見出し画像

ゴールデンカムイ 200話オガタニゲタの場面で尾形百之助が超ハイテンションだった訳を麻酔の歴史から考えてみる

(ゴールデンカムイ最新話までのネタバレを含みます。筆者は尾形ファンのため尾形に対する贔屓がひどいです。推察が多いので話半分でお読みください。)

ゴールデンカムイ200話の最後に尾形が病院から逃げた場面は非常に印象的です。弱っているはずの尾形が緊迫した状況の中、あの不死身の杉元の手をかいくぐって逃げたというのもありますが、それ以上に逃げてゆく尾形の姿があまりにも異様だったからです。時折見せる満面の作り笑いではなく、薬でもキメたみたいに目がイッちゃっており、大口開けて独特の笑顔を見せています。「薬でハイになってるんじゃない?」という噂が以前からありました。そこで、「あのハイ状態は一体何だったのか」を当時の医療の状況なども踏まえて書いてみたいと思います。

手術までの流れを振り返ってみましょう

流氷問答で眼球を抉り取られた後、尾形は目元を包帯で巻かれ、ずっと寝たきりの状態です。無表情に描かれており意識があるのか無いのか、よく分かりません。しかし、ロシア人医師が自分の病院に連れて行って治療すると言い、橇に積み込まれた場面では明らかに口元が笑っています。即ち、尾形はこの時までに意識を取り戻しており、杉元らの会話に聞き耳を立てつつ、逃亡のチャンスをずっと狙っていたのです。

さて、手術の場面を見てみましょう。手術中の尾形の枕元にはガラスのドームを備えた器具が置かれています。この時、尾形は右目を手術され左目を固く閉じています。眼窩から顔に流れ出す血をアシスタントがガーゼでぬぐっており、口は力なく半開きになっています。(こんな場面でも三角の口がかわいい)

当時の麻酔

尾形は手術を受けているのは1907~8年にかけての冬と推定されています。

この時代にメジャーだった全身麻酔は主に以下の3つだったようです。

・クロロホルム(毒性が強い)

・エーテル(のどの奥への刺激が強かったり引火性があったりで扱いが面倒)

・笑気(安全性が高く現在でも使用されている)

ちなみにこの3つは全て気体として口や鼻から吸入させ、呼吸を通じて体の中に入れていきます。 枕元にあるガラスドームの器具は麻酔用の器具だったりするのかな?………ん?

何かおかしくないですか?

さて、ここで何かおかしいことに気づきますね。

そう、気体の形で吸入させるのであれば、口や鼻を覆うマスクのようなものがあるはずなんです。なのに、尾形の口元には何もなく、鼻や唇がやわらかな光に照らされています。どういうこと?麻酔はどうした?

というわけで、状況から推測すると吸入タイプの全身麻酔ではなく、吸入しないタイプの局所麻酔が使われていたのであろうと推定することができます。つまり、手術中も尾形は意識があり、ロシア語で交わされる医師と看護師(推定)との会話に聞き耳を立てて逃亡のチャンスをうかがっていたことになります。

手術が終わり、医師は外で待つ杉元らに対して「できるだけのことはした しかし呼吸も血圧も弱くなっている 明日の朝までもたないだろう」と告げます。そして複雑な表情で建物に戻ります。

それを聞いて杉元は「……なんとか助けられないか頼んでみる」と言い、泣き出しそうな顔のアシリパさんを残して、医師の後を追います。そして手術室に入る直前に左手を左腰にやり、ドアに手を伸ばします。手術室の中では医師が頭から血を流して倒れ、窓が全開になっています。それを見て杉元は「尾形が逃げた!!」と叫びます。この時杉元の左手には銃剣が握られており、アシリパさんが尾形を殺したことにならぬよう自分の手でトドメを刺しに来たのだということが分かります。

何かおかしくないですか?(2回目)

そう、尾形はこの後戦闘をこなした上で馬に乗って逃亡できるほど元気なのに、呼吸や血圧が弱くて死にそうなはずないんですよ!

実は、最初読んだときは銃剣にも、医師の発言の矛盾にも全く気づいておらず「へー、杉元がそんなに尾形を心配するなんてね~、あとそんなに弱ってたのに、その状態で逃亡するなんて尾形すげー」などと思っていました。

後にネット上で、杉元が銃剣を握っていること、「医師は術後、尾形に脅されて『間もなく死ぬ』と言いに行かされたのではないか」ということが指摘されているのを見て、「なるほど!そういうことだったのか!」と目から鱗が落ちました。と同時に「全然読めてないな」と自分の読解力のなさにあきれました。世の中には賢い人がいるもんですね!すごい…

本稿は、麻酔の話というのは表向きの話題で、本当はこのことで読者のみなさまと一緒に「そうだったのか!」と目からウロコをポォンしたかったのです。(初読時から分かってた方はすごいですよね!え?そんなの当たり前?)

