見出し画像

留学のタイミング

こんばんは!
今週は、集中治療科の日本人の先生が国際学会発表の足で見学にいらっしゃいました。こんな感じで遊びに来る人、大歓迎です!ついでに日本のお菓子でもお土産にくださったときには、もう啼泣して喜びます笑
せっかくなので日本人同期を集めて飲み会してました。語らっていたテーマのひとつが留学のタイミングだったので、思い起こしたことを綴ろうと思います。

僕はプロフィールでお話したように、医師6年目で留学しました。今年の同期を見ると、看護師、検査技師、医師3年目~10年目と幅広くいます。自分が医師のキャリアしか知らないので、他職種の方はごめんなさい。でも先日の飲み会での話も踏まえて、自分の選択を振り返ったものを書いてみます。いつにも増して長いです。そして私見満載なので、あくまでも参考までに。


キャリア面

医師のキャリアはスタンプラリーだと言っていた友人の言葉が秀逸なのでお借りします。要するに数年おきに節目があります。
具体的には、

  • 最初の2年間:初期研修の終了

  • 次の3-4年(医師6-8年目):後期研修の終了→専門医取得

  • その次の3-4年(医師10年目前後):サブスペシャリティー資格の取得

プログラム途中で離脱するには余計な労力が必要なので、これらの節目を機に退職するのというのが穏便かと思います。
所属先が許容してくれるならば、次の研修(サブスペシャリティーなど)に進まず、例えば一般小児科医として6-7年目をつなぎで働くのも一手かもしれません。そうすれば、働き方を抑えながら応募準備にあてるということもできるでしょう。もちろん一年単位で追加の時間はかかりますが、労力の痛み分けにはなります。僕も初期研修上がりの同期たちもみな、研修しながらの応募は(時間のロスが最小限に済んだ半面)めちゃくちゃ辛かったと振り返ってます。

※いずれの場合も注意しなければならないのは、学期始まりです。日本の4月スタートの暦と、欧米の9月スタートの暦との狭間をどう過ごすかは、日本人全員の悩みでしょう。3月に節目退職した人は無所属でアルバイトでつなぐという人が多かったです。

僕の場合は、専門医取得の節目退職に近いパターンで、
初期研修(2年間)→小児科後期研修(3年間)→6年目の9月に小児科専門医試験→直後の9月中旬スタートの留学
でした。
(厳密に言うと9月まで常勤だったのですが、話が長くなるので、自分のキャリアの際にでも!)

では前置きが長くなりましたが、
それぞれのタイミングについて考えた、メリット・デメリットです。

初期研修と後期研修の比較

・初期研修後のメリットは、とにかく若くて自由なこと。

専門を作るというのは特定の分野を深く知れる反面、他の非専門領域を捨てるという選択でもあります。僕で言えば小児科領域に特化したことで、もう大人の救急外来なんて怖くて見れなくなりました。高血圧とか糖尿病とか、初期で飽きるほど見たはずの病態も、今や処方の匙加減がおぼろげです。後期研修先の院内急変で最初に駆け付けたときも、大人の手背にルートを取るレベルでした。焦ったときこそ体は普段通りにしか動かないというか、体が覚えているってやつですね。
公衆衛生の世界に転身しても同じです。キャリアの項目で別記しますが、僕は途上国での新生児死亡や感染症コントロールについて、リスクコミュニケーションやヘルスプロモーションの面から学びたいと考えています。そのため小児科医としてのバックグラウンドは大きな後押しになると期待しています。他方、友人たちがタバコ規制だったり、高齢化社会の医療費増大について、などのテーマについて喜々として語っている姿を見ると、もう自分には選べないテーマだなと、少し寂しくも感じます。

