言葉の落とし穴
人は物心ついた頃には、言葉というものを聞いたり、話したり、読んだり、書いたりしているから
言葉というものはみんなが当たり前に使えるものだと
当たり前に思っちゃうんだよね。
でも、ここに言葉の大きな罠がある。
例えば、「赤」をイメージしてみて
どんな色の赤が頭の中に浮かんだかな?
オレンジに近い赤
茶色に近い赤
ピンクに近い赤
#FF0000の赤だけが赤だけじゃないんだよね
でも「赤」という言葉を聞いた瞬間に、いろんな可能性の赤は、ある特定の赤色に固定されてしまう。
言葉というものは、限りない可能性のある「それ」を言葉の枠の中に閉じ込めてしまうんだよね。
これは色の話だから、イメージが明確になっていてわかりやすいけど
これがもし、もっと抽象的な言葉だったり、その人の考えについての言葉だったりしたら、、、
これが言葉の大きな落とし穴。
会話をする時は、話し手と聞き手でその言葉に対するイメージに相違が起きることがある
ということを理解して、会話を心がけたいね。
それは、例えば愛
愛しているを好きより大きい気持ちとして使っている人もいるだろうし
大事な人を守る気持ち、家族とかの共同体を見守る気持ちとも捉えられる。
僕は、相手や物事を理解する、とか人との関わることを思うという気持ちを優しさで包み込むようなイメージが愛かな
でも、フラクタルな葉脈や
対数螺旋の形をしたオウムガイ、
泡の拡大写真を見ても
愛を感じることがあって
この辺りも含めて、もっと漠然とした言葉で表すと
この全てを創った何者かの意図に共鳴する感情
って思ってるんだけど、これだとわかりにくいか。
結局ね、
つまり何が言いたかったかというと
みんな、愛してるよ。
っていうこと。
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