なぜ教職? 1
<採用当時>
大学4年次に、就職活動・教育実習・大学院入試を経て、教員採用試験を受けて合格。大学院進学か教員就職か迷ったが、親に進学金負担をかけさせたくない、との思いもあって進学せずに教員就職へ。
<どんな先生になりたくて教職に就いたのか?>
新任研修等でいろいろ抱負を書く機会があったものの・・・当時は口だけでも「実験を多くする先生になりたい。」と言ってはいた。しかし、行動を伴ってやっていたわけではなかった。そこから、どうありたいかは思考できないくらいに毎日が忙しかった。
初任地での3年間は、自分の中に精神的な仕事の柱が無かったので、なぜこの仕事をやっているんだろう?と思う日々であった。親に負担かけず、ただただ生活を維持していくために働いている感じだった。
※ 今の新任の方々(講師採用の方々含めて)は、とてもタフだと感じる。自分が新任の時からすると、とても立派に堂々と仕事なさっていると思う。
<今に続く、精神的仕事の柱が見つかった>
教職4年目の時に関東で開催された、私的団体による講習会である。
実験をいかにうまく提示できるか? ちょっとしたコツを知っているか? というところを実践さながらで教えていただくことができた。
このとき、「実験って面白い」という純朴な気持ちと、「ここで得たことを1つでも多く後の世代に伝えねばならない」という使命感とを感じ取り、以降、そういう活動を現在に至るまで欠かさず続けてきている。
<趣味の柱が見つかった>
教職5年目のときに地域で何か研修をしなさいとのことであった。そこで、公民館での小学生向け実験教室を行うために、公民館へお願いに行き、実施させていただくことができた。
小学生への指導について、館長さんから多数指導いただきつつ、実験教室を2会場で行うことができた。以来、その街では7年間続けて実施できた。
<イベントプロデュースの仕事>
これまで「講演会」「研究発表会」「全国規模の大会」「学科の実習イベント」など、様々な規模の学校イベント運営に携わった。採用から6年くらいはサブ的な支援であったが、7年目以降は主担当として周りの方々に動いてもらえるように気配りする立場になった。「全国規模の大会」の中心的運営を経て、今は少々のことが来ても 準備をすれば大丈夫だとどっしりと構えていることができる。
また、近年6年間ほどは「総合的な探究の時間」に絡んだ、地域住民や大学関係者との打ち合わせ・インタビュー機会の確保、発表会運営などが多数入ってくるようになった。勤務地で日々、イベントセッティングをする中で企画力は磨かれているのを感じる。
ただし・・・民間との大きな違いは、費用負担が小規模・無銭での実施だということ。多額の費用が絡む利益追求型のイベント運営経験が無いのは、民間の方に比べると弱いかもしれない。
・・・にしても、起こりうるトラブルを回避する想像力、その場でなんとか持ちこたえる発想力は、研ぎ澄まされた実感はある。
<なぜ、教職に留まる?>
架け橋になりたい、という使命感からくるものだと思う。
1つめは、理科実験の今と未来とを繋ぐ架け橋。自分が先輩方から教えていただいた実験技術を次世代の先生に伝えたい。
2つめは、科学と人とを繋ぐ架け橋。今はたまたま、科学と高校生とを繋いでいる状態なのかもしれない。
3つめは、人と人とを繋ぐ架け橋。特に子どもとおとな。新たな出会いから互いに未来をつくるアイデアを生まれることを期待したい。
今のところはそういうことなんだろうと結論付けている。
ただし、何だか、もやがかかった感じにもなっている。今後、掘り下げていく必要がある。