漆黒のヴィランズ パッチ5.0好きなオオカミが好きなとこを発表します
(以下、ネタバレ防止のために暫く改行有り)
漆黒のヴィランズのパッチ5.0、あまりにも最高すぎた。
世の中は黄金のレガシーのグラフィックアップデートに沸き立つ中、筆者はつい先週漆黒のヴィランズの5.0まで終えることができた。
ロールクエストも4種全部こなした上で迎えた漆黒の夜明けは控えめに言って最高だった。そしてここで、酒に酔った勢いでなぜそれが最高で最強だったのかを言語化したいと思う。既に多くのヒカセンの先輩方が通ってきた道だろうが、この胸中を渦巻く感情は俺だけのものなので今俺が言語化することに少なからず意味があると思う。故に、ここでnoteを投稿する。ちなみに今筆者は結構酔っている。でも心が昂っているから書く。乱文長文ご容赦いただきたい。
過去のnoteについて、答え合わせ編
まずは最初に、ホルミンスターまで終えたところで投稿した筆者のnote記事を見てほしい。
うわ何こいつめっちゃ予想ハズしてるんですけどウケるぅ~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!というのがお分かりいただけただろうか。
光の加護で大罪喰いの力は打ち消せんだろうという予想はさておき、水晶公の正体とか疑りすぎてて盛大にハズしている。いやだってほら、これFF14じゃん、そりゃ何か捻ってくると思うじゃん。でもその捻り方は予想外だったというか、この話を始めると長くなるから記事の後の方で書くね、ごめんね。
しかしてやはりこの狼、意外といい線いってるもので「ある一人ともう一人」「ある英雄と別の英雄」は別人なんじゃね?という予想に関して意外といい線いってるのである、その予想の結果予想外のところから殴られているわけだがこの話を始めると長くなるから記事の後の方で書くね。
なぜ「漆黒のヴィランズ」の物語が心に響くのか
さて、漆黒のヴィランズのパッチ5.0がなぜ、どこが良かったのかを言語化すると言っておきながら、ここでその理由を全く別の物語の解説動画に委ねる筆者の稚拙さを許してほしい。
漆黒のヴィランズ、脚本の理論としてマジで完璧なのである。
物語の第一幕として第一世界の惨状や惨たらしい摂理を描きつつ、ホルミンスターで光の戦士が世界に夜をもたらしたことで物語は転換点を迎える。その後も残された世界の各所で夜空を取り戻してゆきながら、そこに生きる人々との触れ合いを通じて「滅びゆく世界だとしても、滅びゆく命だとしても、いらないものなんてこの世界には無い」という信念をその魂に刻んでいく。そして第二幕の終わりに光の戦士はいよいよ世界にとっての脅威たる怪物になってしまう。それでも、盟友たるアルバートの助力を経てその脅威を退け、世界を救う。何と美しい物語だろうか。
更に秀逸なのは各地でのエピソードである。ある意味で有名なテスリーンの遺した「この世界にあるもので、いらないものなんて無い」という言葉から始まり、フェオ=ウルが愛したヒトがヒトとして愛すべき自由な在り方、長きに渡り主命を護り続けたファノヴの里の民、家族の想いを夢に託したトゥワインの親方、約束された楽園を捨ててまで主たる存在に反逆したユールモアの人々、そして何よりも、信じた英雄無き世から英雄を救うためにその命を賭して時を翔けた水晶公あらためグ・ラハ・ティアと、一度は大罪人の汚名を被りながらも文字通り魂を重ね合わせたアルバート。想いを繋ぎ託していく人の尊さが物語の最後に結実する様は、間違いなく終幕として相応しいだろう。
だって、だって光の戦士自身が何気ない親切心で始めた始まりの一歩が、やがて世界を救って、在りし日のグ・ラハ・ティアに光を灯して、あの暗い路の中でミンフィリアに光を託されて、その身を盾にしてオルシュファンに光を繋いでもらって、アレキやオメガを通じてガーロンド・アイアンワークスの皆と共に戦って、そして顔を伏せるリーンに「英雄に悲しい顔は似合わない」と告げるに至ったんだから。
これがFF14で、これが漆黒のヴィランズの物語で、これがエオルゼアに生きる人の強さで、これが託された希望の重さなんだから。
アシエン・エメトセルク
でもさぁ…エッちゃんさぁ…
エッちゃんさぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
お前も!!!!!!! 同じかそれ以上の希望とか夢とか願いを!!!!!!!!!!!!!! 背負ってきたんだろう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そのくたびれた背中にさぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! たとえそれが途方もない時の果てにすら報われない儚い想いだとしてもさぁ!!!!!!!!!!! 舞台上で最も哀れな役者だったとしてもさぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
光の戦士にかつての盟友の面影を見ていたんだろ!?!?!?!?!?!?!? だからせめて最期はその手で幕引きしてやるとか言ったんだろうなぁお前はさぁ!!!!!!!!!!!!!!!!
