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暗黒報道⑤ 第一章

軍事国会を目指す権力VS天才女性記者の知略戦

■シンパからの「スクープ(?)情報」

 大神は社を出て、ホテルエンパイヤー大阪に歩いて向かった。
 ホテルに着いた後、前線本部には寄らずに宿泊に利用している部屋に戻った。毒物混入の事件後、一般客の部屋の予約は次々にキャンセルになったが、代わりに報道機関が全国から応援に駆け付けた記者用に部屋を借りたために、全体としてはほぼ満室状態になっていた。
 大神は部屋に入るとそのままベッドに仰向けに寝っ転がり、スマホで東京社会部デスクの井上に電話した。井上は事件の打ち合わせにリモートで出席していた。
 「どうして同じ会社で東京と大阪でぶつかるんですか。相当険悪な雰囲気でした」
 「昔からだ。地方を回って大阪本社に配属になり長く勤めるようになると、反東京になっていく。今日の大阪の小林デスクはその筆頭だ。なにかと東京を敵視している」
 「なぜですか」
 「本店意識だ。わが社の発祥の地が大阪なのは知っていると思うが、今でも登記上の本店所在地は大阪になっていて、2本社体制をとっている。実態は、すべての機能が東京本社に集中していて、大阪は昭和の時代に比べれば見る影もない状態だが、それでも創業の地であることに変な自負心やプライドを持っている連中が未だにいるんだ。小林デスクはその典型だな。確かに編集権は今でも大阪本社編集局長にもあるし、情報や記事出稿は大阪社会部で集約したいという気持ちはわかるが、そんな時代じゃないだろう。むしろ大阪で起きた事件であっても常に全国を見渡している東京社会部が責任を持って出稿した方がスムーズにいくと思うんだがな。まあ、現場はあまり気にするな。これからは、デスク同士で連携を取り合うことになったから」

 「『気にするな』と言われても無理ですよ。それで、デスク間では出稿は、大阪から一元化するということで話はついたのでしょうか。東西でいがみ合っていたらなんだかとんでもない問題が起きそうです」
 「まだデスク同士で話し合ってはいない。出稿の時に現場が迷うことがあれば必ず調整する。それがデスクの仕事だ」
 「わかりました。井上さん以外の東京のデスクにも情報共有をお願いします。それから東京からの応援を増やしていただけませんか。回る所がいっぱいありすぎて、記者の数が足りません」
 「あまり多くは出せないんだ。下河原政権が次々に新しい政策を打ち出すので、社会部から政治部へも応援を出しているんだ」

 新聞の一面は連日、政治の記事と解説で埋まっている。一方、社会面は、毒物混入事件の続報がメインになっている。
 「新政権の動向は政治部に任せたらいいんじゃないですか」
 「編集担当も入った編集局長室の会議で、マスコミ規制法案については社会部が担当することに決まったんだ。今の政府は、ほかの法案よりも真っ先にマスコミ規制法案の成立に向けて動いている。マスコミ関係者への事情聴取がすでに盛んにおこなわれている。記事についても検閲のようにチェックが入ることがある。どこの社もてんやわんやだ。特にわが社は下河原総理に相当睨まれているからな」

 下河原が、「孤高の会」の別動隊として暗躍した「日本防衛戦略研究所」と組んで政権獲得に向けて動いていた時に、その野望を打ち砕くキャンペーンを展開していたことを言っているのは明らかだった。まさに大神が中心になって粘り強く続けた「調査報道」の成果だった。
 「大変なことになったのは、わが社のキャンペーンのせいであり、私のせいだと言いたいのですか」 
 「そんなことは言っていない。そもそも権力側から睨まれているというのは報道機関としては健全なことだ。その権力が今、暴走し始めている。そのチェックで人が足りないんだ」
 「わかりました。こちらは限られた人数でやっていきます」

