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【短編小説】なりかわり

 人間に対しての恐怖心なんて一切持ち合わせていなかった。それはたまたま容姿が良く生まれてきて、周りの人間がいつも笑顔で優しく接してくれたからかもしれない。または、悪意に触れることがなかった幼少期を過ごしてきたため、性格が捻じ曲がることもなく、人に優しく接することができて、そのたびに「鈴木君は優しいんだね」なんて褒められてきたからかもしれない。とにかく、鈴木啓太から見える人間たちは常に優しく、笑顔でポジティブな言葉ばかりを口から出している。悪意のある発言や行動をする人間などニュースでしか見たことがなかった。
 
「いや、それはかなり特殊な例だよ。普通は悪口を言うし、嫌いな人は避けるものだよ。みんなが良い人なわけないじゃん。私だって嫌いな人はいるし、避けてるよ。悪口は言わないけどね」

 髪を乾かしながら三島美玖は笑いながら言った。肩甲骨あたりまである髪の毛は乾くのに時間がかかるようで、もうずいぶん前からドライヤーの音が部屋に響いている。
 三島とは半年ほど前から交際している。学部が一緒で、一年の頃からはっきりとものを言う真面目な美人として有名だった彼女は、はっきりとした口調で鈴木に交際を申し込んできた。特に断る理由もなかった鈴木はその場で承諾して交際は始まった。交際経験のない鈴木は何をしていいのかわからず、とりあえず休日は遊んだりするのだが、三島は何の用もなしにいきなり鈴木の家に泊まりに来る。彼女が言うには、これが普通なのだそうだ。恋愛経験が豊富そうな彼女が言うのだからそうなのだろう。

「でもさ、本当に今まで嫌な人に会ったことないの?もう大学生だよ?小学校も中学校も高校も絶対に一人は嫌な人いるでしょ。関わったこともないのに嫌われてるとか、陰口言われてるとかあると思うけど」
「どうなんだろう。たぶん、いるんだろうけど、実際に悪口を聞いたこともないし、嫌なこともされたことないよ。僕の周りは皆良い人で虐めなんて一つもなかった。みんな笑顔だったな」
「嘘でしょ。そんなのありえない。たぶん、啓太の知らないところでみんな悪口言ってるよ。啓太の前で言わないだけだよ」

 三島は髪を乾かし終えたのか、顔をてらてらさせてこちらにやってきた。顔が熱で火照っているのとすっぴんなのも相まって、生まれたての赤ちゃんみたいだ。鈴木としてはそれが可愛らしくて誉め言葉として言いたいのだけれど、以前、同じこと言ったらむっとされたから胸に留めておくことにしている。

「嫌な人と言えばなんだけどさ、最近見られてる気がするんだよね。僕の近くに変な人とか見なかった?」
「え?何それストーカー?顔見たの?」

 今年度の春からだから、半年ほど前だろうか。いつもではないが、たまに見られているような視線を感じるときがある。

「いや、見てないけど、なんか視線を感じるっていうか、そんな気がするっていうか。気のせいかもしれないけど」
「もしかして幽霊?ちょっとやめてよ。眠れないじゃん」
「幽霊なのかどうなのかわからないけど、とにかく僕の周りに変な人がいるかもしれないから、なんとなく周り見ておいてよ」

 三島は聞き流すように「わかった」と携帯を見ながら呟いた。近頃、三島は携帯を一緒にいても携帯を見ていることが多い。友人の後藤にそう話してみたところ、女の子は大体そんな感じだから諦めろと言われた。三島のようなモデルをやっているような人はSNSを活用しているから特に携帯は手放せないのではないかとも言っていた。納得はできるのだが、やはり一緒にいるときは目を見て話してほしいものだ。
 
「あ、もしかしたらだけど、そのストーカー心当たりあるかも」

 三島が急に顔を上げてこちらを見た。大きな目は化粧をしていなくても見惚れるほど綺麗で、唇と頬がほんのりと紅い。いつか、同級生の女の子たちが三島のこのようなところを羨ましいと口にしていた。鈴木にはよくわからない感覚だ。

「同じ学年の斉藤っていう人がいるんだけどね。あの人、ストーカーっぽい不気味な感じだからたぶんそうだと思う。なんか前も女の子をずっと見てて気持ち悪かったって友達が言ってた」

