Dragonsongにクソデカ感情を抱きすぎて気が狂いそう
(以下、ネタバレ防止のために暫く改行有り)
Dragonsongが良すぎる
はい。現在FF14を配信でプレイ中の筆者、蒼天のイシュガルドパッチ3.3完走まで終わりました。
終わった上で、最近はメインテーマ曲のDragonsongを狂ったように聴いてるんですが、この曲そのものと、ひいては蒼天のイシュガルド全体に対してクソデカ感情を抱いているので、今日はそれを思う存分発散します。
全ての文末に「※これは筆者個人の見解です」の注釈が入ったり、既に多くの先人たちが語り尽くしてきたことだったりするかもしれないが、俺の初見の感動は俺だけのもの(やや傲慢な発言)なので存分に書かせていただこう。いいですか? いいよ!!!!!!!!!!!!!!!!
まず詩単体として出来が良すぎる
この曲、歌詞の韻の踏み方がエグすぎる。
どういうこと?という人は公式が和訳付きの歌詞を公開しているので、まずはそちらを見てほしい。
例えば冒頭の歌詞
各行の末尾、1・2・5行目の「hear」「clear」「near」、2・3行目の「interwined」「find」でそれぞれ韻が踏まれている。このような韻の踏み方が歌詞の中で徹底的に貫かれている。
タイトルが「Dragonsong」で「竜の詩」なのだから当然なのだが、まず単品の詩としてあまりにも完成度が高すぎる。
その最たる部分が以下の歌詞で、
行頭の「A throne」「A reign」「Alone」「A pain」が綺麗に揃っているばかりか、行末の内1・3行目は「empty」「eternity」、2・4行目は「imcomplete」「cease」とこっちも揃えてきてる。いやもうこの時点でエグいエグいエグい。
しかも和訳も前半2行はかつてのイシュガルドの偽りの治世あるいはイシュガルド正教という縋るべき先を見失った国のあり方を表しているのに対し、後半2行はニーズヘッグの終わりなき憎悪あるいは最愛のシヴァを喪ったフレースヴェルグの癒えぬ哀しみを詠っており、韻を踏みながら人と竜の対比を短いフレーズの中に収めるその言葉選びの巧みさが本当に素晴らしいの一言。
他の部分もヤバいけどこの部分が特にヤバい。曲がめっちゃ盛り上がる部分だけに余計にクるものがある。作詞した人マジで天才だと思う。
ちなみにOPムービー曲の「Heavensward」も同じように韻の踏み方がエグいので、気になった人はそっちもチェックしてみてほしい。作詞した人マジで天才だと思う。
Dragonsongは竜の詩だった
ここまで韻の踏み方にフィーチャーして歌詞を見てきたのだが、その上で少し気になったことがあったのだ。
歌詞の最後の部分を見ると、
この部分、「create」「break」で言葉の意味としての対比こそあれど、ここまでの歌詞のようにしっかり韻が踏まれているか?というとそうでもないように思う。
そうすると、ここまでの歌詞はイシュガルドのこれまでの歩みを詠ってきたものとした上で、ここの部分だけ意味合いが違うのではなかろうか?
そしてこの「Dragonsong」が、他でもないニーズヘッグ戦においてフレースヴェルグからヒカセンに眼を託されたシーンで流れることに意味があるのではなかろうか???
それは例えば、この最後の歌詞だけはフレースヴェルグの心情を、かの竜が人に対して見出だした一抹の希望を表しているのではなかろうか?????
人と竜との間に血塗られた歴史があってもなお覚悟を以て命を賭して変革を試みた人々を見守ったフレースヴェルグの心には「Never know…」の後に「but…」と続くのではなかろうか???????
