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恋と呪い②
赤い女の子と山吹
家にずっといるのは精神的に良くないことだと聞いたことがある。根拠はわからないけれど、母親は子供のころから「家にいるのは良くないから外に出て散歩でもしてきなさい」と私にしつこく言っていた。子供の頃はその意味がわからず、ゲームや本や漫画を楽しみたかったから反抗してしまったけれど、二十歳を超えた今ならその意味がわかる。少しでも運動した方が頭がすっきりするのだ。そして何より、招かざる客と遭遇せずにすむ。
「こーんにーちはー」
服を着替え出かけようとしたその時、玄関からチャイムとともにそんな声が聞こえた。モニターを見なくてもわかる。この声は山吹だ。
「どうした?出かけるんだけど」
「あ、先輩。出かけるんですか?じゃあ、一緒に行きましょう。どこ行きます?」
「とくに決めてない。散歩だから」
「じゃあ、近くにできたカフェに行きましょう。行ってみたかったんですよね」
「別にいいけど、その格好で行くの?赤ずきんのコスプレにしか見えないんだけど。ハロウィンはまだ先だよ」
いつものように個性的な服を着ている山吹はこれの何がいけないのかと思っているようできょとんとした顔をしている。本人はいたって真面目なのだろう。どんな服を着ていても容姿がいいだけで「可愛い」や「個性的」と肯定されるのだから、恥ずかしいという概念が欠落しているのかもしれない。
そんな赤ずきんちゃんのような山吹とやってきたカフェはとてもお洒落だった。どこか欧州を思い出させる石造りで、ところどころに花が活けてある。内装もどこか重厚感があり、テーブルや椅子は質素なものだったが、それが逆にお洒落に見えた。壁もレンガのようなものでとても凝ってある。
「お洒落ですね。この服にピッタリです」
確かに、赤ずきんでよく知られるグリム童話の世界観のようだと思う。山吹の容姿も相まって、とてもよく似合っていた。
「すみません。紅茶とパンケーキを二つください」
山吹は私の分まで勝手に頼むと、そわそわと写真を撮りだした。よほどこのお店の内装が気に入ったのだろうか。普段はわけのわからないことをしている山吹だが、こういう所はやはり女の子だと思う。
「それで、先輩に話があるんですけど、台湾の怪談で『赤い服の少女』っていう話しがあるの知ってます?」
「知らないな。何それ」
「二十年近く前の話しなんですけど、台湾で家族が登山中にビデオ回してまして、帰った後でそのビデオを見たら、なんと、知らない赤い服の少女が映っていたんですよ。そこから一家には様々な不幸が襲ったという話しです」
「ふーん。偶然じゃなくて?」
「夢の無いことを言わないでください。一説によると、これは台湾の妖怪であるモシナの仕業と言われているんです」
「ふーん。幽霊の呪いとかじゃなくて?」
「違います。モシナは台湾ではポピュラーな妖怪で、台湾では毎年、春から夏にかけて、登山客の特に高齢者や子供が姿を消すという事件があるそうなんですけど、それは全部モシナの仕業だと言われているんです。実際に遭難して生きて帰ってきた人が証言したらしいですよ。小さな女の子に連れていかれたって」
目の前に綺麗なパンケーキと紅茶がやってきた。パンケーキの上にはバターとたっぷりのはちみつ。甘いものがそれほど好きじゃない私にとっては食べられるか不安である。
「で、今度は台湾に行きたいなって思ってまして」
「カメラマンとして来てくれと」
「はい。その通りです。奢りますんで。お願いします」
台湾か。確か高校の修学旅行で行った場所だ。あの時は夜市にも行けず、ジブリ映画の舞台となった九份にも行けなかった。つまらない博物館と台湾の学校との交流をした記憶しかない。正直に言うと、とてもつまらなかった。
