ニセモノがかけた「呪い」を解除します

見えない世界の住人となって、そろそろ10年になる。
開業したての17年前はこの世界の住人ではなかった、単なるの靈氣の療法家だった。
東日本大震災の一年前にとある霊能者に出会ってしまったばっかりに、気づけばすっかり見えない界の住人です。
いろんなことがありました、いいことも悪いことも。
10年ひと昔とはよく言ったもので、住み慣れてみたら案外水に
馴染んでいく自分がいました。
この世界で暮らしていた方が自分の性に合ってるかもね、と
本当に思い始めたのは、311で被災してこの世界から足を洗って
生きた時代があるからです。
まぁまぁしんどかった、普通の暮らし笑。
社会不適合者かもしんないな、と思いながら暮らしていたわたしを
救ってくれたのは、意外にもあの震災のときに背を向けたはずの神様への信仰心でした。
もしあなたが「霊能者」と名乗るものに出会ったら、信仰する神様が
何であるか、訊いてみるといいと思います。
何も信仰していなければ、ほぼバッタものと思っていいでしょう。
信仰する神様もいない人の霊能力なんて、たいしたことないです、きっと。

この世界に入って、いや、もともとの自分はどんな人間であった、気が付く瞬間ってあるんですよね。
自分の遺伝子が何でできているか気づく、みたいなとき。
わたしの場合は「卑怯者」が本当にダメなんです、もうほんとダメ。
そんな卑怯な人たちに、ずいぶん会い過ぎて、正直げんなりして。
でも、どうしてこんな目にばかり遭うのだろうと思っていましたが。
その答えを脳が教えてくれました(笑)。
そこには自分が一番なりたかったものがあった。

昔、ものすごくワクワクした映画。
人間なりたかったものは、体と脳が覚えています。
そして絶対そこに向かう、そうか、そうだったのかー、って。
特にコロナ禍があって、社会が変わったとき、いつ止まっちゃうか
わからないくらい脆弱な社会なら、そのときに何度でも立ち上げる
ことができるものはなんなの?って問われた気がして。
わたしの場合「逃がす」ことでした、目の前の依頼人をしんどい
現実から逃がすこと。
逃げる、と、退避する、は違うから。
一端退避させる、そして策を練って再び挑ませる。
逃げても何も解決しないけど、退避して再挑戦したらきっと結果は
変わってくると信じている。
そのためにいろいろな訓練を好んでしてきただけだったんじゃないかと。

この世で一番許せないのが、味方みたいな顔して実は搾り取るやつ。
そんな輩は、この業界には残念なことに掃いて捨てるほどいます。
そして、そんなやり方が正しいやり方として増殖している輩もいる。
絶滅すればいいのに、って、本気で思ったりします。
なぜうちにセカンドオピニオンの依頼が集まるのか、わかった気がした。
わたしが逃がし屋を目指しているから。
そりゃ需要と供給のバランスがありますからね、目が合う、そら来るでしょう。

ニセモノが使えるのは「呪い(のろい)」だけです。
彼らに「呪い(まじない)」は、つかえやしません。
どちらも使っているのは言葉です、そしてわずかばかりの呪術。
でも、呪術は料理と同じで型式があるから、型式がわかったら
たいていのものは解除できます。
解除できないレベルのものは、それなりの対価をこっちも向こうも
払っているはずなので、それこそ命をかけるような大事になるで
しょう。
そこまでのお願いをした、という事実からはむしろ逃げている場合じゃ
ないと思うんですよね。
昔お客様でいました、10年前に自分がやった深夜のサバトをなかったことに
してほしいって言ってきた人。
「知らなかったんです、わたしは騙されたんだ」的意見を言った人。
その人はサバトに参加したことも最初は隠していたし、そこでなにをしたのかも正確によく覚えていないといい続けました。
でも、そんな重要なことってぶっちゃけ、忘れないと思うんですよね。
深夜二時に集団で大きな山奥の神社に参拝に行きました、みたいなこと。
少なくともわたしなら絶対忘れない、それを忘れてしまえるような人は逃げる権利もないのではないかと思ったりします。
ま、覚えているから来たのだろうし。
どこまで本当でも、もうどうでもいいけど。
結局自分がしたことからは誰一人逃れられない。
それが「カルマ」と呼ばれるもので、因果の法則なのだもの。
したことはいつかわが身に還る、それからは誰一人逃れられやしない。
逃げられるのは、正当防衛が認められるときだけ。

