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【短編小説】苦くて甘い
諸君!紳士淑女であろう諸君らは今頃、淡い期待に胸を高鳴らせているのではないだろうか。来る十四日は日本企業がチョコを買わせるために仕組んだ人工的なイベント、バレンタインデーである。コンビニに行けば、赤や金の綺麗な包装紙に包まれたチョコが所狭しと並び、スーパーに行けば、高い値段であまり見かけない海外のチョコが特設コーナーで売られている。私たち真人間は企業の戦略とはつゆ知らず、この機会に買っておこうといつでも食べられるチョコをありがたく購入する。それがバレンタインだ。
ただ、それだけなら実になんてことない日である。一日だけチョコの消費量が増えたという人類にとってはどうでもいい日なのだ。しかし、日本企業の実に厭らしいところは、チョコを買わせるために付加価値をつけるところにある。奴らはチョコを買わせるために、バレンタインの日を女性が男性にチョコを贈る日という、いわば、告白する日にして、我らの購買意欲をとんでもなく煽ったのだ。そのため、紳士淑女である我々はこの日が近づくと、無駄に胸を高鳴らせてしまうのだ。
ここに、四人の男がいる。ぐつぐつと煮えたぎっている鍋を食べている者もいれば、騒いでいる者もいる。皆、バレンタインという日に踊らされた阿呆な人間たちである。
「なんでだよー!うおーーーー!」
坊主頭の男が叫んだ。その咆哮が炬燵や本棚や壁にぶつかって反響していく。私は咄嗟に耳をふさぎ、彼の間抜けで大きな口が閉じられたのを見て耳から手を離した。彼は咆哮が終わって力が尽きたのか、鍋の前でおいおいと泣き始めているではないか。大学生になった男が無く様子は実に滑稽で笑いたくなる。他の二人も彼を見て少し口角をあげていた。
「泣くなって。このチョコをあげるよ。ちょこっとだけな。なんちゃって」
もじゃもじゃした頭の男がにんまりした顔でチョコを鍋で占拠されている小さなテーブルの端に置いた。坊主の男はそれを見て睨み、チョコを投げ飛ばした。
「うるせぇーーー!お前からもらいたくねーんだよーーー!」
うるさいのはお前だ。チョコもお前に貰われたくもないだろう。
坊主の男はまたおいおいと泣き始めた。チョコは窓にぶつかり床に落ち、もじゃもじゃした男はにんまりとした顔で拾いに行く。それを見て私ともう一人は鍋を食べる。なんだこれは。バレンタインは紳士淑女かつ、真人間である我々にとっては幸せな日であるべきだ。少なくとも、チョコを投げ、おいおいと泣くような日ではない。
鍋からつみれを一つ取り、口に運ぶ。思い返せば、きっかけは三日ほど前にこうして鍋を食べていたころから始まっていたのである。
二月にしては暖かく星空が綺麗な日。私は小さなテーブルの上でぐつぐつと煮える鍋を前に考え事をしていた。時刻は夜の十時を回ったところだ。テレビからはどうでもいいようなニュースが流れ、窓からは綺麗な星空が見えた。ロボットでもできるような単純作業のバイトを終えたばかりの私の目に映るこれらの光景はどんな景勝地よりも綺麗に見えるものである。
近頃、私は今までにないストレスを感じていた。大学内で見知らぬ人間に指を差され笑われるのだ。時に肩を組んで話しかけてくる奴らは嘲笑交じりに一方的に大きな声で何かを言っては、困っている私を見てつまらなそうに去って行く。まるで私が悪いかのような表情をして。
間違いなく、十月に起きたハロウィンの一件が原因だ。私たち四人はハロウィンで意中の安野さんに彼氏がいたという事実を突きつけられ、妖怪のように歩いていたところを動画に取られ、ネットに晒されたのだ。それは瞬く間に広がり、不本意ながら学校の有名人になった。おそらく兵頭、摂津、佐治も同じだろう。最近会っていないから心配である。
「溝口さん。溝口さん。こんばんは。兵頭です」
不意にインターホンが鳴った。カメラを見てみると、不気味な笑顔を顔に張り付けた兵頭が立っているではないか。綺麗な星空が霞むほどの不気味さはまるで笑う骸骨。私でなかったら悲鳴を上げて警察を呼んでいたことだろう。迷惑な男である。
