「どんなことをしたら他人に喜んでもらえるか」を先に考えるという生き方
正直、私はコンプレックスというコンプレックスがない。いきなりなんの宣言だと思われるかもしれないが、コンプレックスから来る行動が驚くほど少ないのだ。
コンプレックス、コンプレックス
不自由なく産んでもらい、大学まで行かせてもらい、好きなスポーツにものめり込み、学業の成績もだいたい上位で、それなりに女性とお付き合いしてきたし、友達づくりに困ったこともないし、見た目もそんなに悩んでないし、お金も人に借りないといけないなんてことはない。
(と、思っているだけかもしれないということはさておき)
コンプレックスが全くないわけでもない。ほんと些細なこととか、もっと身長が高ければなとか思ったりもする(日本人男性の平均身長より高い)。
きっと高望みすぎだったり、これはこれでいいやとさえ思っていたりする。人生の中で、これコンプレックスだ何とかしなきゃというような経験がない。
何が言いたいのかというと、コンプレックスから来る、負けん気みたいなものがないと、いけないんだなと考えていた。
人々のサクセスストーリーの大半は、落ちたところからの大逆転劇だ。
例えるなら、「太っている人が、あるきっかけでダイエットをし、痩せて大成功」みたいな感じ。
あるいは、「同期の中でも落ちこぼれだった人が、人一倍努力して、3年後にはエース社員になっていた」みないなパターンもある。
でも、ダイエット後の体型を最初から持っていたり、維持したりしている人にフォーカスされることはない。優秀な人が優秀であり続けることもそこまでフォーカスされない。
むしろ、美人が醜くなっていったり、優秀な人の転落劇などの方がよりフォーカスされる。
そんなことからあたかも、マイナスからくる動機こそが大切だと思っていた。
そんな時、ある本にこんなことが書いてあった。
コンプレックスがないことが悩みです。というより、あるのに見つけられないことが悩みかもしれません。
二枚腰のすすめ 鷲田清一
「二枚腰のすすめ」は、読売新聞の人生案内という欄に、記載されていた人生の悩み相談と鷲田氏の返事をまとめた本だ。鷲田氏が相談相手となり、杣ざまな人の人生の相談を受けている。こちらの悩みは高校三年生の女子の投稿だ。
様々な人生の悩みがある中で、この悩みと文章を読んで「あ、自分もだ」と感じた。
「人を喜ばせること」を第一に考えるという生き方
奇しくもこちらの高校三年生の女子は「やりたいことが見つからない」という悩みもあった。これまた共通の悩みだなと感じた。
この投稿に対し、鷲田氏の回答はこちら。
コンプレックスがないことに嘆いていることがすでにコンプレックスになっているのでは?と前置きを置いたあとに、
自分はいったい何をしたいのかと問うのを、いったんやめにしましょう。
どんなことをしたら他人に喜んでもらえるか、それを先に考えるのです。
と返事を書いている。併せて、劣等感からくるモチベーションもあるが、困っている人を助けることで気力が充実するということもあると述べている。
つまり、コンプレックスを感じていないことを、まずいと感じている時点でそれがコンプレックスなのだということ。
それと、人の人生の気力の湧き方にはいくつかあるということを知った。
劣等感を克服、脱しいと願うときにくる気力の充実と、
人を喜ばせて、自分も喜び気力を充実感じるということ、
2つのパターンがあるということだ。
あーそうか、コンプレックスあったwwという感じと、特にやりたいことが見つからないうちはそうした生き方を実践するのも悪くないなと思った。
コンプレックスをなくすためからくるモチベーションを取るか、人を喜ばせることからのモチベーションを意識するかはその人次第ということだ。
私は後者からのモチベーションで生きていけると思う。
もう一つの悩みである「やりたいことがみつからない」に関しては、タイミング次第だと思う。
きっとどこかのタイミングで「自分のやりたいこと」が出てくる。
その時は、しっかりと向き合い、とことんのめり込もうと思う。
本当にやりたいことを見つける、そして、誰かのためになることを行う。似て非なるものかもしれないが、それが今の生き方の選択としては正しいと思う。
何となく人生をシンプルに生きられそう。
お読みいただきありがとうございました。
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