【目印を見つけるノート】735. 旅とエトランジェの感覚
お釈迦さま、お誕生日おめでとうございます🙏
おいくつでしたか。
昨日は気がついたら寝ていて、朝まで起きませんでした。爆睡といえるでしょう。
おかげさまで、提出書類をあたふたと朝書く始末です😅
無事フィニッシュ✨でもありませんでした😖
朝ドラ最終回、見ました🥰
素敵な結末が怒濤のように押し寄せてきましたね。最初の舞台が岡山だったり、ジャズがキーのひとつだったり(世良さんの歌も印象強力)、松重さんのセリフを真似したり、ヒロイン3人がばあちゃんなり、かあちゃんなり、自分に思えたりして、本当に楽しく拝見しました。
岡山か🤔
「いつ旅に出ようか」と考え中です。
できれば一週間ぐらい瀬戸内海沿岸に。
二週間といいたいところですが😅
一番濃厚なのが秋の彼岸ぐらいでしょうか。9月20日頃。ただ、台風などもあるでしょうから、10月の初旬もいいかなと思っています。
これは一種の「ひとくぎり旅」設定ですので、スケジュールや行程が気ままでもいいのですが、さすがに「明日から行ってきます」というともろもろ無理があります。ですので、時期だけ大まかに決めて少しずつ仕度をしようと思うのです。
現地で自転車を借りるのは必須です🚲
気ままと書きましたが、実際は7割がたスケジュールをがっちり組むでしょう。残り「3割」というのは余白です。時間が押したり変更に対応するためのもの。
そのためには、ある程度調べなければなりません。
たとえば、霞町から鞆港までバスで所要30分、出発は約30分おきぐらい、片道520円とかそのようなことです。
ふらふらとさまよう感じもたまらないですが、できる限り回りたいと思うとそのようになるのです。何というのでしょうか、取りに行く感じです。
さて、
日本国内の旅だとあまり感じないのですが、外国に行くと時々ふっと陥る感覚があります。あ、初冬の根室の坂の上で感じたことはあったかも。そうですね、深夜2時の高円寺でもあった。
自分が自分でないような感覚。
どこにいるのか分からなくなるような感覚です。
とても不思議で、特定の場所で陥るのです。たとえば、ロスのディズニーランドではあったけれど、グレートアメリカ(ともに遊園地)ではなかったとか。北京の郊外ではあったけれど、万里の長城ではなかったとか、何がそれなのか、説明するのがとても難しいのです。
これを個人的に、「エトランジェな感覚」と呼んでいます。感情ではまったくないですね、感覚です。
ほんの少しだけ自分がぐらつくような、心もとなくなるこの状態が、私は嫌いではありません。たいていそれは自分にとっての変化の兆しである場合が多いです。それを前にして、自分を新たに取りに行くようなものだと受け止めているのかもしれません。
BOB DYLANのこの曲で歌われている人も、ある意味エトランジェな状態なのかもしれません。
Bob Dylan『Like a rolling stone』
How does it feel
To be on your own
という歌詞を見ると、強烈にエトランジェな感じを思い出します。この曲はいろいろなことで疲弊していく女性のことを歌っていますが、歌い手もこの心もとない感覚が分かっているから書けたのではないかと思ったりもします。
憐れむ気持ちではなくて(そう言われていたりもしますが)、共感して悲しんでいるように私には聴こえます。彼女にはそうなってほしくはなかったから。でもストレートにそうは言えないので、この歌詞になる。
結局、ニュースを見ながらこの時間になってしまいました。
今夜もお祈りします。
それでは、お読みくださってありがとうございます。
尾方佐羽
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