「帰れ。何時だと思っている」
「まあまあ、手土産にお酒とたこ焼きを買ってきたんですよ。とりあえず開けてくださりませんか。二月の夜は凍えるほど寒いんですよ」
「寒いなら帰れ。明日来い」
「溝口さん。酷いですよ。私めはもう終電もない故。溝口さんに入れてもらえないと野宿をすることになってしまいます。この気温、凍死してしまいます。いいんですか。お友達が凍死しても。幽霊として出てきてしまいますよ」
すでに幽霊のような顔をしているではないか。もしかしたら彼はもう死んでいて、何かを伝えるために私のもとに現れたのかもしれない。そう考えると家に入れてやりたい気持ちも出てきた。しかし、十中八九くだらない用事なので躊躇う気持ちもかなり大きい。
隣の部屋の住人が「うるさくない?」と言っている声が聞こえた。住んでいるのは同い年くらいの嫋やかな女性だ。彼女に嫌われるのは少しばかり気が引ける。兵頭には今すぐに帰ってもらいたい。
「帰れ。近所迷惑だぞ」
「だから、もう終電はないんですって。入れてくださいよ。お願いします。お願いしまーーーーす!!」
「静かに!」
兵頭は帰る気配がない。終電が無いと言っているから当然なのだが、このままここにいられると隣の女性に嫌われてしまう。渋々、家に招き入れると兵頭は気持ち悪い笑顔を張り付けたまま「あったかいですね」と口にした。手土産のたこ焼きと酒を私に押し付け、ソファに座るとおもむろに鍋を食べ始めた。
「ささ、たこ焼きと酒も食べて飲みましょう。今宵の出会いに乾杯」
「勝手に食べるな。何の用だ」
兵頭は何も言わず、鍋から鶏肉だけを食べ、私のために買ってきたらしい酒を飲み一息ついた。よくよく見れば、髭が生えている。坊主で無精ひげ。ホームレスのような出で立ちである。まさか、家が無くなり、しばらく泊めてほしいなどというのではないだろうか。それは絶対にごめんだ。女性と過ごすことですら抵抗がある私が、こんな汚らしい男と一緒に住めるわけがない。三日でストレスが限界値を超えるだろう。
「溝口さん。今週の金曜日。何の日だかわかりますか?」
「わからないな。ただの金曜日だ。誕生日か?」
「いえいえ、私めの誕生日なんてどうでもいいのです。来週の金曜日はバレンタインデーではありませんか」
「なるほど。無縁のイベントだな。それがどうした」
「男たるものやっぱりチョコをもらいたいわけですよ。それで、今日はどうやったらチョコを貰えるのかご教授願いたく馳せ参じました」
「いやいや。人を間違えているだろう。聞きたいなら佐治にでも聞いたらいい。あいつはおそらく虫歯になるほど貰っているぞ」
「溝口さん。知っていますよ。ハロウィンの一件以来、溝口さんには友達ができたらしいですね。女の子と普通に話すらしいですね。モテモテじゃないですか。バレンタインでチョコくらい貰えるでしょう。さあさあ、教えてくださいよ。そのために今日来たわけですから」
私がモテているわけがない。確かに、ハロウィンの一件以来、大学内で声をかけられることは増えたけれど、それは好かれているからという理由ではない。ただのおもちゃにされているだけだ。仲良くなった人間など一人もいない。だから、当然バレンタインにチョコなど貰えるわけがないのだが、欲望に駆られ、目を濁らせた兵頭には私が魅力的な人間に見えるらしい。ビンタでもして目を覚ましてやりたいものだ。
しかし、こんな夜更けにやってきたのだ。兵頭からしたらよほどチョコを貰いたいのだろう。どうせ、何を言っても帰らないのだろうし、そうとなれば、とことん付き合ってやろうではないか。
「そもそも、兵頭は誰にチョコを貰いたいんだ。安野さんはもう無理だぞ。他に好きな人でもできたか」
「それがですね。一学年上の先輩に麗しいお方がいらっしゃるんですよ。笹森さんという方なんですけれどもね。知ってますか?ショートカットで色白ですらっとしてる女性なんですけれどもね」
「そんな女性は知らん。俺が人間関係を築くのが苦手なのは知っているだろう。その笹森さんとやらにチョコがほしいですと言えばいいじゃないか」