 くだらない。ただの被害妄想じゃないか。前を見ていたらたまたま人と目が合うことなんていくらでもある。それをストーカーなどと言われるのは斉藤という人もたまったものではないだろう。可哀想に。

「ふーん。まあ、どっちにせよ。周り見てみてよ。変な人がいたら言ってほしい」

 三島はつまらなそうにまた携帯を見て「わかった」と呟いた。なんとなく見ているテレビでは女性タレントが男性の気に入らないところを口早に語っている。そんな不愉快極まりないテレビのチャンネルを変えると、三島は「見てたのに」と不満気な顔でこちらを見た。携帯を見ていたではないかと言えず、鈴木はまたチャンネルを戻し、斉藤がどんな人間なのか頭の中で考えるばかりだった。

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「斉藤君ってあの冴えない感じの人でしょ。言っちゃ悪いけど、犯罪とかしそうな感じだよね。なんていうか、雰囲気がさ。ニュースとか見ててもさ、犯罪する人って雰囲気でわかるじゃん。目とかがなんか違うっていうか。狂気を秘めてるっていうかさ。そういうのなんとなくわかるじゃん。斉藤君ってそんな感じだよね」

 後藤は机の上でペンをくるくる回しながら楽しそうに言った。ひと昔前に流行ったペン回しを得意そうに今でもやっているのは彼くらいで、失敗して大きな音立ててペンが落ちるたびに恥ずかしい思いを彼はしているが、それでも辞めないのは彼の意地みたいなものなのだろうか。

「でもさ、さすがにストーカーはないでしょ。男が男にストーカーしても意味がないじゃん。仮にやってたとしても何の意味があるんだろうって感じだよね。もしかしたらそっちなのかもしれないけど。でも、そっちだったとしてもストーカーとかしてないで堂々とすればいい話だよね。今の時代なら受け入れられると思うし」

 斉藤という男が同性を好きだったとしても困るだけだ。鈴木は異性が好きだし、何より三島という彼女がいる。三島の性格を考えれば同性愛を考えなしに拒絶するようなことはしないだろうが、それでも戸惑いはするだろう。
 
「お、噂をすれば。斉藤君だよ。」

 後藤が前の方を見て顎を動かす。視線の先を見ると、いかにも友達のいなさそうな眼鏡に無造作な髪型をした黒いチェックのシャツの中肉中背の男が下を向いて歩いていた。確かに、三島や後藤の言う通り、犯罪を犯してしまいそうな佇まいだ。罪状は好きな人に裏切られたことによる傷害致死といったところだろうか。自分より力の弱い女性に口論では負け、何も言えなくなった挙句、暴力をふるってしまうのが容易に想像できる。
 斉藤は周りに誰もいない席に素早く座ると、安堵したように息を吐いたようだった。それから落ち着いて教科書やノートを取りだし、復習しているのか眺めている。その様子は鈴木はおろか、周りの人間など全く気にしていない様子で、ストーカーなどとは全く呼べるものではなかった。

「本当にあの人がストーカー?違うんじゃない?」
「もしかしたらの話しだよ。ストーカーっぽいよねっていう話し。三島さんも、もしかしたらあの人かもってことでしょ。違うんならそれでいいじゃん。鈴木の勘違いってことで」

 確かに、今日は全く視線を感じない。もしかしたら後藤や三島の言う通り、本当に勘違いだったのかもしれない。思い返せば、最近、夜中にネットで配信されているサッカーを夜通し見ていて寝不足だった。だからありもしない視線を感じていたのかもしれない。
 授業が始まると、ディベートをするために各班五人づつに分かれた。鈴木の班には知らない女の子二人と後藤と斉藤の五人だ。後藤は斉藤と話してみようと呼んだようだった。

「よろしくお願いします」

 斉藤はとても静かであまり人の目を見なかった。しかし、話す言葉はとても的確で頭が良いことが言葉の端々に感じられた。どうやら人見知りではあるが、自分の意見をしっかり持っている優秀な人らしい。後藤の好むタイプだ。

