【目印を見つけるノート】242. ひとりだけど、ひとりじゃない
12月ですね。
きのうの投稿で『環天頂アーク』の写真を載せましたが、追加情報を。何でも学ぼうと✨理科ですね😉
📕〈「環天頂アーク」は、太陽の中心から上方46度前後の空の高い所に出現します。弓なりの美しい虹色を描き出すことから、逆さ虹とも呼ばれます。
太陽高度が22度前後の時に最もはっきり現れ、日の出の2時間後や日没の2時間前が見えやすい時間帯です。〉
出典:
https://weathernews.jp/s/topics/202011/290055/
写真ももう一度置いておきますね。
⚫きょうだいが多かったのです
さて、きょうはタイトルに書いたようなことを書きます。
私は4人きょうだいの一番上です。
ですので、常に側に誰かがいました。「お姉ちゃんなんだから」という責任も預けられて。
正直、中学生ぐらいになると煩わしく感じるときもありました。集中しているときにワーッと来られるともうムッとしていました🤨
ただ、ひどく落ち込んでいるときは別でした。かれらは放っておいてはくれません。いつもの日常に引き戻される。それで慰められ安心したこともたくさんあります。
もう少し成長すると、本当にひとりになりたくなります。森のケイローンのように。そしてきょうだいもそれぞれ距離感をほどほどに取るようになります。
この、「ひとり」と「ひとりじゃない」のバランスはうちで演習したのかと思います。
私の場合は、「ひとり」として人と関わるというのが性分なようです。それはまったく苦ではありません。ケイローンの話をこの前書きましたが、どこか身につまされました。
⚫ひとりでいること、ひとりになること
昔、仕事で、あるアーティストの方にエッセイを書いていただいたことがありました。「はじめはひとりだったのが、誰かが登場してひとりではない物語を創っていく」というような内容でした。
「そうか、私にもいつかそんな人が現れるのかな」とぼんやり思いました。でもなかなかそうではない。John Lennonが、「誰にでも相手がいるものね」と言っていたのを見て、どんよりしました。
では、誰かとべったりくっついていたら、「ひとり」ではなくなるのでしょうか。
BOB DYLANの『Like A Rolling Stone』はひとりぼっちになってしまう女性のことを歌っていますけれど、元が大金持ちのご令嬢だったので一種の転落といえるかもしれません。ただ、きらびやかな見せかけの世界にいるよりも、ひとりぼっちで見えるものがあると歌い手は言っているように聴こえます。
お釈迦さまは、弟子たちが布教の旅に数人で行こうとするのを見て、「ひとりで行きなさい」と言いました。人は結局、ひとりなのだと伝えたかったようです。
「ひとりの自分」というのはなかなか認めたくないものかもしれません。
ですのでみんな集まりますし、集団の中での立ち位置、肩書などを求めるし、ネットの世界でつながりたいと思うのかもしれません。友だち100人できるかな🎵とフォロワー1000人達成という言葉はどこか似ているようにも思えます。
万事がそうだというのではなく、そのように観察することもあるということ。
私は、「ひとりの自分」が「ひとりの誰か」と響き合うことができたら、ひとりじゃない物語を創っていけるように思うのです。
ぼんやりと抽象的ですけれど。
今の時期は、考えるよい機会かもしれません。
自分に本当に必要なものは何なのか、
必要な人は誰なのか、
守らなければいけないものは何なのか、
ひとりで考えると
そういったことが見えてくるのかなと
私は思っています。
ここでSIONさんの『12月』があったら最高なのですが……断念。
あの曲で私は救われました。
今もとても感謝しています。
クラフトはできるようでしたら、
またのちほど。
それではまた、ごひいきに。
尾方佐羽
(おがたさわ)