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改めて漆黒のヴィランズを振り返る


※この記事は、この世に生を受けた一介のVtuberが好きなことを好きなように語ったエッセイっぽいものです。
※今回はFF14漆黒のヴィランズのパッチ5.5までのネタバレを含みます。未プレイの方は充分にご注意ください。

(以下、ネタバレ防止のために暫く改行有り)













漆黒のヴィランズ、あまりにも自分の心の真ん中に刺さる物語でした。

ヒカセンの諸先輩方こんにちは、トラル大陸で楽しくバカンス中でしょうか。双剣をがっちょんがっちょんさせたりお絵かきしたりしているでしょうか。俺はこれから暁月のフィナーレです。

パッチ5.5クリアからはしばらく経っているものの、このタイミングで改めて自分にとっての漆黒のヴィランズを振り返って反芻して、その上で物語のフィナーレを迎えたいと思い、筆を執った次第です。
相変わらず全ての文末に(※筆者個人の見解です)が付いてたり全体的に奇妙な怪文書だったりしますが、気持ちの整理にお付き合いいただけたら幸いです。

※筆者の過去の記事も見るとより味わい深いかもしれない、悪い意味で






漆黒のヴィランズ好きなシーンベスト3

突然だけどベスト3形式で好きなシーンを振り返っちゃうやつぅ~~~!!!!


第3位:タロース稼働のために命名石を託されるシーン

第一世界の住民が打倒ドン・ヴァウスリーに向けて、一丸となって超巨大タロースの稼働に向けて尽力するシーン。その一幕として、夜の民から「罪喰いから真の名を隠すのはこれでおしまいにする」という決意の下で託された命名石。一つ一つの石は小さくとも、そこに込められた想いは強く重く、次の命に繋げるためにその名を託す、こんな構図大好きに決まってますやん。

後々書きますが、漆黒のヴィランズにおいて「名前」というものは物語上の重要なファクターとして表現されている要素でして、それを強く感じ取れるこのエピソードが第三位でした。あと別件だけどヤシュトラとルナルの関係が非常に好き。本当に好き。関係性オタク荒塚オガミもこれにはニッコリ。



第2位:ウォーリア・オブ・ライト戦の後

パッチ5.3の最終戦を終えての場面。もちろんその前後での水晶公とのやり取りや、少し曲がった背を見せながらひらひらと手を振る彼の存在なども大好きなわけだけども、アシエン・エリディブスが本当に守りたかったもの、忘れてしまっていたもの、それが溢れ出してしまうこのシーンに、何とも言えない感情になってしまうわけです。

そりゃあエリディブスのやってることは控えめに言って悪逆非道ですよ。アルバートの肉体を使って人々を煽動し、水晶公の力を悪用して光の戦士を呼び寄せて、アシエンらしく目的のためなら何だってするその様は今すぐその顔面にブラッドスピラー!!!!って感じ。

でも、最後に残された幼いエリディブスの姿は、ただただ好きだった人たちのために何かをしたかった子供でしかなく、気が遠くなる程の年月を経て擦り切れてしまった彼の姿に対して、確かに怒りも憤りもあるけど、それ以上にただただ哀れだなと、そう思ってしまうわけです。



第1位:アーモロート ~ パッチ5.0エンディング



今さら書くことある?????????


全部好きだが????????????????






番外:ウォーリア・オブ・ライト戦のサブタンクさん

視聴者参加型でIDや討滅戦をしている都合上、特定のプレイヤーに焦点を当てるのはともすれば不平等だったり贔屓に感じられてしまうかもしれない。しれないのだが、これだけは書かせてほしい。

WoL戦で初見MT暗黒騎士で臨む筆者に対して、フレイのミラプリで暗黒騎士として参加して、本来MTが使うべきなのにギミック知らん筆者の代わりにLB使ってWoLの必殺の一撃を受け止めてくれたサブタンク視聴者、あまりにも粋すぎんか?????

当時は戦闘に夢中になって気づけていなかったが、後々コメント等の指摘で状況を把握できてあまりの粋っぷりにハイパーインフレーションのビオラになるところだった。(※ここに書くのはちょっと憚られるセリフなので各自でググってください)




名前の持つ意味

さて、漆黒のヴィランズの良さを語ると枚挙に暇が無いわけだが、一つ代表的なものを挙げるとするならば、それは全編を通して「名前」が重要なモチーフになっていること、と筆者は考える。

真の名を隠した夜の民が世界のために命名石を託したこと、最後の山師が希望を託して夫と子の名前を石に刻んだこと、光の巫女ミンフィリアとしてではなく「リーン」という一人の少女としての生を選んだこと、ともすれば忌むべき名とも捉えられる「ガイア」で在り続けること、光の戦士たちが表面上の意味こそ綺麗な偽りの名を以てはぐれ罪喰いになったこと、名もなきクリスタリウムの民が名を名乗って光の戦士を目指したこと、様々な場面で名前の持つ意味が語られていたと思う。

名前を名乗ることは舞台に上がるということであり、名前を残すことは次に託すということ。そう考えれば、エメトセルクが真の名たるハーデスの名を告げて最終戦に臨むことも、エリディブスが名もなき光の戦士たるウォーリア・オブ・ライトとして顕現したことも、それでもなお個人名ではなくエリディブスという座の名に拘り続けたことも、恐らく自ヒカセンの転生前?の姿たるアゼムの名が語られたことも格別の意味があるわけですよ。

一本の物語としての盛り上がりや緩急が非常に秀逸な上で、その背景に「名前」という一本の筋が通っているのがとても綺麗で、噛めば噛むほど深みが出るのが漆黒のヴィランズなんだなぁと、そう思うんです。

いつか、エリディブスがかつて名乗っていた本当の名を、知る機会が来るといいなぁ。



やっぱりShadowbringers

Shadowbringersの歌詞がヒカセンだけじゃなくてアルバートや水晶公やエメトセルクのことを指している、というのは今まで散々語ってきたわけだが、


ここにエリディブスやWoLが加わると思わんやん~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

やはりFF14サウンドチームには勝てない。こんだけ色んな解釈の余地をお出しされてオタクは耐えられるわけがない。っょぃ。

そんで暁月のフィナーレの「Endwalker」がこれなんだもんなぁ~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
もう和訳の歌詞だけで泣くやん~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!




というわけで最後に宣伝

はい、ここまで散々漆黒のヴィランズに狂ってきた筆者、今日7/20の夜より暁月のフィナーレに突入します。このためにテーマジョブたるナイトのレベリングも頑張ってきました。


本当に一抹の不安だけども、あんだけ漆黒の物語が最高だったのに、そこからの暁月のフィナーレはあれ以上の盛り上がりになるのか!?!?という思いが無いわけもない。

でも多分きっと大丈夫なんだと思う。だってヒカセンの先輩方が太鼓判押してるし。頑張ろう俺。

というわけで、もしよろしければご視聴・チャンネル登録・高評価等で荒塚オガミの終焉の歩みを応援いただけるととっても嬉しいです。あわよくばIDや討滅戦をお手伝いいただけるととてもとても有難いです。よろしくね~~~!!!!

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