いやだってほら公式の「This I fear I'll never know」の和訳が「わたしには決して分からない」じゃなくて「わたしには、その答えを知る術はない」なんですよ知る術がないだけで誰かが教えてくれたら知れるかもしれないじゃないですかそれはシヴァだったりイゼルだったりヒカセンだったり今を生きるイシュガルドの人々だったりするわけじゃないですかそういうことを言いたいんですよ俺は!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
Dragonsongは竜と人の詩だった
ここまで散々歌詞について熱弁してきたが、もうちょっとだけ熱弁させてほしい。
筆者がこの歌詞の中で一点、言い回しが気になったところがあるのだ。
和訳には、「長きに渡り満ちる血の海は、ただの詩」とある。字面通り受け止めればイシュガルドと竜の血塗られた歴史そのものを指している。
更に、蒼天のイシュガルドはとかく血縁というものが強調されてきた。
シヴァとフレースヴェルグ
フレースヴェルグとニーズヘッグとラタトスク
エスティニアンと喪った故郷の家族
アイメリクと教皇トールダン7世
フォルタン伯爵と3人の息子たち
etc…(他にもいろいろあるけどキリがないので一旦ここまでにする)
血の繋がりの濃さ、それが生む呪縛や喪った時の悲壮と憎悪、そういった血の強さも含めて、イシュガルドの歴史は血によって成り立ってきたのだろう。その観点で、血はただの詩と表現されている、のかもしれない。
しかし、血はただ流れるだけのものではなく、後に継いでいくものでもある。冷たい血の海は一方で熱い血潮であり、血塗られた歴史は血が紡いできた歴史でもあるのだ。
だからこそ、だからこそだ。この物語を、最愛の子を喪った人たるフォルタン伯爵が「蒼天のイシュガルド」として、次代の竜詩として紡ぐことに、きっと大きな意味があるのだと思う。故にDragonsongは新たな時代に向けて希望を見出した竜と人の詩であると、自分は解釈したい。だってこの曲、全体的に重く悲壮感に溢れてるけど、それでも最後は明るい曲調に向かうのだから。
そして同時に我々は、血の繋がりがなくとも、様々な"壁"を乗り越えて強い絆を得られることを知っているはず。
エスティニアンが喪った弟の面影をアルフィノに見出したように、かつては敵対していたイゼルがフレースヴェルグの背に乗ってシヴァをその身に降ろしたように、その命を以てオルシュファンが光の戦士を護ったように、邪竜の呪縛を解き放つため死すらも超越してイゼルとオルシュファンが力を貸してくれたように、まさにこれこそが「超える力」の一端なのではなかろうか。
まとめ
蒼天のイシュガルドは、喪失の物語でした。
光の戦士として築いてきた信頼は地に落ち、ナナモ女王陛下は命を落とし(たように見え)、暁の血盟は散り散りとなり、クリスタルブレイブはテレジ・アデレジの尖兵と化し、イゼルがその身に宿したシヴァは幻想であり、盟友たるオルシュファンを亡くし、ヤ・シュトラはその目の光を、サンクレッドや血盟は「ミンフィリア」としての彼女を失い……。
マトーヤ老の忠言は、決して否定できないものなのでしょう。
吹雪と共に訪れたイシュガルドで、大切なものを失い続けて、それでも前に進もうと足掻いて、多くの人に託されたものを背負って、その先に見えた空はとても高く、蒼かった。
そう思うと、蒼天のイシュガルドは喪失と血と継承の物語だったと、そんな風に思えるのでした。
などとそれっぽい言葉で綺麗に締めようとしている筆者だが、めっちゃバチクソ盛り上がるニーズヘッグ戦前のイベントシーンから一転して、肝心のニーズヘッグ征竜戦でIL下限で挑んで4回床ペロして情緒がグチャグチャのメチャクチャにされたので、お時間のある方は下記アーカイブも見ていただけると筆者が報われます。
※以下、言い訳※
配信中でIL下限で募集をかけている+IDや討滅戦は未予習でチャレンジすることを前提にしている+うちの視聴者は筆者が床ペロする度に喜ぶ特殊な訓練を受けている、ので床ペロ続出は多分問題はないはず。いやすんません問題だらけですはい。あの時の特にヒーラーさんお二人本当にすんませんでした。でもニーズヘッグさんはあんなにポコジャカ範囲攻撃撃つのやめてください死んでしまいます。死にました。4回も。
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