過ぎ去ってしまった日々を想いながら!!!!!!!!!!!!!!!! 昏き底でかつての楽園を思い描きながら!!!!!!!!!!!!!!!
分かたれた不完全な存在と交わってその微かな可能性を信じながらそれでも裏切られながら!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
古代の民を完全なる存在と謡いながら分かたれた今の人々に一握の光明を見出そうとしてしまう不完全さを内包しながら!!!!!!!!!!!!!!
それでもやはりお前は!!!! 同胞の願いを受け止めた闇神として!!!!!!!!!! 最後に立ち塞がるヴィランであったんだろうなぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そしてこれまでの物語がそのまま跳ね返ってくるの!!!! アシエンもまた人であり家族がいてかつては楽園に住んでいて世界の終わりを迎えていて遺された同胞にその行く末が託された存在だったわけ!!!!!!!!! 生まれた時代が少しでも違えば彼は俺であったわけ!!!!!!!!! 彼もまた闇であり光であったわけ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そして同時にランジートやドン・ヴァウスリーですらもただただ死に往く娘同然の存在に心を砕き続けた親そのものであったり救いのない世界にとっての救いで在りたかった歪んだ願いの結晶であったり!!!!!!!!!! 彼らですらもまたほんのわずかなボタンの掛け違いの末路であったわけ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そして俺や水晶公やアルバートや暁の皆だって、アシエンにとっては未来を奪う不完全なヴィランズだったわけ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そしてShadowbringers
そして今だから分かる。
Shadowbringersは光の戦士とアルバートと水晶公と、そしてエメトセルクのことを表した歌だったと。
そんなん分かるか!!!!!!!!!!!!!!! 事前にエッちゃんのことまで予想できるわけねぇだろ!!!!!!!!!!!!!!!!! ノーカンだろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! これはノーカン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
いやホントにもう今だからこそShadowbringersの歌詞に対して思うところは色々あるんだけども、とりあえずみんなもう一回和訳を見直してほしい。
特にこの中の最後の歌詞
OurとWeで話者が変わると思わんやん…(※筆者個人の見解です)
ある世界が第一世界で我が世界が分かたれる前の世界で我らの終末はアーモロートのことでつまりはエメトセルク目線での話で、でもそれに対して終わることのない私は闇で光であるのがアルバートと光の戦士ってそんなん分からんやん…そんなん事前に予想できるわけないやん…。しかもそれが翻ってエメトセルクとしては彼自身が闇でありアシエンにとっての光だったとか…そんなん分からんやん…。
そうだよな、そりゃ冒頭の「誰が為に嵐は泣くのか」だって解釈次第でエメトセルクのことと捉えられるようにできてるんだもの、これは主人公たる光の戦士の歌であると共に水晶公とアルバートとエメトセルクの歌でもあるんだもの。もう完敗です。俺はFF14サウンドチームに完敗を宣言します。だからShadowbringer"s"だったんだねぇ…。
そういうわけで今後の話
こんな感じで遅効性の毒ことFF14にじわじわとやられている筆者、今後パッチ5.1以降を配信で遊んでいくのでぜひテスリーンショックで愉悦した先輩ヒカセン諸兄諸姉は責任を取ってご視聴いただきたい。嘘、少しでも見ていただけたら嬉しいです。ちなみに過去のアーカイブはこちら↓。ぜひ見てみてください、あわよくばチャンネル登録もよろしくお願いします。
追記:
書き終わってからまた追記してしまうんだけど、あの「Tommorow and Tommorow」というタイトルも、我々の未来のその先っていう意味と、我々が見た明日とアシエンが夢見た未来っていうどっちの意味でも捉えられて噛めば噛むほど漆黒のヴィランズはヤバい。ありがとう吉P。ありがとう石川夏子さん。ありがとうFF14。
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