くだらん。と酒を飲む。純米吟醸と書かれたその酒はすっきりとした飲み心地で鍋と合う。兵頭にしては良い手土産だ。
「溝口さん。それでは駄目なんですよ。チョコをくださいと言ったら男として負けなんです。あっちから渡したいと思われる人間になって、バレンタインの日に綺麗にラッピングされたチョコを恥ずかしそうに渡してもらうっていうことに意味があるんですよ。チョコをくれと言って貰ったってちっとも嬉しくはありません」
「かっこつけるな。俺たちのような路傍の石とも言える男は自分から積極的に貰いに行かない限り、女の子と目すら合わないぞ」
「それはわかってますって。だから色々考えてますし、相談に来たんですよ」
「まさか、そのために奇妙な敬語を使っているのか?」
兵頭はふひひと不気味な笑みを一層際立たせて白菜を口に運んだ。その様子はやはり骸骨が笑顔を張り付けているように見えた。
バレンタインが前日に迫った木曜日、私と兵頭は図書室で笹森さんという女性を待ち構えていた。兵頭曰く、彼女は図書館を利用する頻度が高く、図書室の端の方の席に座って小説やら調べものやらをしているらしい。兵頭がストーカーとして検挙されないのが奇跡なのだが、それはさておき、私としても笹森さんという人間には興味があった。認めたくはないが、兵頭が良いという女性は例外なく私から見ても良い女性なのだ。安野さんもそうだったが、嫋やかで朗らか。私たちのような端で固まってひそひそと好きなことで盛り上がっている妖怪のような人間にも分け隔てなく接してくれる。容姿も必要以上に気を付けているわけではなく、健康的で自然体の女性が多い。きっと、その笹森さんもそんな女性だろう。ただ、そういう女性は往々にして異性と交際しているわけだが。
「あ、来ましたよ。笹森さんです」
図書室の一角で新聞を読むふりをしている私たちはちらりと前を見た。背が高く、すらりとした足が綺麗に見えるパンツスタイル。肩くらいまである髪が綺麗に揺れ、目鼻立ちがくっきりとしたモデルのような女性が肩で風を切って堂々と歩いている。彼女が歩くところだけ、ランウェイに見えるほどだ。
まさか、あれが笹森さんだと言うのだろうか。安野さんとは真逆の容姿ではないか。お友達もさぞ綺麗だろうし、欧米とのハーフと仲が良さそうで、私たちのような暗い人見知りの純日本人など見下してそうな容姿ではないか。目が合っただけで固まってしまいそうだ。
「あれが、笹森さんか?」
「そうですよ。綺麗でしょう。あ、まさか溝口さん。ちょっと怖いなとか思ってませんか?大丈夫ですよ。彼女、あれでもすごく優しいですから。困っている私を助けてくれたんですよ。あれは…私が、ハロウィンの後で友達を作ろうとしていた時のことでした」
「簡潔に頼む」
どうやら、彼女は見かけによらず優しく頭が良いらしい。ハロウィンの件の後、不必要に笑われ、爆発しそうになっていた兵頭をかばってくれた。しかも、それから大学内ですれ違えば挨拶をして少しばかり会話をする仲になったらしい。彼女が嘲笑をするわけでもなく「あの動画見たけどほんと面白かったよ」と言って笑ってくれたことが、兵頭が好きになったきっかけだったようだ。
それだけを聞いたら確かにいい人なのだろう。私もハロウィンの件以来、名も知らぬ有象無象たちに笑われてきたが、そんな中で助けてくれる人がいたなら好きになっていたかもしれない。しかし、彼女のことを知ってまだ数カ月である。それだけで彼女を良い人と断定するのは少し早計すぎやしないか。もしかしたら陰で笑われているかもしれないし、彼女の気まぐれで優しくされただけかもしれない。何より、そんな良い人に交際相手がいないとは考えづらいのだ。
「良い人なんだろうけど、彼氏がいるんじゃないのか?」
「いませんよ。聞きました。それに友達もあまりいないと思います。笹森さんが誰かといるのを見たことがありません。だからこうやって図書室に来て本を読んでいるんですよ。ちなみに、彼女の好きなタイプは真面目で礼儀正しい人です」
