
「この人たちと共に生きるために、組織になるために言い訳として事業をやっている」(PORTO 嶋田匠さん)
私が好きな、ソーシャルバーPORTOの嶋田匠さんへのインタビュー記事を紹介します。一昨日、newspicksにアップされたものです。(無料で読めます)
最も良いなと思った箇所は以下。
嶋田さん:6周年を経て、僕は事業のために組織をつくっているというより、この人たちと共に生きるために、組織になるために言い訳として事業をやっているというモチベーションが大きいことに改めて気がついて。そこから、既存の営みや経済で前提とされるさまざまな観点での主従関係や優先順位に囚われない営みのあり方を描いてもいいのではと思うようになりました。その流れの中で、人生や生きることの目的が、死ぬことではなく生きることなのと同じで、僕たちの事業に目標を設定する目的は「目標の達成」ではなく「過程の充実」だと思ったんです。
では、過程を充実させるための目標って何だろう?と考えて。
PORTOの目的は利益を最大化することではないことを踏まえると、必ずしも利益を上げるために緊急度や重要度の高い課題を目標として取り組む必要はない。むしろ、店長たちがお店づくりに関わっているという実感が得られたり、共に営むこと自体を楽しめるのが一番大切だと考えるようになりました。
※太字は筆者
嶋田さんは、出逢う前は、「PORTO」や「コアキナイ」など、言葉や概念を作るのが上手で、コンセプト設計能力が高くて、プロデューサーとして優れた人という印象でした。実際、すごいです。
しかし、実際に会って何回か話すことで「周りの人々を愛する、めちゃめちゃ良いやつ」という印象が勝るようになりました。ここでいう「めちゃめちゃ良いやつ」を言語化すると、「より高次の目的のために、人間を手段化しない人」って感じです。
人間が手段化されてしまう現代
コミュニティを設計・運営するときに、コミュニティのための構成員なのか、構成員のためのコミュニティなのか。どちらが主で、どちらが従なのか。という問題がしばしば発生します。
株式会社(コミュニティ)と従業員(構成員)の関係でいうと、ほとんどの場合は、会社が主で、従業員が従です。(そもそも、「従業員」という言葉の中に「従」の字が入っていますね)
すべての従業員は、会社が掲げるビジョンを達成するために必要な働きを求められており、仮に、ビジョンに異議を唱え続けたり、上司の指示に逆らい続けたら、多くの場合は退場させられるでしょう。「●●さんがずっと反対しているから、会社のビジョンを見直そうか」という風には、なかなかなりません。
主となるコミュニティの維持や発展のために、個々の構成員の意思や声を汲み取りきれないことは、会社組織に限らず、国家でも、NPOでも、学校でも、家族でも、部活でも起こり得ることです。
これは、必ずしも悪いことではなく、コミュニティの維持・発展という目的や全体最適のためには、ある種の従属や奉仕の精神は必要なものです。所属コミュニティが発展することが、人生の喜びに繋がることもあります。
(例:自分が試合に出たくても、チームの勝利のためにベンチに下がるように指示されるスポーツ選手)
しかし、それらが行き過ぎ、我慢を強いられることが重なると「人間の手段化」が起こります。多様性があり、意思を持ち、喜びも悲しみも感じる人間という存在が、自分よりも大きな存在を構成する歯車・機能・役割のように感じられてしまうという問題です。
事業や組織は、人のための手段
ここで改めて、冒頭のインタビュー記事に戻ります。
嶋田さん:6周年を経て、僕は事業のために組織をつくっているというより、この人たちと共に生きるために、組織になるために言い訳として事業をやっているというモチベーションが大きいことに改めて気がついて。
嶋田さんの優先順位の中では、あくまでも、組織や事業といったものは、自分と仲間が共に生きるための手段として位置づけています。
多くの人が、唯一無二の私らしさを感じたい、自らの存在価値を感じたいと願っている今の時代に、嶋田さんのような感性を持った人の存在は、非常に貴重ですし、勉強させてもらってます。
何かの言い訳としての事業
言い訳として事業をやっているという表現もおもしろかったです。私も事業家ですが、事業(ビジネス)そのものがしたいというよりも、何かの言い訳(≒手段)として、事業をやっているという感覚があります。
例えば、福島の酒を売るという事業をしていますが、個人的な動機として、以下のようなものがあります。
・美味い酒を好きな人と呑んで笑い続けたい。
・自分が好きな酒蔵さんたちの魅力を伝えたい。(推し活的な)
・「福島ってめっちゃ良い場所だね」ってみんなに思われたい。
・夫婦で充実した時間を過ごしたい。
・仲間と充実した時間を過ごしたい。
・自分たちじゃないとできない創作物を世に出したい。
こういうことを持続可能な形でやろうと思ったら、結局、今やっている事業(ビジネス)という形が最適だから、事業をしているのかもしれません。
そして、上に書いた動機の中でも、「家族や仲間や関わった人の気持ちが充実している」は私にとって非常にたいせつなことです。だから、仲間や取引先が悲しくなるようなことが続けば、仮にたくさんの利益が出て事業が拡大しそうなときでも「これって、本当に続けるべきかな」と素直に問うことができる心の状態でありたいと思います。
(追記)
ポッドキャストでも話しました。
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