自分を振り返る@幼少期
自分で認識している12歳くらいまでのことを掘り下げてみたいです。
いい思い出、好きだったこと、うれしかったこと
小学2年生くらいだろうか、大きな箱のプラモデルを
なにかの景品でもらったのをきっかけにのめり込んだ。
数年間は組み立てるだけ、プラカラーで色を塗っても、はみ出るし
下手くそだった。
でも、想像力をかき立てられるプラモに出会うと、欲しくてたまりませんでした。
学校帰りに、プラモ屋によって、車のプラモデル、飛行機、戦闘機、船、バイク、ロボット、いろんなものを眺めては挑戦したいプラモデルを探すのが好きだった。
このプラモデルを作るのが、なぜ好きだったのか。
完成したあとのプラモデルを大事にしていた記憶があまりない。
次から次へと組み立てることが好きだったのかもしれません。
うまく組み立てて完成させることが楽しかったか。
あるとき、小学4,5年生のころ
プラモデル屋のショーウインドウにみんなが制作したプラモデルが
展示されていることに気づいたんです。
自分の作ったプラモデルをショーケースに展示してもらえるんだ!って
私は自宅にある自分の汚く下手な塗装のプラモデルを持って、おじさんに展示したいと伝えました。このときおじさんは、少し苦笑いした記憶があります。
おそらく今思えば、あまりのクオリティーの低さに躊躇ったんだと思う。
それでも何日かして、自分の展示されたプラモデルを毎日帰り道に見ていたら、誰かが、「なんだこれw」と私の展示したプラモデルを指差していて
生まれてはじめて、恥ずかしいという気持ちで、おじさんに取り下げてもらいました。
このときから、私の中に何かが変わり、ショーケースの他人の作品をよく眺めるようにしました。
時代は1980年代、ネットも情報もなく、コロコロコミック、コミックボンボンくらいしか、子供の私には知恵を得る方法がなかったのです。
ある時、プラモデルを組み立てるときに、サンドペーパー(紙やすり)でつなぎ目を研磨すると仕上がりが綺麗とか、下地塗りをしてから上塗りするといいとかそんな記事を読んだのです。
私はお小遣いを持って、当時400円くらいのガンダムシリーズを購入し
ヤスリ、ニッパー、プラカラー、クリアカラーを用意して制作に取り組みました。
いつもなら2日で完成していたプラモデルですが、1週間くらいかけて1つのパーツを意識して、ゆっくりと組み立て、塗装し、仕上げていきました。
自分の展示したプラモデルを取り下げてから2週間後。
新しい作品をもって、プラモ屋のおじさんのところに行きました。
「おじさん、これを飾って欲しい」
おじさんは、少し驚いたような顔をしたのを覚えています。
でもそれは、本当に君が作ったのか?という疑いの顔でした。
自分でも驚いたんです。ペーパーで研磨して、下塗りすることで塗装がまるで違うこと、組み立てきる前に1つずつパーツを塗装して仕上げることで
きれいに仕上がること。
おじさんは、親が手伝ったと思ったのでしょう。
それでも僕は満足でした。その日からプラモデル製作はレベルが1つ上がったと思います。
そんなプラモデル制作も5年生のとき、「エルガイム」というプラモデルをこのプラモデル人生をかけての製作途中に父が、きっとバラバラになっているのを見て壊れたおもちゃだと思ったんでしょう。
学校から帰ったら、捨てられていました。
僕のプラモデル人生は、このとき終わりました。これ以降は一度も作っていないんですね。でも、父を恨むとかなく、「あっ終わったんだね」って思ったくらいです。
小学校5年か6年のときの話ですが、プラモ狂四郎という漫画に僕は感化されていて、その時、主人公のガンダムが魔改造していく姿に憧れていました。
同じことをどうしてもしたいけど、そんな材料や材質がどうやって手に入るのかわからず、親に聞くこともせず諦めましたが、もし、あの領域に踏み込んだら、続けていたかもしれませんね。
本当にプラモデルは100個ちかく作ったかもしれません。
説明書も見ずにできたし、できる改造もした。
キーワード
組み立てる、イメージする、改造が面白い、ワクワクする、完成したら次