「んー。いいよ。でもどうせ赤い服の女の子なんて現れないと思うんだけど、その場合はどうするの。またつまらないハイキング動画になる可能性が高いと思うんだけど」
高いどころではない。ほぼ、熊本の時と同じようなことが起きるだろう。こちらとしては焦ってあたふたしている山吹を撮るのも面白いのでそれでもいいのだけれど。
「まあ、まあ、それはその時ってことで。台湾なんでそれなりに観光もできますし、士林の夜市とかジブリの舞台になった九份とかいっぱいあるんで、大丈夫ですよ」
「ふーん。期待しないでおくよ。それで、いつ行くの?」
「えーと。今日の午後出発ですね。あと四時間くらいで飛行機が出ます。台湾に行きたいわん」
うるさい山吹を無視してパンケーキにナイフを入れる。ふわふわした生地は綺麗で少ししっとりとしていた。口に入れると思うほど甘くはない。バターとはちみつが口いっぱいに広がって匂いが鼻から抜けていく。紅茶もすっきりとした味わいで、上品な味と香りが口の中に広がっていった。
思わず笑みを浮かべ、前を見ると、山吹もにっこりと笑ってこちらを見ていた。やはり美少女である。何も話さなければ。
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飛行機が離陸し、窓から見える地上が遠のいていった頃、私は高校の修学旅行の事を思い出していた。乗る機会のない飛行機に喜ぶ生徒。初めての海外に興味津々で入念な下調べをしていた生徒。事件が起きないようにいつも以上にピリピリとした空気を発している教師。そんな人たちを見て、私の心は白んじていった。
私には友達と呼べる人がいなかった。他人から見れば、同級生と仲良く話し、屈託なく笑い、輪に入れているように見えていただろうが、それは私が努めてそうしていただけだ。面白くなくても笑い、興味のない話題でも的確に相槌を打ち、必要ならばふざけて場を盛り上げた。そうすればだれにも何も言われないからだ。内心では一人で過ごしたかったし、誰とも話さず本を読み、勉強をしていたかった。同級生たちはそんな私の気持ちをなんとなく察していたのか、本心を私に一切話すことはなく、恋愛や将来の事などを同級生から聞いたことはない。聞きたくもなかったけれど。
「はっはっは。人がごみのようだ」
隣でそんなことを言う山吹にはそんな感情は一切わかない。それは気を使わなくてもいいと思えるほどの仲だからだろうか。それとも、山吹の裏も表もない性格に安心しているからだろうか。自分自身でよくわかっていないが、ともかく、山吹となら一緒に台湾に行くのも何一つ苦ではない。それだけは確かだ。
約三時間程して飛行機は台北へ着いた。空港を出ると、大きな道路には数多くのバイク。事故が起きていないのが不思議なほどのバイクの数が視界に飛び込んできた。
「バイク多いですねー。アジアって感じでいいですね。ここからカメラ回しますか。先輩、撮ってください」
なんでもないバイクを撮り、その中で手を振ってくれた人に手を振り返し、私たちはホテルへと着いた。またしても、二人一部屋だ。もう突っ込むのはやめよう。どうせ、経費削減なのだから。
「そういえば、明日はどの山に行くの?」
ホテルのベッドで飛び跳ねている山吹に聞いた。
「明日は七星山と象山に行こうかなって思ってます。どちらもそこまで高くない山なので気楽に登れますよ。そのあとは夜になったら夜市と九份ですね。楽しみです」
「疲れそうだね。明日の気温高いみたいだよ」
またしても疲れて倒れそうな山吹を見ることになるのだろうか。それは面白そうなのだけれど、もし、倒れてしまったら困る。今回は海外だ。症状をどう伝えたらいいのかわからない。英語で通じるのだろうか。
「倒れられたら困るから水とか持って行ってくれよ。海外で病院になんて行きたくないから」
「大丈夫ですよ。本当にそんなに高い山じゃないんで。散歩って感じです。おじいちゃんおばあちゃんでも子供でも気軽に登れる山です。ただ、そういう場所に赤い服の女の子は現れるって話なんですけどね」