続いて年齢について。
LSHTMのオリエンテーションで取られたアンケートでは、直近で(学部・大学院を問わず)「アカデミア」を卒業後5年以内というのが7割。10年目以内が2割。それ以外が1割、という結果でした。実際に20台前半の学部卒直後から、40-50台のセカンドキャリアまで幅広いですが、周りを見た感じは20台後半が一番多い印象です。
まだ30台前半だと先輩方に怒られそうですが、部活でバリバリ運動した貯金で、20台は体力が余ってたなーと思います。いまとなっては飲み会で一段とお酒に弱くなったり、20台前半のキャピキャピ具合についていけなかったり。
そもそも、初めての土地で生活すること自体が非常に大きなストレスです。その上、初めて学ぶジャンルの学問を、母国語ではない言語で学ぶのです。心身ともに消耗し、体力はいくらあっても足りません。君たちの授業後に飲み倒せるその体力すごいなー。さすがに僕は一次会で帰るよ。(でもみんなの人生経験聞くのが好きだから、一次会は意識して顔出してる。)
また、若いと責任あるポストにはついていないため、社会的しがらみが少なく(退職・退局する云々を悩まずに)済みます。初期研修先は大学医局と関係ないという人も多く、プログラムとして後期研修 / 入局との間にしっかりとした切れ目があるので、良い意味で後腐れなく区切りを付けやすい。

他にも、
公衆衛生は母数が小さい分、本気で興味のある人は学生時代から関連する研究室に通っている印象があります。将来は公衆衛生界で生きていくと決めているけれども臨床も少し見ておきたいという人は、サクッと初期研修を終えてモデルチェンジするのがお得でしょう。(後期研修は負担が大きすぎる。)

・デメリットとしては、臨床経験が浅いことです。

言ってしまえば、医師のバックグラウンドを持つといっても、初期研修ではその初期段階を通過したに過ぎません。数か月ずつのローテーションで各診療科を見ただけですし、上級医が必ず最終責任を負う、極めて「守られた」存在です。一晩の医療現場がどんなに忙しくても、どんな重症が来ても、一人で泣きながら回さないといけない、なんて修羅場は経験していない。(もちろんそうあってはいけないですし。)なのでその口から語れるのは、数か月で目にした断片的な景色でしかありません。
後期研修で3年間という時間も労力も同じ領域に費やした分、初期とは比べ物にならないほどの知識・技術・経験を獲得し、現場の動線を把握できました。自分の中で考え方の原点、哲学とでもいうべきでしょうか。ベースに語れる領域が形成されたというのは非常に大きいです。
こういった現場経験は公衆衛生学でも大いに活きます。例えば政策形成におけるactor(当事者)を挙げよと言われたときに、どれほど現場を鮮明にイメージできるか。小児領域限定ですが、「僕の小児科医としての経験から言うと」の一言で教室中が耳を傾けてくれます。非現実的な机上の空論にしてはいけない、と現場の様子を尊重してくれる共通認識なのはありがたいし、多様性の一員として貢献できると期待されたからこそLSHTMの一員に選んでもらえたと自負しています。(話が倍増しそうなので、授業の話で具体例を挙げますね。)
※ただし、公衆衛生の世界も広いです。LSHTMが現場に強い系で評判の大学だからかもしれません。現場から社会を変えたい僕の性格にはピッタリです。でも、例えばビッグデータから有意差ゴリゴリに計算して論文バリバリ書きたい!みたいな人は、現場目線をそこまで重要視しないかもしれませんね。

あと、進学したので偉そうにしゃべっていますが、そもそも応募の際には、少しでも履歴書に盛り込める内容が欲しい。
そういう意味では、後期研修程度でも3年間あれば実績は十分に重ねられます。小児科は専門医取得のために論文執筆が必須ですが、日本語でもImpact Factorがなくても構いません。そこを僕は指導医にお願いして英語論文に挑戦させてもらい、pubmedにも載るそれなりの雑誌へfirst authorでpublishできました。
当然、学会発表も大小様々ですが毎年実施し、その全てを履歴書にアピールしました。履歴書をまとめながら、なんだかんだがんばったなと振り返ります。
逆に言えば、履歴書に書いた半分弱は後期研修中の実績で、志望動機書も後期研修中に経験したことから掘り下げた論点や疑問です。なので、これが無ければそもそもLSHTMに合格できたのか自信がありません。

後期研修とサブスペの比較

日本の臨床で後期研修以後もスタンプラリーを続けた、と仮定します。
上の比較と完全に被るので割愛しますが、まず応募時の年齢が上がります。ということは、体力・英語力はかなり意識して時間を割かない限り、現場に忙殺される&日常的に使わない臨床生活では衰退の一途です。そして後述の奨学金の多くが、年齢制限により応募できなくなります。