 大神は9月4日午前中はホテルに詰めて、午後は朝夕デジタル新聞社大阪本社編集局のフリーアドレスの席で、パソコンに向かった。「毒物混入事件 情報ボックス」という社内の情報ツールをチェックした。取材にあたっている記者らの取材メモが書き込まれている。
 大阪府警捜査一課担当記者による夜回りメモが入っていた。刑事が深夜に自宅に帰ってきたところをつかまえ、玄関先で話をした内容だった。
(記者)「誰が毒物を入れたのか目星はついているのですか」
(警部補)「そうありたいものだが、全くわからん」
(記者)「防犯カメラに不審な人物が映っているという情報がありますが」
(警部補)「いっぱい人が映っているわ。1人1人割り出して事情を聴いている。時間がかかるわな」
(記者)「マスコミ全体を狙ったものなのか、個人を狙ったものなのか。どう見ていますか」
(警部補)「容疑者が浮上してからのことだ。もういいやろう。寝かせてくれ。まだまだこれからや」
 シンパの刑事らしいがまだなにも聞き出せていない。

 会議室で、デスク、キャップらによる今日の紙面構成についての打ち合わせ会が午後4時から始まった。大神も出席した。東京の社会部デスクもリモートで参加した。捜査に進展はなく、社会面でビーフシチューを食べて亡くなった人たちの生前の姿をドキュメント風にまとめることになった。
 会議の途中で、大神のスマホが振動した。警察庁担当キャップの興梠守からのメールだった。

 「大至急、電話をくれ」と書かれていた。大神は会議を中座して廊下に出て、電話をかけた。
 「大神、周りに誰もいないか」。興梠の押し殺した声がした。
 「いません。打ち合わせ会議中でしたが、中座しました。『大至急』とあるけどなにかあったのですか」
 「あったんだ。実は重要参考人が浮かんだんだ」
 「えっ。今、朝刊紙面に向けての打ち合わせ会が開かれていますが、そんな話はでていませんけど」
 「たった今、俺がとってきたんだ。昨夜に端緒をつかみ今、改めて裏が取れた。新鮮そのもの、とびっきりのネタだ」
 「それで、重要参考人は誰なんですか」。待ちきれずに聞いた。
 「ナツキという女だ。春夏秋冬の夏に樹木の樹。有名人だ」
 「夏樹?」。大神にもこの名前に思い当たることがあった。「夏樹って、ひょっとして『悪徳商法』を展開したとして糾弾された水本夏樹ですか」
 「そうだ。俺自身が耳打ちされた。警察庁でもごく数人しか共有されていない。この情報は誰にも言うなよ」

「障子に目ありだ。シンパからの貴重な情報だから誰にも言うな」と、先輩は言う。


 水本夏樹は、瓶詰の「スーパー美容液」を売るマルチ商法の会社を数年前に立ち上げた。「20歳若返る」という謳い文句が大当たりして300億円を超える荒稼ぎをした。アフリカ奥地の「奇跡の木」から採れる「樹液」を加工した高額商品という触れ込みで、夏樹が先頭に立って宣伝に走り回った。美人で若々しく、口が達者な夏樹は、商品説明会に訪れた女性にとって憧れの存在となり、参加者は言われるままに50万円の「スーパー美容液」を次々と買っていき、買った客は自らも販売員となって売り歩いた。
 ところが、宣伝文句が全くのでたらめで、「奇跡の木」などは存在しないどころか、地方の工場で、井戸水を使って製造されていたことが、週刊誌によって暴露された。各地の消費者センターに苦情が殺到し、警察への告訴、告発が相次いだ。マスコミも取り上げて大騒ぎになった。
 「スーパー美容液」を使った悪徳商法として、夏樹はマスコミに追い回されるようになった。美容液商法のシステムは多くのグループ会社が介在しており、金の流れが複雑になっていた。警視庁は、グループ会社など複数個所を家宅捜査して押収した資料を詳細に分析して、詐欺罪での立件に向けて内偵捜査を続けた。夏樹の逮捕は時間の問題とも言われていたが、立件に時間がかかっているうちに、夏樹は姿を消した。