ふふふ。と山吹は笑って見せた。
飛行機に乗っている間、少しだけ赤い服の女の子について調べてみたけれど、台湾ではかなり有名な話しらしく、たくさんの証言があるというのは本当だった。しかも、映像にバッチリと映っていて、実際にyoutubeで見てみると皮膚は青白く、目は灰色に濁っていた。本当にこんな化け物みたいな生物が現れたのなら、皆、走って逃げるはずだが、どうしてだか、その化け物についていって迷子になるらしい。なんとも奇妙な話だ。高齢者や子供は人間と化け物の区別もつかないというのだろうか。
「じゃあ、シャワーでも浴びてご飯食べに行きますか。ここら辺にレストランあるみたいなんで」
とりあえず、台湾を楽しむことにしよう。その夜、私たちは台湾の代表的な料理が振舞われるというレストランで食事を済ませ、ゆっくりと過ごした。明日は本当に赤い服の女の子は現れるのだろうか。見てみたい気もするけれど、怖い気もする。私はよくわからない感情のまま、眠りについた。
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天気は快晴。空の上には雲一つない青空が広がっている。台湾は日本よりも赤道に近いためか、かなり湿度が高い。立っているだけで汗が吹き出し、体から水分がなくなっていく。サウナに入っているような感覚だ。
「水ちゃんと持った?熊本の時より湿度高いよ。気を付けた方がいいよ」
山吹は目を輝かせながら「大丈夫です」言った。私はホテルを出た瞬間からカメラを回し、山吹の様子をカメラ越しに確認していた。山吹はもう赤い服の女の子に会うことしか考えていない様子で、目を輝かせている。
象山という場所に着くと、山吹はトイレに駆け込んだ。ここに来る前に水を飲みすぎたのだろうか。思えば私もかなり水を飲んだからお腹に違和感がある気がする。
「戻りましたよ」
私がトイレから戻ってきてすぐに、山吹が戻ってきた。赤い服を着て不敵な笑みを浮かべながら。
「やっぱり相手も恥ずかしいと思うんですよ。だから赤い服を着てたら出てきやすいのかなって思うんですよね。仲間意識を感じて『あなたも赤い服着てるのね。おそろいじゃない』なんて声をかけてくるかもしれないです」
「いや、人間じゃないんだから。そんな感情ないでしょ。恥ずかしいのはこっちだよ。赤ずきんちゃんみたいな女の子と歩くんだから」
「まあまあ、とりあえず歩きましょう。やってみないとわかりませんよ」
象山は山吹の言っていた通り、かなり平坦な道で、登山と言うより散歩に近かった。見晴らしもよく、人も多いから、迷うことはないだろう。こんなところで赤い服の少女が出てきたところで意味はない。人を迷子にすることなんてできないのだから。
山吹もそんなことには気づいているようで、ただただ、象山から見える台北市内を見て楽しんでいた。
「あ、すごい!先輩、あれ見てください!」
山吹が突然声を出した。視線の先にカメラを向けると、なんと、そこには山吹と同じような服を着た女の子が立っているではないか。なんとなく楽しそうな表情でこちらを見ている。
「こんにちはー。迷子?どうしたの?」
山吹がそう声をかけると、女の子はニコッと笑って山吹の服を指さした。同じ服を着ているね。ということなのだろうか。
「同じ服だね。 似合ってるよ。可愛い。お父さんとお母さんはどうしたの?」
すると、女の子は山の入口の方へ歩いて行ってしまった。その方向には案内所がある。
「おおかた両親とはぐれて案内所に行くってところじゃないかな。あそこで待ってるかもしれないし。それにしても、山吹みたいな感覚の女の子っているんだね。ビデオ回しておいてよかったよ。写真も撮ればよかった」
「何を言ってるんですか。感覚がおかしいのは先輩ですよ。こういうことをするのは好評なんですよ。ほら、見てくださいよ。現地の方々笑ってるじゃないですか」