「あいつ案外良い奴かもな」

 授業終わりに後藤は斉藤を目で追いながら言った。

「今度、ボウリング誘ってみようか。案外楽しいかもしれないぞ。自分の意見もしっかりいうタイプ。それなのに人の目を見れない人見知りっていうギャップも面白い。三島さんとか横山さんはああいうタイプ好きなんじゃないかな。俺はあんまり好きじゃないけど」
「好きじゃないんだったらなんで誘うんだよ」
「いやぁ、なんか俺の勘が言ってるんだよな。あいつは危ないって。関わったら大変なことになりそうだから関わらない方がいいって。それを確かめるためにはもうちょっと関わる必要があるんだよ」

 後藤はそう言うと、次の講義がある教室へと向かった。鈴木は次は何も予定がないため、後藤と別れた。
 後藤が言っていたけれど、鈴木自身もなんとなく斉藤に関して違和感を覚えていた。話していても本心が見えないというか、本音で話しているようには見えなかった。どこか作っているような、人に好かれるように立ち振る舞っているようなそんな感じだ。鈴木も三島も人に好かれるために自分の意見を押し殺して褒めたりすることはあるが、それとは違う。斉藤は花や草に話しかけるように人と話すのだ。相手からの反応など全く期待していないかのような口ぶりとでもいえばいいのだろうか。とにかく、違和感がある。

「あ、お疲れ。講義休み?図書室行こうよ」

 ぶらぶらと大学構内を歩いていると、三島に会った。昨日と違い、メイクをバッチリと決めて皺ひとつない卸したばかりのような綺麗な服を着ている。足の長さと綺麗さを見てもらいたいのか、パンツスタイルで異様に長い脚は漫画の登場人物を見ているようだった。

「ほら、早く歩いて。立ち止まってると邪魔だから」

 三島は体をぐいぐいと押す。少しきつい香水の匂いに思わずむせそうになりながら、鈴木は図書室へと追いやられた。
 図書室は好きだ。基本的に飲食禁止で嫌な臭いがしない。静かで騒ぐような人もいない。それぞれの世界に入り込み、楽しんでいる。鈴木も図書室にいるときは集中して本を読めるし、勉強もできる。考え事をしたいときには一番いい場所だ。

「後ろに人いたよ。たぶん斉藤君って人」

 三島は少し興奮気味に顔を近づけて言った。図書室は静かで小声で話さなければ他の利用者に不快な思いをさせる上に注意される。将来は芸能関係の仕事に就きたいと言っていた三島にとっては自分の印象が悪くなるようなことは絶対にしないのだ。

「黒のチェックシャツだった?」
「うん。黒のチャックに眼鏡の。知ってるの?」
「さっきの講義で一緒だったから話してきたよ。ちょっと不気味な人だったけど、案外普通だし、斉藤が今度ボウリングに誘ってみようとか言ってた」
「噓でしょ…普通の人なわけないでしょ。遠くから見てるんだよ?それのどこが普通なの。意味わからない。おかしいんじゃない?今だってきっと図書室のどこかにいると思う」

 三島はきょろきょろとあたりを見て「さすがにいないか」と言った。

「人見知りなんじゃない?よくいるじゃん。仲良くなりたいけど話しかけられなくて見てるだけの人」
「小学生ならね。私たちはもう大学生。今年で二十歳。仲良くなりたいなら話しかけるべきだし、遠くから見てても怖いだけだよ。啓太はよく我慢できるよね。私だったら怖くて警察か誰かに相談すると思う。変な人がいますって」

 言われてみれば確かにそうだ。今までなんとなく誰かに見られているという感覚しかなかったから我慢していたけれど、それが斉藤君だとわかったのだ。やめてくれというべきだろう。正直、見られているだけならどうだっていい。三島が怖がっているのが問題だ。
 三島と一緒に図書館を出ようとしたとき、視界に黒のチェックシャツが入り込んだ。やはり彼女の言う通り、図書室に斉藤はいた。何やら難しそうな英語が書かれている小説のようなものを読んでいる。

「すみません。斉藤君だよね。さっきの授業で一緒だった鈴木啓太です。覚えてる?」

 斉藤は声をかけられると目を見開いて口を少し開けた。視線は鈴木を見ていない。おそらく三島が汚物を見るような目で斉藤君を見ているのだ。だから驚いているのだろう。

「なんか、僕こと見てるって聞いたんだけど、本当?本当だったらどうして?」

 斉藤はやっと鈴木の方を見て少し固まった。どう言うべきか考えているのだろうか。その間が長ければ長いほど、信用はなくなる。そして怒りが増して、三島は怒り始めるだろう。それだけは勘弁だ。

