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暗黒報道⑥ 第一章

軍事国家を目指す権力VS天才女性記者の知略戦

■「容疑者」の女に単独インタビュー決行!

 
 製薬会社は、国道沿いに面した広い敷地に、5階建ての本社建物があり奥に工場が併設されていた。石塀に囲まれて中の様子はわからない。大神は、通りを渡ったところにあるバス停に立って、正門から夏樹が出てくるのを待つことにした。
 午後5時過ぎ、正門の扉が開かれた。間もなく、ぞろぞろと社員が出てきた。女性が大半だった。談笑しているグループ、足早に歩く人、スマホを見ながらゆっくりと移動する人などさまざまだった。大神は「この集団の中に必ず水本夏樹がいる」と念じながら目を凝らした。集中して15分ぐらいが経った。最初の集団が出て、人の波が途切れがちになった時だった。黒い帽子をかぶりマスク姿の女が現れた。大神の目が光った。

 「間違いない。夏樹だ」。グレーのシャツに紺色のパンツ姿。化粧も薄く地味な出で立ちだった。悪徳商法の取材でテレビに追われていた時のくっきりとした目鼻立ちに派手な衣装の女性社長の姿ではなかった。
 大神は子供の時から、人の顔や仕草を覚える特殊な才能を持っていた。一度見ると忘れない。多くの人の中から写真で見た人を見極めることができる。それは誰もが持っている平均的な能力だと思っていたが、ひょんなことから、学生時代の親友が大神の特殊な能力に気付いて、「由希の顔認識の能力、相当やばいよ。普通じゃないから」と言い出して、自分でも「そうなんだ」と驚いたのだった。記者になってからもこの特殊な能力が役に立ったことは何度もあった。

 正門を出た夏樹をしばらく尾行した。そして周りに人がいなくなってから声をかけた。
 「水本夏樹さんですね」。女が驚いたように振り返った。大神の顔をけげんそうにしばらく見つめ、「あんた誰?」と言った。
 「朝夕デジタル新聞社東京社会部の大神と言います。お話をうかがいたいのですが」。できるだけ丁寧に話しかけたのだが、夏樹は目を見開いた。そして、怒鳴りつけてきた。
 「いい加減にしてください。あなたたちマスコミはどこまで私を追いかけ回すのですか。大阪の勤め先まで押しかけるなんて。報道被害もいいところです」
 「スーパー美容液商法の件ではないのです」。大神はすぐに誤解を解くために言った。夏樹は「えっ」と肩透かしを食らったような不思議そうな顔をして、「ならばなんですか」と聞いてきた。

 「ここではちょっと。2人で話せるところに移動しませんか」。大神は、通りを往来する人を気にしながら小声で言ったが、夏樹はいらついたように  「だから、なんの件なのかを聞いているの。それも言えないなら話なんかできない」と周りを気にするそぶりも見せずに大きな声で言った。感情が昂ってきているのがわかった。
 「大阪のホルのパーティで起きた毒物混入事件の件です」。大神も覚悟を決めて、ずばりと言った。夏樹は一瞬、目を大きく見開き驚いた表情を浮かべたがすぐに落ち着いた様子に戻り、大神の顔を窺うようにしばらく見つめていた。
 「毒物混入事件? 私になんの関係があるのかしら」。大神が説明しようとすると、「まあ、いいわ。話ぐらいは聞こうじゃないの。でも私は今から、小学3年の娘を学童保育から連れて帰らなければならないのよ。どうすればいいのかしら」。一転して冷静になって言った。

 「お子さんですか」。子供がいるというのは聞いていなかったので大神は一瞬戸惑った。聞くと、小学校はそう遠くない所だった。大神は夏樹が迎えに行く間、近くの公園で待つことにした。必ず戻ってくると確信していた。夏樹の方が興味を持っている様子だったからだ。
 30分ほどたったところで、夏樹が戻って来た。手をつないだ隣におかっぱ姿の女の子がいた。目がクリクリとして大きく人形のようにかわいらしかった。
 警察は、夏樹に対する行動確認を本当に行っているのだろうか。周辺を見渡したが、刑事らしい人物は見当たらなかった。もっとも簡単に見つけられるようではプロとはいえないのだろうが。あるいは、興梠が、でまかせを言ったのかもしれない。

