未来は過去の再編集だとしたら。福島の過去と未来をどう接続するか。
高木新平さんが今日アップしたnoteが非常におもしろく、膝を打つ内容だったので、記事を紹介しつつ、自分が思ったことを書いてみる。
東日本大震災と原発事故を経験した福島県浜通りでは、政府主導で、福島イノベーションコースト構想というビジョンが描かれ、新しい産業のプレイヤーも多数やってきている。
そうした動きが盛り上がりを見せている一方、元々の地域住民や、過去の文脈を重視する人々からは、「自分たちの知らないところで、大事なものごとが勝手に決まっている」という置いてきぼり感を聞くことも多い。
結果、「私たちは私たちでやっていくので、新しいことをしたい人はご自由にどうぞ」という風に、あっち側とこっち側に分かれてしまうこともあるようだ。
地域の小さな声に対応するために、主に行政主導での「地域住民の声を聞くワークショップ」など、ボトムアップの取組みも繰り返し行われている。しかし、その声が過去への回帰を求めるものや、現状維持を志向するものであった場合に、トップダウンのビジョン(未来志向)と整合性がとれないこともある。
そうなると、なかなか地域住民の声は反映されず、「形だけの聞き取りが行われて、自分たちの声はたいせつにされないんだ」という不満だけが残り、溝は深まる。
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そういった難しさがある中で、高木さんが提示していた「未来を未来として描かないこと。未来として掲げたいことを、過去の歴史の中に見出すこと。」は、立場や視点の違う人々の間に橋を架けるために、かなり有用な考え方ではないかと思った。
高木さんは福岡市の例を、以下のように紹介している。
イノベーティブな取組みでも、地域の歴史・文化を尊重していることが明確な取組みは、地域でも支持を得やすい。「新しいんだけど、どこか懐かしい」というやつだ。
福島県浜通りでは、例えば、相双地域に根付く馬文化に紐づいたHorse Valueであったり、大熊町の特産品であったキウイを軸にしたReFruitsといった素敵な会社があるが、これらは、「革新的で新しいんだけど、地域で育んできた歴史・文化をたいせつにしている」取組みといえるだろう。
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浜通りにおいて、適切に過去と未来の接続が行われ、多様な関係者が、描いた未来を自分ごとと思えるようにするには、何が必要なのか。
1つ具体的に言及すると、描く未来のOrigin(起源)を「原発事故」としてしまうのではなく、それよりも過去に持ってくることが重要と思う。
「原発事故のあった福島県だからこそ、●●という新しい取組みをする場所としてうってつけなのです」
というストーリーは、無数に語られてきているし、私自身も、何百回と口にしてきた。
地域の外にいる人に関心を持ってもらう上でも、この語りは非常に効果的だし、事実として、震災・原発事故のあった地域だからこそ取り組めること、取り組むべきことはたくさんある。エッセンスとして無視することはできない。
しかし、この語りだけでは足りない。この語りだけでは、地域のOrigin(起源)が負の要素に終始してしまう。それだけでは、2011年よりも前にあったものをたいせつにしたい人たちを包摂した未来を描けない。
震災・原発事故からさらに遡って、その土地の歴史や文化、連綿と育まれたもの、愛されてきたものを知り、尊重し、未来と接続することが重要だ。
・時間をかけて地域で育まれてきたものがあった。(過去)
・それが震災と原発事故などによって損なわれた。(現在)
・現代に合った形で再編集され、人々の希望となる。(未来)
やや単純化しすぎとは思うが、こんな流れで考えられると良いのかもしれない。
福島県浜通りは特殊な環境にあるが「震災と原発事故」を「円安」や「コロナ禍」など別の言葉に置き換えれば、他の地域でも同じことが言えると思う。
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自分なら、福島という地域で、どのように過去を再編集し、どんなストーリーを描くか。
この10年ほど関わってきた「食」の領域においては、様々な可能性があると思っているので、食の切り口で描いてみたい。
長くなりそうなので、続きはまた。
※このnoteは、「たいせつなものをたいせつにして生きていく」をスローガンに、福島県郡山市で株式会社エフライフを経営している小笠原隼人が、日々の気付きやできごとについて、毎日更新しています。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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