「ごめんなさい。鈴木君かっこよくて。どうしたらそんな感じになれるんだろうって思ってちょっと観察してたんだ。気持ち悪かったよね」

 立ち上がり、後ろにいる三島にも頭を下げると、斉藤は足早に図書室を出て行った。読みかけの本を持って行ったから、入り口の機械が反応して司書さんに注意されている様子を見ていると、なんだか怒る気持ちもなくなってきた。最初から怒るつもりなんかなかったけど。

「案外、良い人なのかもね。コミュニケーションが苦手なだけで」

 注意される斉藤を見ながら、三島は呟いた。その顔には先ほどまで出ていた嫌悪感や不信感は薄れているような気がした。

「それにあの人、頭良いでしょ。読んでた本の文章が英語だった。英語が得意なのかな。帰国子女かもしれないね。私も英語できる方だけど、あれ見せられると英語ができますって言えないな」

 TOEICの点数や英検一級を自慢するほどの三島もさすがにすらすらと英文を読めるわけではないらしく、不思議な嫉妬心を斉藤に抱いたらしい。図書館から出るときも「もっと勉強しないと」とぶつぶつ言いながら歩いていた。

 
 一日の講義が終わった後、鈴木は仲の良い友達たちとフットサルに来ていた。大学生になってから、フットサルを始めた鈴木は気分転換に近くのコートを借りてフットサルをすることが多い。体を動かして汗を流すのも人とコミュニケーションを取るのも好きな鈴木にとっては、フットサルはいい気分転換だ。

「それでさ、斉藤君は普段何してるの?」

 後藤はあの日以来、斉藤が気になっているらしく、今日もずっと隣に座って質問攻めをしている。いくら物静かな斉藤でもこれだけ質問をされたらさすがにうんざりするだろうと見張ってはいるが、うんざりするどころか楽しそうに話している。

「本を読んだり、勉強したりかな。あとは家庭教師のバイトしてるときもある」
「あー。頭良さそうだもんね。教えてもらったら成績良くなりそう」

 三島もあの日以来、斉藤に興味を持つようになった。もともと頭の良い人や仕事のできる人に好感を持つ三島だ。英文の小説を読んでいた斉藤は彼女の中では不気味なストーカー野郎から頭の良い尊敬できる人に昇格したのだろう。
 ただ、そんなことはどうでもいい。気になるのはそこではない。後藤も三島ももともとは誰とでも仲良くする人間だ。自分に害をなすような人間ではないとわかれば容姿がどうであれ仲良くする。逆に、容姿が良くても性格が悪かったり、人間として不出来な行動をすれば簡単に離れていく。そんなわかりやすい性格だから仲良くなれたし好きになれたのだ。だから全く気にはしていない。気になるのは斉藤の服装だ。
 
「それにしてもすごいよな。練習着が鈴木と同じとは。そのチーム好きなの?」

 斉藤は海外の有名なクラブチームのレプリカユニフォームを着てきた。青と黒の縦じまのユニフォーム。鈴木が好きなチームでフットサルの時はいつも着ているユニフォームと同じだ。しかも背番号も同じ。

「気が合うね。その選手好きなんだ。俺も好きだよ」
「今日ここにきて驚いたよ。まさか鈴木君も同じチームの同じ選手が好きだなんて。この選手良いよね。なんというか、パスが芸術的にうまくてさ。あのディフェンダーとキーパーの取れない距離とスピードで相手にパスするのとかどうやってるんだろうって何回もyoutubeで見るくらいだよ」
「良いよね。バロンドール獲れないのが不思議なくらいだよ」

 斉藤はフットサルこそ下手だったが、本当にサッカーが好きなようで、笑ってプレーしていた。まるではしゃぐ子供のように、ボールを追いかけては「届かない!足が遅いのが憎い!」と叫んでいた。

「斉藤君って思ったより明るいんだな。イメージと違くて驚いたよ。警戒していて損したな」

 フットサルが終わって汗だくの後藤は鈴木の方にやってきて言った。他の友達たちも完全に心を開いたのか、斉藤に対して普通に接している。あの横山さんでさえ、話しかけているほどだ。

