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40歳からラーメン屋バイトを9年がんばり、50歳で19時間待ちの人気店を作った人

President Onlineのおもしろかったインタビュー記事を紹介します。

尼崎市の人気ラーメン店「ぶたのほし」の店主である髙田景敏さん(56)が主人公。

髙田さんは以下のような激しい人生を送られてきた方です。

学生起業
→失敗
→手取り1500万円のアパレル企業敏腕営業マン(29歳)
→デイトレーダーとして独立。億単位で稼げるように(35歳)
→リーマンショックでほとんどの資産を失う
→ラーメン屋バイトで修行(40歳)
→ラーメン屋「ぶたのほし」開業(50歳)。現在、19時間待ちができる人気店に

筆者によるまとめ

「人生の成功とは、お金持ちになること」という価値観から、「人生は絶対にお金じゃありません」と言い切るようになるエンディングまで、ストーリーの流れがドラマチックで非常に魅力的。

現在40歳で、50歳になるまでの10年でどんなキャリアの山を築くかに関心がある自分としては、40歳からアルバイトで9年修行したというストーリーが非常に印象が残りました。

かつて、敏腕営業部長として1500万を稼ぎ、トレーダーとして1年で億を稼いだ人が、9年間、ずっとアルバイトでコツコツ修行し続けたというのはすごいことです。それだけ、髙田さんにとってやりがいがある仕事でありお店だったのだと想像しますが。

2009年6月、髙田さんが「地獄」と振り返るラーメン修業が幕を開ける。

時給850円のアルバイトとして入店したのは、奈良の大和郡山駅から徒歩40分ほどの場所にある無鉄砲の支店「豚の骨」。当時、髙田さんが住んでいた大阪市福島区の自宅から片道2時間以上をかけての通勤が始まった。

最初の仕事は、食器洗い。厨房の奥の狭い場所で食洗器の熱気がこもり、エアコンがまったく効かない。湿度90%の熱帯にいるような環境で9時から22時45分まで働き、終電で帰った。2日目には、「もう無理やわ……」と音を上げそうになった。

無鉄砲でスープに触れることが許されるのは、店長のみ。当時、無鉄砲には腕に覚えのある若い店長候補が10人ほど働いていた。40歳のアルバイトがラーメンを作れるようになるには、できる限り早く彼らのレベルに達しなくてはならない。

ではどうするか? 洗い場から早く抜け出したい一心で、髙田さんは全力でアピールを始めた。洗い物を頑張るというレベルではない。休憩に行ってと言われても、「必要ないです」と頑としていかない。それじゃあ会社が困ると怒られると、外に出て、スープを作る大将が厨房の窓から見える位置で腕立て伏せ。

大将から「あきちゃん、なにしてんの?」と呆れ顔で聞かれた時には「ラーメンを作る日に備えて体力作りです」と答えた。

3億円を株投資で失い、40歳で時給850円のバイト…人生に絶望した男性が「19時間待ちのラーメン店」を築くまで

誰にでも応用できる話ではないものの、40歳から新しいことをはじめても、本気で集中して10年かければ、一流になれる事例として覚えておきたいと思います。

ぶたのほしさんの公式サイトには、髙田さん自身の言葉で、創業ヒストリーや仕事にかける想いが書かれていて、こちらも素敵だったので、ぜひご覧ください。


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小笠原 隼人
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