だとしたら兵頭と真逆ではないか。という言葉が口から出かかったが、その言葉を必死に飲み込む。今の兵頭は骸骨が笑顔を張り付けたような顔をしていない。本当に彼女を思っているのだろう。花や赤ちゃんを見ている時のような表情だ。
「よし、ちょっくら話してきます。笹森さーーん」
周囲が少しだけざわついている。ここは図書室だから静かにするというのがマナーであり、常識だ。礼儀正しい人が好きな女性に好かれたいなら声を出すべきではないのだが、兵頭はそんなことは頭にないらしい。恋は盲目だ。その盲目さゆえに過ちを犯すのが世の常。バレンタインとはそんな日らしい。まったく恐ろしいイベントである。
バレンタイン当日。兵頭は眼鏡をかけてこなかった。どうやら笹森さんから眼鏡がない方がいいよとアドバイスを受けたらしい。これで苦学生からしゃれこうべになった。世が世なら縁起物として祀られるかもしれない。私や摂津、佐治は笑うのをこらえ、すっかりチョコを貰う気でいる兵頭を見ている。きょろきょろと目を動かしているのは笹森さんを探しているのだろう。それか、少しばかり有名になったから誰かが声をかけてくれるのを期待しているのかもしれない。しかし、講堂にいる兵頭に声をかける人はなかなかいない。
「あ、佐治くん。おはよう。チョコあげる。ハッピーバレンタイン」
「摂津君おはよう。今日もふわふわだね。チョコあげる。食べすぎちゃダメだよ」
モテるようになったらしい二人は次々にチョコを貰っていく。佐治は当然好かれるのだが、摂津も性格が良く顔は悪くない。極度のマザコンだというだけで、それさえ隠せばマスコットキャラクターのような愛される人間なのだ。貰っても不思議ではない。
兵頭はそれが気に食わないようで、今まで張り付けていた笑顔を忘れ、修行僧が修行に苦しんでいるような苦い表情をしている。しかし、私を見て気が付いたのか、また嘘くさい不気味な笑顔を作り始めた。
「すごいですね。二人とも。さぞ嬉しいでしょう。でも、歯をしっかり磨かないと駄目ですよ。虫歯になってしまいますからね。それに、お返しはちゃんとしましょうね。マナーですから」
「それが怠いんだよな。チョコなんてコンビニ行けば帰るしさぁ。そもそも甘いの好きでもないし。しかも嫌な顔もできないしさ。最悪だよ」
佐治が贅沢な悩みを吐露したとき、遠くの方で笹森さんが見えた。彼女は今日も一人で堂々と歩いている。バレンタインで浮かれている人間たちを見て「こんなことで浮かれてるなんて子供ね」と頭の中で考えているのかと思うくらいの堂々とした歩き姿だ。
彼女がこちらを向いた。すると進行方向を変えこちらに向かってきた。まさか、兵頭にチョコを渡すのか。いや、絶対にそんなことはない。しかし、そうとは言い切れない。
「あ、笹森さーーん」
兵頭が飼われている犬の如く、笹森さんに尻尾を振って駆け寄った。遠くの方にいるから会話は聞き取れないが、楽しく話している様子である。本当に笹森さんは兵頭に対して優しいようだ。物好きである。
「あれ、兵頭の友達?」
「好きな人らしい。バレンタインにチョコを貰いたいんだと言っていたな。今、まさしくチョコを貰う瞬間なのだろう」
「ふーん。あ、兵頭が敬語になって笑ってたのってそのためだった?」
「その通り。浅はかな男だろ」
「まあ、でも、兵頭らしいよな。純粋で不器用で馬鹿なところが。見ていて飽きないよな。迷惑をかける人間でもないし」
「先日、夜中に俺の家にやってきたけどな。あれは迷惑だった」
摂津、佐治とそんなことを話していると、なんと笹森さんは持っていた小柄なバッグから綺麗に包まれた小さい箱を手渡した。どうやら本当にチョコを貰ったらしい。兵頭の表情からもわかる。笑顔を忘れ驚きのあまり口を鯉のようにあんぐりと開けている。滑稽だ。あの顔の写真を撮ってやりたい。いつか、笹森さんと付き合った時にはあの顔を見せて、顔から火を噴かせてやりたいものだ。
「あ、兵頭が帰ってくるぞ。お祝いしてやるか」
「みなさん。ハッピーバレンタイン。学校が終わったら、溝口さんの家にでも行きませんか?」
「いいぞ。鍋でも食べよう」
「俺もチョコいっぱいあるし、食べきれないから皆で食べよう」