「横山さんが話しかけてるってことは、斉藤君に将来性があるってことだよね。あの人、容姿とか頭が悪い人とは絶対に距離置くもんね」

 だから友達がほとんどいないんだけどね。という言葉は胸に留めておいて、鈴木はこのまま斉藤と仲良くなっていいものなのかと考えていた。大学生で仲良くなって遊ぶようになるなんて普通にあることだから気にすることなんてないのだが、彼がずっとこちらを見ていたというのと、ユニフォームが同じだったというのが少し気になるのだ。
 ユニフォームが一緒になるなんてことがあるだろうか。全世界にプロサッカーチームなんて星の数ほどある。プロサッカー選手なんてもっといる。そんな中でユニフォームが一緒になるなんてことがあるだろうか。

「啓太どうしたの?」

 三島がスポーツドリンクを飲みながらやってきた。今日は髪を一本に束ね、いつも入念にセットしている前髪はどこにもない。スポーツには邪魔だからと言って、いつもこの髪型にしているが、それなら切ればいいのにと言って怒られたことがある。

「いや、斉藤君どうだった?」
「いい人なんじゃない?やっぱり言葉や態度の節々に頭の良さを感じるよね。言葉の選び方とか、所作とか。啓太も見習いなよ」
「そっか。確かに人傷つけるようなこと言わないもんね。いいよね」
「え、なに?まさか、嫉妬してるの?」
「してないよ」

 嫉妬なんてしていない。確かに三島や後藤など、皆が斉藤の周りに集まってちやほやしているのは少し気にいらないけれど、それほど気にはしていない。ただ、ユニフォームが一緒になったということが信じられないのだ。これはサッカーを知らない三島に言っても伝わらないだろう。

「可愛いところあるんだから。大丈夫だよ。私は啓太が好きだよ」

 笑う三島の後ろには皆と談笑しながら着替える斉藤の姿があった。仲良さそうに見えてもやはり何を勘がているのかわからない顔をしている。そんな不気味な斉藤から目を逸らし、鈴木は「ありがとう。照れるけど」と三島に返した。

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「今度ボウリング行こうよ。フットサルやったメンバーでさ」

 学校に新設されたカフェテリアでお昼ご飯を食べていると、後藤が何気なく言った。あまりご飯を食べない後藤は今日も体に悪そうなミルクティーを満足そうに飲んでいる。それでお腹が減ることはないのかと一度聞いた時には「俺はこれが一番いいんだよ。夜も基本的にシリアルだしね。食事に時間をかけるのが嫌なんだ」と語っていた。後藤が言うには、こういう生活をしてから病気になったことがないということだからそれでいいのだろう。

「あ、根尾さんも来ますか?面白い人いますよ」
「いいの?うれぴー」

 鈴木の隣に座る根尾渉さんは別の大学に通うフットサルを通して知り合った先輩だ。とにかく頭が良くて一年生の頃から日本の将来を背負って立つ人材なんて言われ、メディアにも取り上げられているらしい。実際にパソコンで調べてみたけれど、検索エンジンに名前を入力するだけでたくさんの情報が出てくる本当にすごい人だった。それなのに、言葉が軽く、見た目もいかにも頭の良い人という感じではない。だから鈴木や後藤たちは気兼ねなく接することができる。

「根尾さん最近暇なんですか?」
「ん?暇というか、いつも暇だよ。学校の授業はつまらないし、お金は親が払ってくれるから気にしてないし。だからこの大学に来て皆に会いに来てる。そっちの方が楽しいから」
「就活とか卒論ってどうするんですか?もう四年ですよね」
「え、そんなの簡単でしょ。論文なんていつも書いてるようなものだし、就活はしない。俺は大学院に行く。大学院で研究しながら徳川埋蔵金でも見つけるわ」
「あ、根尾さん、あれですよ面白い人。おーい、斉藤君」

 後藤が声をかけた方を振り返ると、斉藤がいた。見たことのある服を着てこちらに向かってくる。

「どうしたの?あ、初めまして斉藤です」
「今度さ、ボウリング行こうかって話ししてるんだけどどう?行くでしょ?」
「うん。行く行く。それで、こちらの方は?」
「こちらの方は根尾渉さん。東大の四年生。すごい人だよ」
「初めまして。根尾渉です。よろしく。君は、すごいね。見てわかるよ」
「おぉ。すげーじゃん。斉藤君。知らないと思うけど、この人マジですごい人なんだよ。その人にすごいって言われてるんだからもうちょっと嬉しがった方がいいよ」
「嬉しいよすごく」