 「水本夏樹が重要参考人って本当ですか? 誰からの情報ですか」
 「俺のシンパだ」
 「シンパ?」
 「誰にも言うなよ。一切、秘密だ。ネタ元は、警察庁の大幹部だ」
 「警察庁ですか。『誰にも言うな』って、どういうことですか。社内で隠すことではないですよね。なんで私だけに言うのですか」
 「夏樹の居場所も割れたんだ。有力な後援者のつてをたどって大阪の道修町の製薬会社でバイトをしながらひっそりと暮らしている。情報漏れを防ぐために、君1人で製薬会社に行き、夏樹に会って欲しいんだ」

「スーパー美容液」は存在しなかった。詐欺商法の張本人が重要参考人?

 興梠と大神はこれまで幾多の事件取材を一緒にやってきた。興梠は大神のネタを引っ張ってくる力、いったんやると決めたら最後までやり抜く粘りとバイタリティ、さらに重大局面に直面した時に、「天性の勘」を働かせて自分で判断して行動できるところを高く評価していた。大神が大阪に出張していることを知り、連絡してきたのだった。
 
 大神のスマホに顔写真が送られてきた。テレビでよく見た女性だった。
 興梠によると、夏樹はホテルエンパイヤー大阪で事件があった当日午前10時半ごろに、ホテルに現れた。最初はロビーのソファに座っていたが、パーティが始まる1時間前に宴会場の前に移動した。その様子が防犯カメラにもはっきりと映っているという。橋詰がホテルの宴会場を担当していた部長から聞き出した「会場を出たり入ったりしていた女」とは、夏樹のことだったのか。
 「すごい情報だと思います。夏樹が本星だったらですが。でも私1人だけであたるってどういうことですか。重要人物に会う場合は2人以上で会うのが原則ですよね」
 「だから、情報漏れを警戒しているんだ」
 「そんな重要な話で情報漏れなんてありませんよ。大阪社会部のデスクには連絡しているんですよね。大阪府警捜査一課はなんと言っているんですか」
 「いや、まだ大阪社会部には言っていない。とにかく大阪に言うと漏れるからな」
 「言っていない? いやいやいや。直接捜査しているのは大阪府警です。あててもらって感触をつかんでもらいましょう」
 「ダメだ、大阪府警にはあててはいかん。うちの記者が確認のために聞きに行った府警の幹部が他社のシンパだったらどうするんだ。ライバル社に漏れてネットで流されたら終わりだ。せっかくのスクープが台無しになるじゃないか」

 「そんな」。興梠のスクープへのこだわりは尋常ではなかった。
 「昨日の打ち合わせ会議でも、東京が勝手に記事にしていると、大阪社会部事件担当の小林デスクから厳重な抗議がありました。井上デスクは今後はデスク同士で話し合うと言っていました」
 「昨日の会議? 俺は参加していないし、デスクからもなんにも言われていない。井上も事件現場をそんなに踏んでいないからわからんのだ。小林は俺の同期なんでよく知っているがひねくれもんだ。奴が事件取材で特ダネ書いたなんて話、聞いたことないぞ。そんなことより一刻を争っているんだ。いちいち口答えせずに言われたことをやれ。これは業務命令だ。社内のごたごたよりも大事なことだ。容疑者が浮かんで、わが社だけしかその事実をつかんでいない。新聞協会賞もののスクープになるぞ。オールマスコミスクープ大賞との同時受賞も夢ではない」。社内のごたごたを起こそうとしているのは、興梠の方ではないのか。大神は食い下がった。

 「大事なスクープだからこそ、慎重にした方がいいのではないですか」
 「お前も本格的な警察取材をやっていないから、そんな悠長なことが言えるんだ。調査報道みたいな時間がかかるもんとは違う。一刻を争うんだ。すぐに製薬会社に向かえ」
 興梠の剣幕は相当なものだったが、それでも大神が黙っていると、「わかった、わかった。デスクには俺の方から言っておくから」と言った。興梠と言い合っていてもどうしようもなかった。「デスクに言う」という言葉を信じるしかなかった。

