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暗黒報道⑨ 第一章

軍事国家を目指す権力VS天才女性記者の知略戦

■美魔女は会見で泣き崩れた


 水本夏樹は神妙な顔で壇上に現れた。製薬会社の大会議室で開かれる予定だった記者会見は参加希望者があまりにも多かったため、300人は入ることができる大講堂に急きょ、変更された。

 夏樹はグレーの地味な服装だったが、登場と同時に舞台がパッと明るく華やいだ雰囲気に変わった。アルバイトをしている時は目立たないように気を遣っていたが、カメラを前にした時の存在感は格別だった。壇上の長机の上には、20本以上のマイクが並んだ。映像でもカメラでも、顔はぼかすという条件だった。

 「朝夕デジタル新聞社の女性記者が勤め先の正門玄関前で待ち伏せして後をつけられた。そして公園で取材を受けたんです。女性記者の質問は取り調べのようだった。娘の前で罪人扱いだった。その翌日の朝刊にあのような犯人視した記事を掲載するということの連絡はなかった。私は誓って言います。ヒ素を入れていません。私は犯人ではありません」。そこまで言うと、その場で泣き崩れた。カメラのフラッシュが一斉にたかれた。

 しばらくして、夏樹が落ち着きを取り戻したところで、太陽新聞の記者が代表して聞いた。
 「本日、警察から事情聴取を受けましたか」
 「話を聞かせてくれというだけです。すべてありのままに言いました。午後4時には解放され、娘を学校に迎えに行きました」
 「マスコミに恨みがあると書かれていますが」
 「みなさんが承知しているスーパー美容液商法の件で、あることないこと書かれて頭に来ていたことは間違いありません。詐欺商法と書かれて、私の会社は倒産し、多額の負債を抱えました。時がたち、落ち着いてきたところで、私の怒りの矛先はマスコミに向かいました。メディアの関係者が集まる大会が大阪で開かれるというので、会長に直接会って抗議しようとした。でもできなかった。それだけです。それがいつの間にか、鍋に毒物を混入したように書かれた。私の人生は真っ暗です。記事は朝夕デジタル新聞だけですし、テレビニュースでもとりあげていないと聞きました。でも、あの記事のおかげで、ネットでは、完全に犯人扱いで実名まででています。もう私は死ぬしかありません」

学会や研究発表などに使われる大講堂。異例の会見が行われ、記者が詰めかけた

 
 「あの日、エンパイヤー大阪に行っていたのは確かなのですね」
 「捜査に関わる細かい話はしないようにと大阪府警の方に釘を刺されていますのでこれ以上は言えません。とにかく、私は毒物なんて入れていません。誓って申し上げます。みなさん、わかってください」
 記者から次々に質問が繰り出されたが「今は言えません」と繰り返すだけだった。

 大神が遅れて会見場に着いた。会見は終わったばかりで、夏樹は会場から姿を消した後だった。
 記者たちが、大神を取り囲んだ。もみくちゃにされた。
 「記事の責任はどうとるんだ」
 「夏樹さんは死ぬしかないと言っているぞ」
 「訂正記事を書くのか」
 「会見は開かないのか」
 さまざまな質問が大神に浴びせられた。大神はすべてに対して「ノーコメント」を貫いて、会見場から逃れた。

 大神はキャップの興梠に電話した。朝から何度も電話していたが出なかった。夜になってようやく電話が通じた。
 大阪の状況を説明した。興梠はすべてを把握していた。
 「夏樹さんは逮捕されませんでした。見切り発車というしかないですね。なんでこんな無謀なことをしたのですか」と問い詰めた。
 「罠にはまったんだ」。大神にとって一番聞きたくない言葉だった。誤報を裏付けているも同然ではないか。

