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つたなさを愛でる。

お気に入りの渡辺康太郎さんのポッドキャスト「TAKRAM RADIO」、最新回は、哲学者の永井玲衣さんがゲスト。渡辺さんも永井さんも好きで、とても素晴らしい回だった。

すべてがおもしろかったのだけど、特に心に残った「つたなさ」に関する対話の文字起こしを引用して、自分の感想を書いてみる。

10:40-

<永井>
どうしてもね。なんかその詩とか哲学っていうとすごくね、選民的というか。できる人はすごいよね、みたいに他者化してしまったりとか。あるいはこの人はすごいって言って崇めちゃう。
(中略)
っていうことがあるんだけども、今の渡辺さんのその課題っていうのは、みんなが詩人になれる場だったと思うんですよね。うん、そういうのをもっと作りたいですよね。

<渡辺>
いや、本当にその通りだと思いますね。みんなが詩人になれる場。最近、ドミニクチェンさんと開催したワークショップは、「つたなさと付き合い続ける」っていうのをやってみて。新しいスキルを身につけようとかなんかゴールを達成しようという時、うまくない自分は恥ずかしい、見せたくないっていうふうになりがちなんですけど、その上達とか成功みたいなのをゴールに置くとそうなるんですけど、つたないことを記録するっていうのをゴールに置いたんですね。記録し続ける方がメインで。上手くなってもいいが、別に上手くならなくていいっていうことにしてみたんです。

それがすごい盛り上がって。で、4回連続のワークショップの課題は、ある人は書道をする。ある人はスケッチをする。ある人はダンスをしてみる。で、いろんな自分が苦手なことに挑戦するんですけど、その創作活動のアウトプットだけでなく、それをやっている自分のその日誌みたいなものを分かち合うっていうことをやったんですね。

これがすごい良くて。普通だったら、「下手でごめんなさい」みたいな感じになるんですけど。そのなんか日誌の方がメインコンテンツなんで。必ずしもアウトプットがメインじゃないんですね。

で、アウトプットを見せるときの掛け声。みんなの掛け声が、なんか新しいのが生まれて、「これいいね」とか「上手じゃない」みたいなのもあるんだけど、一部で「つたないねー」っていうのがあって。それがなんか、あのなんか、けなしてるんじゃなくて、慈愛に満ちた、なんか包み込むような言葉なんです。

で、そのつたない自分と付き合い続けていて、なんか「楽しんでるね」とか、「それをみんなに見せられて、ここはいい場だね」っていうのを肯定するような、包み込む言葉なんですよね。

<永井>
すごい良いですね。

TAKURAM RADIO Vol.255より

うん。すごい良い。「つたないねー」で楽しく盛り上がっている光景が目に浮かぶ。

日々、誰かにとって有用であろうとがんばっている一方で、有用であることとは別に、極めて個人的な楽しみや、弱さやつたなさを価値として分かち合える場をしっかり持っておきたい感覚がある。

その両軸のバランスを取るために、毎日noteやポッドキャストをやったり、つたないながらもお花を生けたりしている気がする。

おもしろいことに、体感として、そういった「すぐには役立たないっぽい自己満の表現活動」をした方が、「すぐにお客様のお役に立たなければいけない仕事」もやりやすくなっている気もする。

きちんと、自分の表現欲求やエゴを満たしてあげると、自分のエゴを出さない方が良い場面では他者本位で考えやすいのかもしれない。逆に自分のエゴが消化不良だと、変な形でそれが滲み出てくることがある。

もうすぐ、宿泊施設もオープンするが、この施設でも、そんな風に、訪れた人が、弱い自分やつたない自分も含めて、自己満足を分かち合えて楽しめるような場所にできると良いかもしれない。想像するとワクワクする。


ちなみに、今回のTAKRAM RADIOは、私が過去回の中で一番おもしろいと思ったこちらの回の続編のようにも感じた。長くなるからこちらは引用はしないけど、この回もめちゃめちゃおもしろくて、とてもオススメ。




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小笠原 隼人
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