数学で表す、数学で解く
子どもたちが二人とも中学生になり、娘は受験生なので、最近なるべく毎日少しでも勉強を見ることにしている。気分を盛り上げるためにダイニングの内窓にはまるホワイトボードをDIYしたりして。
今日は中3の娘に数学を教えながら考えたこと、話したことを忘れないように書きとめておこうと思う。
数学で表す、数学で解く
数学には「数学で表す」と「数学で解く」があって、それぞれ頭を切り替えた方がいいと思う、という話。
分数とか、関数とか、平方根とかは、それがないと表せないことがある「数学で表す」ための道具。一方、因数分解とか式の計算とかは「数学で解く」ための道具。計算問題をたくさんやらされるのは、まず道具の使い方を覚えるための素振りみたいなもんだからそりゃまあつまらない。
娘は文章題や証明が苦手で、もしかしたら「数学で表す」と「数学で解く」がごっちゃになってるのかもと。特に文章題や証明問題は、書かれていることをいきなり解こうとするんじゃなくて、まず数式に「表す」。それからその数式を「解く」。この「表す」と「解く」の切り替えが大事だと思う、という話をした。
①「数学で表す」
まずは問題文に書かれてることを(どう「解く」かは考えずに)「数学で表す」ことだけを考える。とにかく問題文を数式にしてみると、目の前になんか謎の数式ができる、という感じ。
②「数学で解く」
ここで、頭を「表す」から「解く」に切り替える。今度は目の前にある謎の数式を(これが何なのかはいったん忘れて)「解く」ことだけ考える。計算マシンになったつもりで「解く」を愚直に進めてみると、目の前になんか謎の計算結果が出てくる。
③「我に返る」
ここで計算マシンから我に返って、そもそも何しようとしてたかを思い出す。するとなんと、問題で問われてたことの答えに辿りついてる!(というか、問題がうまいことそうなるようにできてる。)
ちょっと誇張もあるけどだいたい解ける時の脳内イメージはこんな感じ。いきなり「解く」ことを考えずにまずは「表す」。それから「解く」を進める。すると答えにたどりついてる!
では、教科書に載ってた問題を実際に解いてみよう。
最初から「解こう」とすると、どうすりゃいいのという感じ。
こういうときは「考えすぎるな、進め」だ。
①「数学で表す」
とりあえず書かれてることを数式にしていく。
円周の長さは【直径× π】で、それに道幅aをかけて、、
円の面積は【半径 x 半径 x π】で、大きい円から小さい円引くと道の面積になるから、、
「数学で表す」ための道具としての円の公式や、大から小を引くという発想は必要ではあるけど、とにかく書いてあることを式にしてみる。するとなんか謎の数式ができる。
この時点で2つは全然同じに見えないけど、気にしない。
②「数学で解く」
今度は頭を切り替えて、計算マシンとしてこの謎の数式を「解く」ことに集中する。ここも「考えすぎるな、進め。」だ。どこに向かってるかわからなくても、とにかく謎の数式の計算を進めてみるのだ。
③「我に返る」
それぞれこれ以上進めないなあというところまで計算を進めたら、ふと我に返って、そもそも何をしようとしてたかを思い出す。そうだ、S=alの証明だ。改めてやってきたことを見てみると、、おぉ!どっちも同じや!S=alや!という感じ、、、
一見問題文読んで答えに辿りつける気がしなくても、ある意味機械的に数学という道具を手順を踏んで使っていくと気づいたら答えに辿りついてる。自分でもおぉ!となる。個人的にはこういうところが数学すげーと思うポイントなのだけど少しは伝わるだろうか…。
「考える力」と「考えるための道具」
娘の教科書や授業ノートを見ていると、今の学校教育では、自ら考える力や批判的思考を育むといったことが重視される傾向があるように思う。自分で考えさせようという意図はわかるものの、道具を授ける手前でちょっと話を難しくし過ぎてしまってるようにも思える。(上の例で言うと、証明問題の前に、道の面積と円周の関係を考えてみようみたいなイントロがある感じ。)
「考える力」と「考えるための道具」。自ら考えさせることと、考えるための道具を授けること。相当うまくバランスをとりながら先生が導かないと子どもたちを混乱させてしまうような気がして、今の先生たちは本当に大変だと思う。
ただ、これから先の時代、考えないといけないことってたぶん学校の外でもたくさん出てくる。学校の中でも自分で考えようというのもわかるけど、学校教育はもうちょっと「考えるための道具」を授けてくれる場所という感じでもいいのになあ、今の学校っていろんなことを背負わされすぎてないかなあ、と個人的には思う。
逆にこれからAIの時代に、学校の勉強なんて意味がなくなるという話もあるけれど、もしかしたらこれから必要なのは、一切AIに頼らずに考える力を身につける、でもなく、かといって、わからないから全部AIにまかせる、でもなく、「考えるための道具」としてAIを使うことなのではないだろうか。
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