春日武彦『無意味とスカシカシパン』(青土社、2021年)
本に埋もれる時間を満喫するためにある場所に行ったら、春日武彦さんの『無意味とスカシカシパン』が目についたので、手に取ってみました。
春日さんは、精神科医です。この方が書いた『援助者必携 はじめての精神科〔第3版〕』(医学書院、2020年)はオススメです。まあそれは後に書くとして、こちらのスカシカシパンはエッセイ集ですね。
スカシカシパンとは、「【すかしかしぱん】 Astriclypeus manni ウニの一種であるが、形が平たい円盤状で、とげが短くて密生しており、ビスケットに似ているところからカシパンの名、さらに円盤の5ヵ所に透かし穴があるので、この名がつけられた。全体が黄かっ色(ただし死骸では白色)で、円盤の直径は12cmくらいになる。本州中部から九州までの浅い砂地の海に住む。日本の特産で、6月ころに卵をうむ。形が奇妙なので人の注意をひくが、とくに利用の道はない。 ――『世界大百科事典 第12巻』」だそうです。
スカシカシパンのように無意味なものを採り上げて綴ったエッセイを集めた本ということのようです。
でも、私は、無意味なものよりも、「世界の断片としてのエッセイ」という項に書き込まれた次の文に惹きつけられました。
弁護士のしごとのひとつとして、人の語りを聞く/聴く機会がたくさんあります。こうした語りの一編一編は「世界の断片」に過ぎません。それでもその一欠片から「全体を想像するに十分な想像力を与え」られるところにおもしろさを感じています。春日さんの言葉はそのおもしろさの手触りを表現してくれたような気がしました。
推し研(推している研究者)のおひとり岸政彦さんの次の一節とも、私の中で共鳴し合っています。
https://www.keisoshobo.co.jp/book/b177177.html
先日、学生の方々を対象に刑事弁護の面会(接見)についてお話しする場をいただきました。岸さん、石岡丈昇さん、丸山里美さんが著した『質的社会調査の方法ー他者の合理性理解社会学』(有斐閣、2016年)にオマージュして、「他者の合理性を理解する面会」と銘打ってお話しをしました。
自分の閉じた枠組みからはみ出したものを不自然・非合理と簡単に切って捨てないで、被疑者・被告人の方々の話に耳を傾けて、物語の断片を集め、異質な「他者」の合理性を理解する営みの魅力がそれこそ断片的にでも伝わっていたらいいなあと想っています。
『スカシカシパン』には、他にもこんな一節がありました。「自己愛社会の力学」という項の中に書かれています。
「被害者」という属性は魔性のカードです。一旦それを手に入れると、いろんな場面でその手札を切りたくなります。この切札を手放さない人に出逢うと、疲弊しますが、毅然とやり過ごすしかないのでしょうね。淡々と。
これ以外にも、「感謝されてこその精神科医療、といった図式が成立しない難儀さについて」の項は、日々の仕事で顧客満足度や感謝を求めて疲弊している方が読むと、少し救われるのではないでしょうか。
依頼者から感謝されれば、嬉しい感情が湧くことが多いでしょう。でも、それを基準にすべきかどうかは別の話です。独り善がりになってはいけないので、バランスが難しいところですが、たとえ感謝されなくとも、依頼者利益の実現ができたと思えるしごとがしたいと考えています。
さらに、春日さんが自らの子ども時代の経験に基づいて、「純粋な/裏表のない子ども」という虚像について書き綴った第Ⅲ章「わかりやすさの断章」や、両親とりわけ母親との確執を遺産を使い切ったリノベーションで克服する「自己救済としての家作り」を読むと、消化できない自分の中のドロドロをここまで開示できるのかと感心します。
春日さんのような繊細さがあると、苦しいこともたくさんあるものの、援助者としての細やかさにつながることがわかります。
何かに役立てようと考えて読み始めた本ではありませんでしたが、結果的に対人援助にかかわる方の参考にはなりそうです。
ちなみに、春日さんの長年の臨床経験に基づいた『援助者必携 はじめての精神科〔第3版〕』(医学書院、2020年)は、精神障害やパーソナリティ障害またはその傾向をお持ちの方と接する機会がある職業の方々にとっては、技術的に参考になる知恵があれこれ鏤められています。書名から受ける中身のイメージと違って、精神疾患そのものを勉強するには物足りない本ですが……。
一時期、弁護士の一部に流行った岡田裕子『難しい依頼者と出会った法律家へ パーソナリティ障害の理解と支援』(日本加除出版、2018年)と併せて読むと良いかもしれません。