もちろん、さらに臨床経験を重ねればこれまで以上に深い現場イメージを得られるでしょう。また上のブーメランを甘んじて受けると、後期研修程度であれば例えば重症例は初期対応・一晩持たせるのが辛うじてです。完治・退院までに経験する急性期の病状の一進一退は、さすがに一人で責任を持って実施はできない。後期研修ではまだまだ臨床能力が不足しているのは確かです。
一方で下の曲線をご覧ください。

臨床能力の成長図(イメージ)

縦軸上方向に臨床能力、横軸右方向に臨床年次として、緑が初期、青が後期、赤紫がサブスペシャリティー、という僕の中での勝手なイメージです。もちろん経年的に臨床現場でできる能力は増える。しかしその伸び率は、先に頑張れば頑張るほど、年々減って行く。

だから大学一年生のキャリアプランのオリエンテーションとか、多くの医局説明会では、「臨床以外にも目を向けて~」などと言って、基礎研究(博士課程)や大学での教育指導など、臨床以外の伸びしろを斡旋していくのだと想像しています。
とすると、この後の3年間をサブスペシャリティーに投資するべきかどうかは、公衆衛生学を学んだ先にどのような進路を希望するのか(もっと狭めて言えば、臨床に戻る可能性がどれほどあるのか)にも大きく依存すると思います。

新生児医療などをもっと奥深く知りたかったという気持ちもありつつ、僕はここからしばらくは公衆衛生の世界で働いてみたいと考えているので、後期研修で臨床から臨床現場を離れる決断をしました。

金銭面

本当に物価が高い&円安過ぎる!!最後の給料とか英ポンドでもらえないかなー?って、ずっと周りにぼやいていました笑。

もちろん年数を多く働けば、そして順調に資格を取得していけば、基本的には給料は増えます。なので貯金はしやすいでしょう。

一方、先のタイムラインで奨学金について述べましたが、実は多くの奨学金には年齢制限があります。具体的には、30歳を過ぎると応募可能なものが激減します。もう、このバランスが難しい。

間を取って、ちょうどこの「30歳」というのが医師5-7年目くらい(=後期研修終了の頃)なので、そこを節目に留学するというのはひとつ筆頭候補になると思います。

家庭面

お相手とのタイミングなので、なんとも言えません。
が、一般論として20台後半から30台前半は結婚のピーク期であり、そこから出産などの慶事が続くことも自然かと思います。

またさらに先だと両親が高齢となり、場合によっては人手が必要になることもあると聞きます。

僕の場合、幸い両親ともに健在で、幸か不幸か独身のため、最もフットワーク軽く挑戦できました。

※家族を同伴したい場合:2024年現在は修士課程では同伴者が観光用VISAしか取得できないため、最大6か月のみの滞在となってしまうようです。去年までは通年でいられたのに、不法移民対策が厳しくなっているようです。うーん、世知辛いね…

情緒面

これは本当に個人の感想です。自分なりに感じたことではありますが、好き放題書きます。正誤や善悪の問題ではないと、あらかじめ強く断っておきますのであしからず。

20台を振り返ると、研修中なので当たり前ですが、知識も経験も上級医とは比べ物になりません。一生懸命に取り組んでいたつもりでも、事あるごとに未熟さを痛感し、自己肯定感が下がる出来事であふれています。でも仕事だし、必死にやるしかなかった。
追い打ちをかけるように、将来の進路も曖昧(良い意味で決めていなかったし、公衆衛生のキャリアとは概して空きポストや推薦などの流れに乗る感じで間違ってはないのですが。)なので、先行きに対する漠然とした不安が大きかった。一言で言えば、やりたいことは山程あるのに、何事も成していない自分に焦っていた。生き急いでいた。

根底にあるのは、日本の医師キャリアが本当にスタンプラリーのように走る道が決まり過ぎている、という弊害でもあると思います。
誤解を恐れずに大袈裟に言ってみれば、医師って努力を重ねたリターンが保証されている。大金持ちにはなれないけど、食いはぐれない安定性はピカイチです。余計な悩み事をせず、勉強面で努力して結果さえ残せば、まあとりあえず許される。こんな便利な道に、高校生インテリ層が心動かされない訳はないでしょう。(全員が、動機の全てが、こんな下心しかないというつもりは毛頭ありませんが、誰しも一瞬は頭をよぎったことはあるのでは?純粋な崇高な方々には平謝りです、申し訳ございません。)
高校生だった僕自身が、そう期待した部分も正直ちょっとあります。そして高校~大学~研修中と10年以上もの間、同じ価値観の中にいると確実に染まっていくし、その利権からわざわざ抜け出すのはリスクでしかない。恐怖です。
ましてや臨床にちょっと慣れてきて、せっかくできるようになってきたタイミングで。

