おじさんはエスプレイドをノーコンティニュークリアできるのか?!:3
10日をすぎて思考はどう変化してきているのか?
ここからの続きです。
前回から
「シューティングゲームのクリアとは?」
この要素が重要になってきていると感じていました。
そもそもシューティングゲームにおけるクリアとはなんなのか?と。
ラスボスを倒して終わり(ゲームオーーバー)の場合もあれば、『ゼビウス』(例が古いですが)のようにラスボスが存在しないループや『グラディウス』のようにラスボスとエンディング演出があるループもありました。
さらに言えば、ハイスコアという要素で考えると、クリア=自己到達でしかなくなりますよね。
つまり、シューティングゲームのクリアはプレイヤーに委ねられていて、どこでやめるかは自分次第。
RPGやアドベンチャーデームでも、クリア後にプレイを続けられるものもありますが、シューティングはそこの自由度が高すぎる。高すぎるからこそ敷居も高いと。
じゃあ、なんで私がノーコンティークリアを目指していたのか、その根元にあるのは何だったのか…
というのが11日目からのプレイになっていきます。
11日目
12日目
ここからプレイの方向性が変わっています。
というのも、ノーコンティニューにこだわる限り、序盤のミスが許されないどころかモチベーションをそいでしまっていたからです。
あーもうダメだ…
やり直しだ…
面倒になってくる…
まさに負のスパイラル。
面白いのに楽しめない。
自分で勝手に間口を狭めてる。
これがアーケードだったらここで離脱していたかもしれませんね。
ここまでノーコンティニューに拘ったのは、『エスプレイド』がアーケードゲームだったからです。
アーケードの場合はコンティニューは連コインにつながります。
ここまでのプレイでアーケードゲーム『エスプレイド』の思考は蓄積されまた。この要素をレビューでどうまとめるのかも考えていかないといけないと感じています。
13日目
14日目
15日目
ノーコンティーではなく、クリアに必要なコンティニュー回数を減らしていく方向になってからのプレイは、先に進めるだけあって視界が広がりました。
ノーコンティニュークリアは、達成するものではなく過程。
この意識が今後のプレイ思考の中心になっていきます。