兵頭は笑っていた。しかし、口の端がぴくぴくと動いている。よく見れば頬もぴくぴくとしているではないか。幸せ過ぎておかしくなったか。
「そういえば、溝口はもらえなかったな」
「黙れ」
言わなくてもいいことを。
逃げるようにトイレに向かうと鏡に私が映った。今日のために髪を整え、新しい服を買った私はとてつもなく滑稽だ。兵頭のことなど笑えない。誰かチョコをくれないだろうか。一つくらいくれたっていいじゃないか。
日が暮れてきた頃、私たちは家に着いた。途中で鍋の食材を買った時に摂津がかごの中になんでもかんでも放り込むため少しいざこざはあったけれど、兵頭の恋が成就したとなれば些細なことだ。今なら何でも許せる気がする。佐治が私の髪型を「ダサいと思ってた」と口にしたことも、兵頭が笹森さんから貰ったチョコをずっと見せびらかしてきても、摂津が私の家に向かう途中、ずっとお母さんと連絡を取り合っていることも、すべてが許せる。許せるどころか、愉快にさえ思ってくる。
「チョコ見てみようよ。あの人の感じだとお洒落な感じのチョコなんじゃない?絶対にコンビニで売ってるような奴じゃないでしょ」
「もしかしたら手作りかもしれないよ。手作りっていいよな。市販で買ってくるよりも気持ちが伝わる気がする」
「ちょっと待ってください。皆さんは食べないのですから、楽しみにしていても仕方がないでしょう。私はきっと彼女は手作りだと思いますよ。私は知っています。彼女はそういう人です」
私が鍋の準備をしている間、三人は誕生日プレゼントを貰った子供のようにはしゃいでいた。テーブルには箱が大切に置かれている。その包み紙をそっと丁寧に取り外すと中から手紙が出てきたようだった。三人はそれを見るとさらに興奮状態になり「ラブレターじゃん」と声をあげた。まさか、笹森さんがそこまで兵頭を好きだったとは。本当に物好きな人だ。
「読んでみろよ兵頭。兵頭?」
兵頭の様子がおかしい。わなわなと唇を震わせ、やがてそれが全身に伝わっていき、寒空に晒されているのかと思わせるほどになった。
「くそーーーーーー!」
兵頭が叫んだ。佐治が思わずそのラブレターをひったくると、そこには「兵頭君へ」と達筆な文字で短い文章が書かれていた。佐治はそれを読み上げた。
「兵頭君へ。いつも楽しく話してくれてありがとうございます。私はあなたのハロウィンの動画を見たとき、本当に面白くて(あなたたちは面白いと思ってないよね。すみません)学校であなたたちを見かけるたびに笑ってしまうくらいです。実は、私は学校のパンフレットを作っているのですが、この大学はこんなに自由で面白いんですという写真を撮りたくて、あなたたちに協力してほしいのです。どうでしょうか。返事待ってます」
「それは仕事の依頼ってことかな」
「そうだな。少なくとも、恋愛感情は無いな」
「なんだ。早とちりか。くだらん」
鍋をテーブルの上に置き、取り皿と箸の準備をする。鍋の蓋を取ると部屋中に寄せ鍋の良い匂いが充満した。佐治はもう興味がなくなったのか、行儀よく炬燵に入り、鍋を食べようとしている。
「なんでだよー!うおーーー!」
「まあまあ。兵頭泣くなって。このチョコをあげるよ。ちょこっとだけな。なんちゃって」
「うるせー!お前から貰いたくねーんだよー!」
摂津が渡したチョコが宙を舞う。私と佐治を鍋を一足先に食べ始めた。つみれは少しばかり高価なものを買ったから味が濃くて美味である。
「兵頭落ち着けよ。世の中そんなに甘くないだろ。チョコだけに」
「うるせぇ!うるせぇ!これは俺のチョコだ!お前らに食わせるか!これは俺のだ!笹森さーん!美味しいですよー!」
チョコを口いっぱいに頬張った兵頭は満足そうに食べている。
「でも、彼氏がいないとか言ってたのは本当なんだろ?まだチャンスはあるじゃないか」
「礼儀正しくて真面目な人間になれるわけないだろ!ここ数日間敬語で話してただけでもストレスで爆発しそうだったんだよ!笹森さん!坊主で眼鏡はでひねくれてる男はどうですか!」
「自分の事理解してるなら直せばいいものを…」
「直せるか!これが俺だ!」
人生はチョコのように甘くはないみたいだ。