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教育から見る日韓の民主主義の違い
昨年(2024年)の12月3日未明、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は国民に向けて緊急のテレビ演説を行い、非常戒厳を宣布しました。
大統領が脅威から韓国を守り、自由な憲法秩序を守るためだと説明したのに対して、国会は非常厳戒の解除を求める決議案を可決、市民はデモを決行しました。
この一般の人々の抗議行動は、日本でも多いに取り上げられます。韓国の市民は、自国の民主主義を守るために立ち上がることができる、と。
これに対比して、日本の政治への無関心や無抵抗を批判する論調も多く出ました。
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私は、日本と韓国の民主主義への態度を考えるにあたり、呉善花(オ・ソンファ)氏の著書『スカートの風』を参考にしました。
呉善花氏は、1983年に留学のため韓国より来日、大学院の修士課程修了後は日韓のビジネスで通訳者をしている人物です。彼女の著書『スカートの風』は、平成2年に刊行された、韓国社会と日本社会の課題と現状を綴るルポエッセイになっています。
呉氏は、日本の教育を「一人一人に力がないことを教える日本の学校」と書いています。もちろんこれは中傷する意図ではなく、日本の教育は力を合わせること、協調することを大事にしているということでした。
例えば、10個の英単語の語源を調べる課題を、学生に出したとします。
韓国では、一人でそれら10個を調べ、3個調べた人より5個調べた人、5個調べた人より10個調べた人が優秀だとし、成績が明示されて学生の価値の優劣が打ち出されます。
対して、日本では、幾人かのグループになって、この課題に取り組ませられます。10個のうち何個かをグループで配分して調べ、全員がそれぞれの仕事を果たすことで、課題は達成されます。成績は曖昧です。
ここからは私の推察なのですが、日本人にとって民主主義は、一人一人では不完全な状態から、集団になることで力となるということではないでしょうか。対して韓国では、一人一人に力があると認識している。
日本人の投票率が低い原因の一つに、自分が投票しても何にもならない、無意味だという意識があげられています。
日本人の集団意識は、高い協調性と秩序を導きながらも、同時に、自分は取るに足らない歯車の一つという認識を与えているのだと思います。
そういった物事への取り組み方、ひいては集団意識が、日本と韓国の民主主義体制への反応の違いを生じさせているのではないかと、私は考えました。
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