そういえば、山吹と一緒に歩いていて、現地の人たちの視線を感じている。よく耳をすませば「モシナァ」などと言っているような気もする。写真を撮っている人もいる。
「もしかしたら私がモシナだったのかも?私はいつの間にか妖怪だったのかもしれません」
妖怪みたいな行動はいつもやってるけどね。と言いたい気持ちをぐっとこらえて私はカメラ越しに山吹を観察した。平坦な道が続いているからか、熊本の時とは違い、山吹は楽しそうに話している。汗はかなり流れているものの、それすらも楽しそうにタオルで拭って水を飲んでいた。
山吹が楽しそうならそれでいい。妖怪ではないにしろ、赤い服の女の子も出てきてくれたし、満足なのだろう。山吹の言う撮れ高がもう撮れたのだ。
「じゃあ、次は七星山に行きますか。同じ台北にあるのですぐですよ」
「え、もうこれで十分じゃない?偶然にも赤い女の子はいたんだしさ。目的は達成したようなものでしょ」
「いやいやいや、何言ってるんですか?本物を見るのが目的なんですから。それをカメラで撮る。youtubeで大バズリ。そうして初めて目的達成です」
なるほど。これは厄介だ。現実的に考えて出会うことが難しい妖怪に出会い、動画やカメラに収めなければ満足しないのか。満足しない限り、私はこうして連れ出されるのか。
「妖怪じゃなくてもいいんじゃない?普通に旅行とかの動画を投稿しても山吹ならバズると思うよ」
お願いだ。現実を見てくれ。この世には妖怪なんてものはいないんだ。誰も見たことがないんだ。科学が発達する前の日本で理解のできない現象や災害が起きたときに妖怪や神様という存在のせいにしていただけなんだ。だから化学が発達して色んな事がわかるようになった今、妖怪なんていう存在は必要がないんだ。わかっているだろう。
「妖怪がいいなー。妖怪や幽霊みたいな非科学的なものを追いたいなー」
そう言って、山吹は黙り込んだ。どうやらあまり突いてほしくない内容のようだ。電車で七星山に向かうまでの間、私たちの間には少し気まずい空気が流れていた。
「山吹はさ、なんでyoutubeやろうと思ったの?それに幽霊とか妖怪とか危険なことまでして。そんなことしなくても山吹なら顔が良いんだし、流行してるゲームとか料理とか日常の様子とか撮っておけば人気になるんじゃないの?」
youtubeで危ないことをしている人たち、いわゆる迷惑系と呼ばれている配信者はほとんどが頭が悪い人たちだ。頭を使って考えることができないから簡単に注目を浴びることをやってしまう。例えば、最近話題になったのは粉末にしたグラニュー糖を小さな袋に入れ、警察官の前で落として逃げたらどうなるか。と題した動画だ。やっていること小学生のような発想力で、公務執行妨害だが、これがとても視聴される。だから頭の悪い人たちはこぞってこういう動画を撮っては迷惑系と批判されるのだ。
しかし、山吹は違う。そもそも頭が良く、顔も可愛い。こんな馬鹿げたことをしなくても、自分の姿を映しておくだけである程度は注目される人間なのだ。
「好奇心と探求心ですかね」
「どういうこと?」
「幽霊とか妖怪って科学的に解明できてないじゃないですか。昔から霊はいると言われているけど、見えない人には見えないし、見える人には見える。それが何故なのか。呪いの市松人形や操作していないのに映るテレビなどなど、無機物が動いたり、意思を持つのは何故なのか。ロマンですよね。そういうのを解明していきたいですね。私は」
「でも、幽霊は恐怖によって人の脳が作り出した幻覚だって話もあるんだけどね」