「罠にはまった」とキャップは言った。

 「罠? どういうことですか」。強い口調になっていた。
 「シンパが『逮捕するとは言っていない』と今になって言い出した」
 「罠にはまったって。基本のキを疎かにしただけではないですか。東京の机に座っている警察庁幹部に情報が入って来たからと言って、それはペーパー上の話です。実際に取り調べをしている大阪府警の現場の刑事の感触を取らなければ記事にはできない。興梠さんが一番よくわかっているはず」

 「今回は情報の入り方がいつもと違っていたんだ」
 興梠の説明によると、知り合いの与党の有力政治家から連絡があり、指定された料亭に行った。そこにシンパが一緒にいた。食事をして、酒を飲んでいるうちに、事件の話になり、水本夏樹の名前がでた。シンパは重要参考人として取り調べると言った。
 「政治家は他社の記者との懇談が翌々日にあるので、その時には他社の記者にも同じような内容を話すと言っていた。話すことを止めることはできない。それで俺も焦ってしまった」
 「テープはとっているのですか」
 「とっていない。飲み会の席だ。酔っているときにテープなんてとれるはずないだろう」
 「飲み会の席で出た情報を一面に出稿したじゃないですか」
 「改めて確認はしたんだ。翌日の昼間に。シンパは同じことを言ったし、逮捕するとまで言った」

 「そのシンパは今はなんて言っているんですか」
 「それが、連絡がとれないんだ。逃げ回っているような感じなんだ」
 「逃げ回っているって、犯罪者じゃないんだから。シンパって誰なんですか。私もあたりますから教えてください」
 「シンパの名前まで聞くのか。勘弁してくれよ」
 「じゃあ、改めて取材して、夏樹さんが犯人だと言った根拠を聞き出してください。きちんと追及してください」
 「といってもな。相手は超お偉いさんだからな。追及なんてとてもとても。知らん顔されたらそれまでだ」
 何と情けない姿なのか。泣き言など聞きたくない。

 「だから私は警告しましたよね。大阪府警で確認をとるべきだと。デスクにやりとりしてもらうと言っていましたが、やってくれたのですか。それもしなかったのですか」
 「しなかった。東京の社会部長には言ったけど、デスクには言わなかった。嘘をついた。君があまりにうるさく言うから出まかせで言った。俺もシンパを信頼しすぎていた。でも大阪にも出稿前には連絡はいったはずだ」
 「小林デスクに連絡が入ったのは午後9時だったと言っていました。もっと早く連絡していれば、大阪府警での裏取りも可能だったはずです。一問一答は私の署名記事になっていたけどどういうことですか。本記も含めて全体を私が構成したような印象を読者に与えてしまっている」
 「君に花を持たせようとしたんだ」
 「冗談じゃないですよ」
 「まだ、犯人ではないと決まったわけではない」

 「捜査一課長は断言しました。『現時点で容疑者ではない』と言ったそうです」
 「現時点だろ。まだわからないじゃないか」
 「捜査一課長があそこまで言うのであれば、『犯人ではない』という確証があると考えられます。確たる証拠はなくても、心証として違うと感じているのかもしれません。だから、強い口調で言った。夏樹さんは会見で泣き崩れたそうです。もし犯人だったら会見なんて開くでしょうか」
 「まあ、普通はマスコミが何を書こうが無視するわな。今回の捜査一課長の怒りには俺も驚いている」
 「ネタ元が警察庁筋だということには捜査一課長にはわかっているのではないですか。とにかく怒りようはすごくて、会見が終わった後、大阪府警のキャップが捜査一課長に呼ばれて厳重注意を受けました。刑事部長から編集局長に抗議があるらしい。朝夕デジタル新聞社は当分の間、捜査一課に出入り禁止になった。一課長による日々のレクチャーも聞けない『レク外し』になったようです。大阪社会部の人たちはカンカンになっています」
 「とにかく取材を続けるから。シンパを捕まえて確認する」
 「まだシンパとか言っているんですか」
 「もう勘弁してくれよ」。そう言うと興梠は一方的に電話を切った。

(次回は、■「新社長のクビが飛ぶぞ」。小林デスクは怒鳴った)

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