それでも人は間違うんです。
間違いながら覚えていくのが人間だから。
そこにつけ込んでいくのが卑怯者だし、それが仕事になると詐欺師だし。
そういう輩に出会ってしまったときに、自分の奥底に消えない焔ができる
ことを、なんだかすっかり気づかされたこの自粛生活。
一年、その焔に目をつむってきました。
関わっちゃダメだって思ってきた、もっと力をつけて、とか、もっといろいろ調べて、とか、忘れるんだ、とかいくつもいくつも言い訳を言ってきた。
でも、やっぱり許せないものは許せない、消えない焔はどんどん大きくなるし、許せないものは許せない。
つい最近、そいつらの一人が「神様」って言葉を口にしているのを聞いて、本当に脳天に血が上る思いがしたんです。
あぁ、絶対許しちゃだめだ、こんな奴らを許していたら、世の中が破壊される。
なにより、それを見過ごしたわたしは、一生後悔しながら死んでいくことになるんだよ、って。 

それだけは。
絶対に我慢がならなかった。

絶滅すればいい、いま心の底からそう思っています。
神様の名を騙り、何かをする奴らは絶滅すればいいって。
そう思ったから霊媒師を廃業したのかもしれません。
同じにされそうで、それが本当に気持ち悪かった。
力や賞賛が欲しいわけじゃない、ただ、目の前の人に悲しまないでほしい。
貴方が会いたい逝ってしまった人はただ、あなたに笑っていてほしいんだよ、と。
数百を超える故人にあって、だれよりそれをわたしが知っているんだから。
そう思っているから。
疑うやつはこなくていいし、でも便利に利用したいだけならもっと来ないでほしい。
反対に、騙されたんじゃないかと苦しいなら、あの人と出会ってから人生が変わってしまったと、そう思っているなら。
きっとそこには呪いの言葉が存在しているから。
そんなものは、とっとと解除しましょう。


「逃がしてやるよ、あたしが」

そう、この一言がずっと言いたかった。
覚悟がなかったばっかりに一年前、大切な仲間にこれを言えず。
彼女は、病に苦しんで星になりました。
いま、目の前に彼女がいたら、きっとこういうと思う。
「次は後悔せんように、してな」
それは20年前に逝った親友と同じ願いなんじゃなかろうか、とね。

見えない世界の人と出会ってから、人生が悪くなってしまったという方。
あの霊能者が、あの占い師が、そんな人がいたらご相談に乗ります。
捜して会いに来てください。
もう霊媒師も廃業したから、あと半年もしたら検索エンジンでもなかなかヒットしなくなると思うけど。
でも、それがいいのだと思う。
逃がし屋なんて、たどり着いた人だけが出会える存在だから。
神さまに呼ばれないといかれない神社とか、よくいうけど。
逃がし屋に会わせます、あなたはまだ逃げてもいい。
退避したら、きっとまた挑んでね。
わたしに会えた人は、そう神様に言われた人だと思う。

主神として信仰する京都の神様がきっと、お役目ですよ、とわたしと引き合わせてくれるのだろう。
いまは、そう、信じているのです。



日本に数えるほどしかいない故人の通訳。イタコでも口寄せでもなく三者面談風にお筆書きという自動書記を使い故人と遺された人をつなぎ明日を照らす活動をしています。サポートくださると嬉しいです。よろしくお願いいたします。