「いや。それは絶対にないですよ。だって、幽霊は子供が良く見るじゃないですか。子供に恐怖心なんてないんですよ。子供たちは幽霊なんて存在を知らないんですから。だから恐怖心から作り出される幻覚なんてものは嘘です。幽霊はいますよ。妖怪もいます。例えば、有名なものは天狗ですね。あれはもともと人間が山に入り、体を捨てた妖怪だと言われています。そうなんですよ。妖怪ってもともとは人間なんですよ。何らかの事情があって、人間から妖怪に生まれ変わったんです。そして、人にいたずらをして笑っているんですよ。きっとそうです。だから妖怪はいます」
「そうですか」
妖怪のように語る山吹に困っていると、どうやら目的の駅に着いたようだった。七星山はそこそこ高い山らしく、象山に比べて、登山の服を着た人たちが駅のあちこちに見られる。子供や老人は少なく、健脚を自慢にしていそうな青年や中年ばかりだ。
「赤い服の女の子も絶対にいますよ。七星山は台湾の中でも遭難者が多いんです。気を付けてくださいね。じゃあ、行きましょう」
山吹は象山の時と同じく赤い服を身に纏うと意気揚々と歩みを進めた。すでに通行人からは笑われており、私は恥ずかしい気持ちでいっぱいで、距離を置いて歩きたいけど、山吹を一人にしていると何をやらかすかわからないから気持ちを押し殺して隣を歩いている。
山の入口に着くと、近くに温泉が湧いているらしく、湿度はさらに上がっていた。とめどなく流れる汗を拭いながら、山吹を見ると、同じように汗を拭っている。山吹が倒れないように私たちは少し休んで登山を開始した。
「赤い女の子どこですかー?」
登り始めてすぐに山吹はそう声に出した。周りに人がいない。道の両隣には背の高い植物が生い茂っていて、壁になっている。葉の強烈な青臭さが私をさらに疲れさせた。
「出てきてくれないかなー。お友達だよー」
遠くの方からかすかに人の話す声が聞こえた。けれど、それは男の人の大人の声で、登山客だろうというのは明白だった。女の子の声は一切しない。周りにも見えない。
「あれ?あの子?」
山吹が疲れて、声が細くなっていった頃、前の方に赤い服を着た女の子が見えた。象山でも見かけた女の子だ。前の方を歩く登山客の後ろにピッタリとくっついて歩いている。時折、その最後尾を歩いている子供と仲良さそうに話しているようだ。
「山吹。あの子。象山で見かけた子じゃない?」
「え、あ、本当だ。よかったですね。両親と会えて。登山好きなんですかねあの親子。あれ?二人でどっか行っちゃいますよ」
後ろを歩く子供と赤い女の子が二人で違う道を歩こうと両親から離れていく。子供は何の躊躇いもなく歩き、両親は気付く様子がない。
「あのー。すいませーん。ちょっとー」
おせっかいながら山吹は前の人に大声を出した。気付いた両親は後ろを振り向き、男の子が一人でどこかに行こうとしているのを発見し、手招きをして引き寄せた。赤い女の子はその時にはどこにもいなかった。私たちは思わず、カメラをチェックし、映っているのを確認するとガッツポーズをした。
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「ちょっと待ってくださいよー。なんでこんなことになってるんですかー」
私の部屋で動画を見ている山吹はケーキを食べながら大きな声を上げた。
「まあ、しょうがないよ。人は理解ができないものは否定したがるものだから」
「意味わかんないですよ。バッチリと映ってるじゃないですか。赤い服の女の子が。その女の子が途中で不自然にいなくなってるじゃないですか。これは完全に本物じゃないですか。なんでそれがわからないんですかね」
「みんな妖怪とか幽霊とか見たことがないから、信じられないんだよ。それに、冷蔵庫を勝手に開けて人のケーキを食べてる山吹の方が理解ができないよ。怖いよ。とっても」
台湾から意気揚々と帰国した私たちはその日のうちに動画を確認し、バッチリと映っていることがわかるとハイタッチをした。山吹はすぐに編集し、あらゆるSNSで「すごいものが撮れました」と予告文まで書き、視聴者たちの気持ちを煽っていた。しかし、いざ、動画を公開すると、その非現実的な映像に懐疑的なコメントが殺到したのだ。もちろん、信じてくれる人もいたけれど、それはほんの一部だ。