と思ってました。

でも30歳を過ぎて、ちょっとして。一皮むけたというか。
精神的に成熟したって、ふと実感します。
アンガーマネジメントを含めて、自分の感情を表出したいときと、しまいこみたいときをそれなりにコントロールできるくらい、大人になったし。たまには思いっきり一人で泣いて発散して、切り替えて10分後にはスッキリ勉強して、とかできるようになったし。
専門領域というベースができつつあり、自分の技術が大きく間違うことはないって自信も生まれたし。
当直中の午前3時に軽症で起こされても、うんうん、お母さん大変だったねー心配だったねーって、なんならひと笑いとって和やかに帰すくらいに。ストレスなのはわかるけど、それで患者にイラついても仕方ないし、だったらお互いに笑顔で爽やかに帰ろうぜ、って開き直りみたいな。

臨床自体は楽しくて、自分には合っていると思っていて(勘違いではありませんように笑)、勤務体制がハードだったこと以外に不満はないし。だから何か上手くいかなければ、日本に帰ってまた小児科医すればいいやーって心の逃げ道も確保しつつ。(医局と丁寧に話し合って、立ち位置を勝ち取るのもひと苦労でしたね。また別記します。)とはいえ、臨床は自分が将来的に本当にやりたいことと方向性がずれるという違和感も、事あるごとに感じていたから、さあ公衆衛生の世界でがんばって行こうって、自分を奮い立たせつつ。

少し逸れますが、前に国境なき医師団の説明会へ参加したときに、初ミッションに臨む人は専門医取得直後というよりは30台後半から40台の方がオススメである。やはり精神的に成熟しているから多少のハプニングにも耐えられるのだ、と言われた記憶があります。
学生時代の僕は早ければ早いほどいいに決まっているでしょ?と、全く理解できなかった。でもいまなら少しわかる気がする。

多少のリスクを心穏やかにとまではいかなくても笑、さざなみくらいに受け入れられるくらいの胆力もついた。

全体的に心の余裕ができた。

派手なこと、華やかなこと、最短距離で進むことももちろんすごいけど、それだけが「良い」「正しい」「魅力」とは限らない。

たくさん回り道したけど。
死生観って、受療行動ってなんだ?この人が最も大切にする価値観とは?なんて考えなくても医療は実施できるし、正直多くの同僚が悩まないことに、僕はずっと悩んでいたけど。そんな時間も含めて、全部が今の自分を形成している。

だから年齢を重ねるってそんなに悪いことじゃないかもね。
もっと若くして行っていたら、きっと、すごくおどおどしていたか、もっと切羽詰まって結果残さなきゃって毎日息巻いていたか、勘違いして調子に乗って痛い目を見て、とかだったろうな。
少し大人になるのを待って挑戦したのが自分にとっては良かったのかもしれません。

特に、公衆衛生の世界って、今までのように何かこれさえすれば全員納得!という正解がある訳ではない。むしろ答えの存在しない、答えの決まらない世界です。それでも、少しでも前に進むために、なんとかより良い世界を作るために。みなで知恵を出し合って、今できる最善策を練っていく道のりだと解釈しています。
これまでたくさん悩んだこと、考え抜いたこと。いまそれを、志も人生の深みもほとばしる同期たちとぶつけ合い、昇華させていく。難しいし、さらに毎日悩むけど。それはそれで、すべてが刺激的で、本当に日々楽しいです。

なので、自分にとっては、全体的にこのタイミングで、収まるべきところに収まった、ご縁が合って良かったなと感じています。


恒例の日曜夜から書き始めたのだけど、いろいろと脱線しながら、長々と書きすぎて疲れましたね。
最後までお読みいただき、おつかれさまでした、ありがとうございました!今回はこのあたりでおやすみなさい。

ということで、今週も講義にディスカッションに、楽しんでいってきます!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?