バックパックvol.7 大量虐殺の地「キリング・フィールド」僅か半世紀前に起きたこと。
キリングフィールドはカンボジアにある負の歴史を物語る場所だ。カンボジアは今から、半世紀もさかのぼらないうちに、実に国民の3分の1にあたる200~300万人が虐殺された歴史を持つ。ポルポト独裁政権のもと、反逆しそうな人間を虐殺していった。反逆しそうというのは、学者や教員などの学校を出たものや、医者などの頭がよく、教養を持つもののことである。
詳しくは、いろいろ調べると出てくると思うので割愛するが、誤った正義のもとこのような大虐殺が行われた。例えば、眼鏡をかけていたとか、外国語を話せたとか、食料を隠し持っていたなどそれだけの理由で殺された。もちろん外国人の旅行客も虐殺の対象となった。
これだけの虐殺は、銃などの兵器で行われていたのではない。特にキリングフィールドでは、虐殺の音をかき消すために、大音量の革命歌が流されカモフラージュしていた。なぜ、そのようなことをしていたかというと、刃物やヤシの木などを使い首を切り落としていたからだ。人々の悲鳴や断末魔の叫びが外に漏れないように、音楽をながしていた。そして、生まれて間もない乳児も虐殺の対象であった。その子供たちは刃物ではなく、木に打ち付け虐殺された。
誰が虐殺を行っていたのかというと、クメールルージュと言われる、ポルポト側の人間たちだ。これは、まぎれもなくカンボジア人である。つまり、カンボジア人がカンボジア人を虐殺していたのである。クメールルージュと呼ばれる人も、虐殺を行わないと、自らが殺されるので、判断の感覚がマヒしていたのかもしれない。また、ある話だと、収容者がある看守からもらったバナナを持っていた。そのことが別の看守にわかり、渡した看守とバナナを持っていた人の両方が殺されたという話もある。何をしても殺される、そんな環境である。
頭蓋骨があれだけ並べてられているのをみて、言葉を失った。そして、今も大量の雨が降ると、骨が出てくるそうだ。赤子が打ち付けられていた木や、人々が数百単位で埋められていた場所がそのまま残っている。
たかだか40年前に、こんなにも悲惨で残酷な大虐殺が行われていたのに、一切知らずに生きていた。非人道的な行為を許してはいけないし、この歴史を知ったものとして、語り続けたないとけない。二度とこのような悲惨な行為が行われないように。
この虐殺で亡くなった人たちが、安らかな眠りにつかれることを祈っています。