時刻を割り出しそうとした。
 二人で集めた知見を総合すると、道端でプーを犯したは犯人は野菜も積極的に食べ、(外見的判断にとどまったが)プーは体温を失ってから既に数時間以上が経過しているようだった。プーの発見時間帯は夕方だったが、周辺には外灯もなかったことから、前日の夜間であれば、十分に人目を忍んでクソすることも可能だという見方が成り立った。
 それからも僕たちは現場の状況を見ながら深い議論を続けた。

 そうして最終的に僕たちはこう結論付けた。
「うん、間違いない。これはヒューマンのプーだ」僕は言った。
「ここまで条件が揃ってたら、これはヒューマンのプーだ」ヤンも同意した。
 驚いた。
 それまで、いっさい政治的見解で合致することなかった僕たちが、初めて意見を一致させたのだ。
 うんこで。
 うんこで僕らはひとつになれる。これがサンフランシスコで僕が得た最も崇高な哲学である。 


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