それだけならまだよかったのだが、恐ろしいことに、山吹の動画はSNSで拡散された。もちろん、嘘つきだという理由でだ。それ以降は目も当てられないほどの誹謗中傷がコメント欄に書き込まれ、見ている私は山吹が気の毒になってしまうほどだった。
「まあ、でも、動画の視聴回数も登録者数もかなり増えましたし、お金にはなりました。不本意ですけどね」
「それと比例してアンチも増えたけどね」
高校生の頃から、人にちやほやされてきた山吹だ。こんなに批判されることは初めてだろう。相当堪えているに違いない。心なしか頬もこけている気がするし、表情や声に元気がないように感じる。
「少し、動画投稿は休んだ方がいいんじゃない?」
動画なんて投稿しなくてはいけないものではない。SNSだってやらなければいけないわけではない。精神的に病んでしまうならネットなんて絶てばいい。わざわざ人に誹謗中傷を浴びせるような奴らに構う必要なんてないのだ。好きな人と話して好きな映画を見て好きな音楽を聴く。それだけで人生は豊かなものだから、そうしていればいい。
しかし、山吹はそんな私の提案を笑って却下した。人差し指を振り、チッチッチと舌を鳴らして、何かのドラマのモノマネでもしているかのような口ぶりで語り出した。
「注目されているからこそ投稿するんですよ。そうすれば、肯定的な意見をくれる人が満足してくれますからね。誹謗中傷してくる人に構っている時間はないんです。私は私を認めてくれる人と向き合うんですよ。先輩。甘いですね。ケーキより甘いです」
そうか。私は甘かったか。確かに言われてみれば、山吹は何か言われてもへこたれるような人間ではない。何せ、人の食べ物を勝手に食べるのだ。いくら注意しても「へへへ。ごちそうさまです」などと言って笑っているだけの人間がこのくらいでへこたれるわけがない。私が間違っていた。
「よし、じゃあ、また来週あたりにここに来ますんで。楽しみにしておいてくださいね」
「えぇ…来なくていいよ」
そう言ってみたものの、今回みたいな本物を見てしまった私は少しだけ幽霊や妖怪と呼ばれる類のものに興味が出ている。山吹一人で動かれると心配だからもう少しだけ一緒に行動してみよう。
「じゃあ、このジュース貰っていきますね。さよならー」
ここには来ないでほしいかもしれない。
夢を見た。両親とドイツのような綺麗な街並みを手をつないで歩いている。まるで映画で見るような街並みに私は忙しそうに周囲を観察していた。両親は何か話している。よく聞こえないけれど、顔は穏やかで笑っているから楽しい話しなのだろう。行き交う人々もなんだか幸せそうな表情だ。私はなんとも言えない嬉しい気持ちで満たされていた。
ふと、前方の建物を見ると、お店の前に赤い服を着た女の子が見えた。街灯に照らされているはずの女の子の顔ははっきりと見えなかったが、幸せそうな人々とは違い、その姿にははっきりと悲哀や哀愁といったようなものが見えた。
あれを見てはいけないと直感でそう感じた。私は両親の腕を引っ張り、もうちょっと早く歩こうと提案したけれど、両親は私が見えていないかのように二人でずっと歩いている。
また赤い服を着た女の子の方を見た。その子はずっとこちらを見ている。やはり表情は見えないのだが、私を見て笑っているような雰囲気はあった。両親や行き交う人達とは違う、それは幸せな感情からくるものではなく、悪い感情からくるものであろうと私は思った。
私は再び両親の腕を引っ張った。両親はやっとこちらを向き、どうしたの?と尋ねてきた。私が「早く歩こう?」と言うと、両親は言った。
「駄目だよ。あの子と仲良くしなくちゃ」
その時、私の目の前に赤い服を着た女の子が現れた。間近に見たその子の顔は山吹によく似ていた。私はなぜだか、その子と手を繋いで歩いた。