ベンチに座ってインタビュー


 公園のベンチに並んで座った。ICレコーダーを回した。女の子は近くのブランコで遊んでいる。
 「毒物混入事件がどうしたの?」
 「夏樹さんがビーフシチューの鍋にヒ素を入れたのではないかという情報があります」
 夏樹はきょとんとした表情を浮かべて一瞬、間が出来た。
 「私が? ヒ素を入れた? いきなり突拍子もないことを言うわね。驚かさないでよ」
 「違うんですか」
 「違うに決まっているでしょ。あなた、本当に記者なの。名誉棄損もいいとこね。それとも証拠でもあるというの」
 「あります。防犯カメラです」
 「防犯カメラ?」。夏樹の目が一瞬、宙を泳いだ。ふと、我に返ったように顔を振った。そしていきなり、「セイラ」とすぐ近くの少女に向かって名前を呼んだ。「そんなにブランコを大きく揺らしたら危ないでしょ。滑り台の方に行ってなさい」
 
 「はーい」。セイラと呼ばれた子は滑り台の方には行かず、いったん夏樹の所に戻って、ベンチに置いていた自分のカバンの中から、デジタルカメラを取り出した。そのカメラを見て大神は驚いた。記者が使っている動画も撮影できる高級なカメラだった。
 「何をするの」と夏樹が聞くと、「うん、滑り台の横の花壇のお花が綺麗に咲いているからついでに撮影してくる」と言って、走って行った。
 「あの子は少し変わったところがあるのよ。映像を撮るのが好きで得意なの。わがままを言ったことがないセイラが『買って』とねだった唯一の物があのカメラだった」と夏樹が思い出すように言った。娘に大神との話の内容を聞かれたくなかったのかもしれない。娘が遠ざかるのを見届けながら、夏樹は「フー」と息を吐いた。

 「これまでは詐欺事件の容疑者としてさんざん追いかけ回されてきた。私はなにもかも捨てて逃げ回ってきた。そして今度は毒物混入事件の容疑者ですか」
 「マスコミに対して恨みがあるのですよね」
 「確かにマスコミには恨みがある。大阪でマスコミの大会があると聞いたので、会長に直談判しに行こうと思ったことは確かよ。大会なんてめちゃくちゃにしてやれって思った。でもヒ素なんて入れてないから」
 「大阪で大会があるということを誰から聞いたのですか」
 「それは……」。夏樹はしばらく黙っていた。「誰だっていいじゃない。ネット、そうネットのニュースで見たのよ」

 「ホテルのパーティ会場まで行かれたことは間違いないですね」
 「会場で会長を捕まえて直談判しようと思ったのよ。私の気持ち、わかりませんか。わからないでしょうね。あなたも人権など考えない人なのでしょうから」
 「どれぐらいの時間、ホテルにいたのですか」
 「1時間もいなかった。人が増えてくるのを見て、怖くなった。人がみんな敵に見えた。ここで直談判してもすぐに取り押さえられて逮捕されるのではないかと怖くなった。だからやめた。それだけよ」
 「ヒ素は持っていたのですか?」
 「しつこいわね。あなたは私が会場に行ったことを誰から聞いたの?」
 「それは言えません」
 「情報源の秘匿ってやつね。人には聞くだけ聞いて、自分は何も言わない。卑怯ね。どうせ警察からでしょ。ホテルからではない。私が誰かなんてわかるはずないもの。警察とマスコミはいつもグルになっている」
 「ヒ素は持っていたのですか」。大神が繰り返した。
 「そんなもん、持ってなかったわよ」

 「『直談判』をしに行ったというのは本当なんですか? 正直言わせてもらうと、説得力がないのですが」
 「私が嘘を言っているというの? 『ビーフシチューの鍋にヒ素を入れに行った』と言えばあなたは納得するのでしょう。説得力があるとか言って。最初から私が犯人だと決めつけてかかっている。マスコミはみんなそう。あなたは最初見たときは一見、誠実そうに見えたので取材に応じたけど違っていたわ。もういいですか。夕食を作らなければならないので」。そう言うと夏樹は立ち上がった。
 「どちらにお住まいなんですか?」
 「自宅まで言わないといけないの? 夜回りに来るんでしょ。怖いわ」
 「失礼しました。ありがとうございました」
大神は夏樹に頭を下げた。その時、滑り台の方にいたと思っていた少女がすぐ後ろに立っていることに気付いた。少女はじっと大神を睨みつけ、大神の姿をカメラで撮影していた。
 いつからやりとりを聞いていたのだろうか。夏樹も一瞬、驚いたようだったがすぐに、「セイラ、行くよ」と言って手をつかんで去っていった。

(次回は、■「ママは毒物を入れていない」とセイラは言った)

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