 「でもホテルにいただけで重要参考人と言えるのですか」
 「動機があるんだ。夏樹は違法なマルチ商法の中心人物だった。だが、胡散臭い商法だと暴露されてからは、テレビを中心に夏樹を糾弾するキャンペーンが展開された。夏樹は記者やカメラに追いかけ回されるはめになった。スーパー美容液商法が失敗に終わったのはマスコミのせいだと思い込んでいる」
 「恨みですか。でもそれだけで、オールマスコミ報道協議会のパーティをめちゃくちゃにした動機になるのですか。しかも多くの死者まで出して」
 「お前にとっては『それだけ』のことかもしれないが、本人にとっては大変なことだ。マスコミに恨みをもっていることは確かだ。だから、あのホテルに行ったんだ。これだけの騒ぎになることを想定していたかどうかはわからんがな」
 「シンパとかいう警察庁幹部は重要参考人とはっきり言っているのですか」
 「シンパとは長い付き合いで、数々の特ダネ情報をもらってきた。これまでの情報で間違っていたことは一度たりともない。大丈夫だ。俺を信頼しろ。俺が何年事件記者をやっていると思っているんだ」

 確かに興梠は社を代表する事件記者だ。警視庁捜査一課担当時代、殺人事件を取材して、「重要参考人浮かぶ」「容疑者を今日逮捕へ」といった特ダネを何本も書き、他社から恐れられた存在だった。伝説、武勇伝はいろいろな先輩から聞いている。警視庁担当キャップを経て今、警察庁担当キャップとして君臨している。社会部に来て5年の経験しかない大神が事件取材で口答えできる相手ではなかった。

 「とにかく、俺を信頼しろ。記事にするときには別の方面からも裏をとる。警察関係は俺に任せろ」
 「わかりました。取材には行きます。ただ、大阪のデスクには必ず伝えてください」
 「わかった、わかった。東京のデスクから伝えてもらう」
 「それで私は製薬会社に行ってどうすればいいのですか?」
 「夏樹が会社から出てくるところをつかまえるんだ。単独インタビューだ。この情報は間もなく他社にも漏れる。急いでくれ」
 「やはり2人で会った方がいいのでは。橋詰を連れて行きます」。後輩の橋詰の名前を出した。
 「お前を信頼して言っているんだ。俺がそちらに行ければいいんだが、そのシンパを今日の夜に接待するんだ。より詳しい情報を聞き出してくる」
 「私が重要参考人に会いに行くことについては、大阪のデスクには必ず伝わるようにしてくださいね」。自分でもしつこいと思ったが念を押した。
 「わかった。急いでくれ」

 急を要する取材であることは確かだ。夏樹が逃走してしまうかもしれない。
 「夏樹本人にどこまであてればいいのですか。『あなたが毒物を混入したんでしょ』とまで言っていいんですか」
 「いい。ずばりあててくれ。そして反応をとってくれ」
 「重要参考人にそこまであてて捜査妨害になりませんか」
 「その点も大丈夫だ。シンパには事前に記者があてることまで了解してもらっている。俺は信頼されているんだよ。捜査一課はすでに行動確認にはいっており、取り逃がすことはない。夏樹が何と言ったかすぐに俺に一報をくれ。そして一問一答形式の記事にしてメールしろ。わかったな」。そう言って電話を切った。

 大神は電話を切った後、打ち合わせ会議に戻ったがすでに終わっていた。
とにかく製薬会社に向かうことにした。もう午後4時20分を回っていた。夏樹の退社時間が何時だかわからないが、通常勤務で夕方だとするとしたら、間に合わなくなる。
 1人でタクシーに乗って製薬会社に向かった。

(次回は、■「容疑者」の女に単独インタビュー決行!)



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