尾形がハイになっていたのは何故なのか?

さて、尾形くんは局所麻酔をされていたため手術中も意識があって、手術が済んだ途端に大立ち回りを演じたわけですが、一体どんな薬を使っていたのでしょうか?

局所麻酔薬としては1884年にコカインが手術に適用されるようになり、それ以降長らく使用されてきました。ただこのコカインは毒性があり、なおかつ依存性が強いことなどから様々な問題を引き起こしてきました。ちなみに、コカインは最初、麻酔として目に垂らして染みこませ、その上で目の手術をしてたそうです。後に、注射で使うようになったようです。

1905年にコカインに代わる新薬として毒性や依存性の低い塩酸プロカインという薬がドイツで合成されました。1909年には静脈注射というやり方でプロカインによる局所麻酔が開始されたとのこと。

そう、尾形が手術した1907年(推定)はまだコカインの使用が一般的だったのです。ヨーロッパなどでは新薬が使われていたかもしれませんが、情報伝達の遅い時代に、ロシア極東の田舎町に新薬が出回るにはかなり時間が掛かったのではないかと想像します。

さて、コカインですが、痛みを止める他、副作用として中枢興奮(陶酔感等)をもたらすと書かれています。どうやら、これこそがオガタニゲタの超ハイテンションの原因だったようです。

全身麻酔なら麻酔が覚めた直後に意識がぼんやりしたり、ふらつきやめまいなどで体がうまく動かない可能性もありますが、幸いにして局所麻酔だったため手術が終わった直後に逃亡のための行動を起こすことができました。状況から考えるとおそらくコカインが使用され、その副作用として中枢興奮(陶酔感等)が現れたものと考えます。全裸にペラペラの布きれを巻き付けて馬にまたがり、後ろからバンバン銃で撃たれているにもかかわらず、両手を広げて「ははッ」っと笑い声をあげていたのはそのせいだったんですね。(作戦通りに事が運んで逃亡が成功したうれしさもあったでしょうけど)

とまあ、今回もその時代の事を調べると、描写の裏付けがきちんと取れてしまいました。目だけの手術なら局所麻酔で良いわけで、その状況なら手術直後に逃亡する事が可能で、当時使われてた局所麻酔薬はコカイン。だからオガタニゲタで尾形はすっかりキマっちゃってたわけです。毎度の事ながら野田先生すごい!

ちなみにこの時の杉元は「馬を狙う」と言いつつ人の高さを狙っていたので、殺す気満々だったのだと思います。当たらなくて良かったね。

それにしてもこの生命力は一体何なのでしょうか?
「死にたがり」どころか超しぶといんですけど!
そういうところがまたファンの心を鷲づかみにするのです。
(贔屓の引き倒し)

ちなみに昔からのファンの人達は、200話ラストの場面をエンゲージと呼ぶのだそうです。杉元が「元気になって戻ってこいぶっ殺してやるから」という言葉が、二人の再会と殺し合いを約束しているから、とのこと。

(追記:煽り文に「エンゲージ」という言葉が含まれていたからとのご指摘をいただきました。煽り文は「殺意と決意の約束(エンゲージ)」だったようです。)

逃亡後の尾形

強い陶酔感に包まれつつ、ギリギリの状況から起死回生の策で逃亡した尾形。1年で一番寒い時期の樺太で、術衣と外套(マント)以外何も持たずに逃亡した彼は、麻酔が醒め手術したばかりの傷の痛みに耐えながら、寒さに震えたことでしょう。

以前にも書きましたがこのあたり出来事を推測を交えながら時系列で書いてみると

11月 狙撃手対決

   尾形療養

12月 亜港到着 待機

   流氷到来

   流氷問答

   尾形療養、月島療養

   オガタニゲタ

1月  静香 ヴァシリ白石を狙撃

   豊原 2週間後に大泊へ移動

2月 大泊 流氷原ができている

   尾形再登場 一等卒をムイムイ

さてこの投稿を行った1月22日は尾形百之助上等兵の誕生日です。

尾形は27歳(推定)の誕生日には、目の痛みに耐えつつ、着る物すら持たず、厳寒期の樺太でひたすら南を目指していたわけです。にもかかわらず戦線離脱せずそのまま任務に復帰しています。一体何が尾形をそこまで駆り立てるのでしょうか?遂に鶴見中尉と対面した尾形。次回304話以降でその謎が明かされることでしょう。

参考

岩医大歯誌 30:137-145,2005

全身麻酔の歴史

麻酔の歴史

コカイン

プロカイン

いいなと思ったら応援しよう!