 三人はそんな会話をしていただろうか。しかし、鈴木には全く会話が入ってこなかった。目の前にいる斉藤が一昨日、鈴木が着ていた服と全く同じ服を着ているのだ。何もかもが一緒だ。色違いでもない。サイズもおそらく同じだ。

「じゃあね。僕は講義があるから」

 そう言うと、斉藤は歩いて行った。それを目で追っていると、横山さんが話しかけているのが見えた。やはり、前回のフットサルで親交を深めたようだ。

「なあ、あの服、鈴木が着てた奴と同じだよな。それにバッグも同じだった。すげーな。マジで偶然こんなことってあるんだな。遺伝子レベルで好みが似てるじゃん。ほんとは生き別れた兄弟とかじゃないよね」
「違うよ。そんなわけないだろ」
「でも、あんなに一緒になることある?この前のユニフォームだって同じだったじゃん。もしかしたら好きな食べ物とか、嫌いな食べ物とかも同じ可能性あるぞ」

 あってたまるものか。そこまで一緒だったらもう似てるとかではない。同じ人間だ。生きてきた過程で分裂して違う家で育てられたとしか思えない。そんなことは絶対に起きないのだ。

「じゃあ、俺そろそろ行くわ。ちょっとやらなきゃいけないこともあるし」

 後藤はミルクティーを飲み干し、席を立った。根尾さんと鈴木は特に話すこともなく、後藤がいなくなったからカフェテリアを出ようと言うのも違う気がして、なんとなく座っていた。
 鈴木は根尾さんが時折、怖く見えるときがある。優しいし、面白くて頭もいい。しかし、色んな人間と接し、会話してきたからか、人を見る目が飛びぬけているのだ。口だけ調子良く褒めてくる人間など全く相手にしないようで、そういう人の前では愛想笑いをして、適当に話しをする。そういう人だった。

「鈴木君さ。優しいよね。すごく優しいよね。たぶんそれが人に好かれる原因でもあるんだよね。でも、優しいのって良いことじゃないんだよね。まあ、俺にはどうでもいいことだけど。じゃあね。頑張れよ少年。俺は味方だ」
 
 そう言い残して、根尾さんもカフェテリアを出た。どこに行くのか、優しくて何が悪いのだろう。良いことに決まっているではないか。なぜ、理由もないのに人に悪く接しなければいけないのだ。わけがわからない。
 一人でカフェテリアから外を見ていると、携帯に後藤から連絡が来た。どうやらボウリングは明日の夜になるらしい。グループのラインには能天気な文章が書かれていた。意味深なことを言って去って行った根尾さんも「よろぴくー」と軽い返事を短く返していた。三島や横山さんたちも来るらしい。横山さんは斉藤が来ることを知ると明らかに上機嫌そうに「楽しみ」と送ってきた。普段はスタンプだけで返事なんてしないのに。
 しばらく座っていると、講義が終わったらしく、構内を歩く人が増えてきた。鈴木は次の講義に向かうべく、カフェテリアから出ると、斉藤と後藤が仲良く談笑しながら歩いているのが見えた。遠くから見る斉藤はやはり同じ服装で不気味にしか見えなかった。

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 ボウリング場に集まった斉藤は鈴木と同じ服でもバッグでもなかった。ただ、髪の毛が少し自分と似ている気がする。ただ、鈴木の髪型は若い人ならだれでもやっているような髪型だから一緒なのかどうなのかわからない。

「あ、斉藤君、髪切ったでしょ。さっぱりしてるね。お洒落だよ」
「ありがとう。これ、駅の近くの美容院で切ったんだよね。あそこさ、内装がお洒落で、美容師さんも有名な人だから予約するの大変だったんだよね」
「駅前の近く?それって啓太と同じところじゃない?」

 三島は驚いたようにこちらを振り向いた。しかし、鈴木は会話をする気はない。どうせ同じなのだろう。服も同じだったのだから。

「マジですごいじゃん。そこまで同じになることある?面白すぎるでしょ」

 全く面白くない。何一つ愉快なことなど起きていない。服も同じ、髪型も同じ、そんな人間が目の前にいる。面白いわけがない。
 しかし、そんなことを言えるわけもなく、ボウリングは行われた。やはり斉藤は運動は苦手なようで全くピンを倒せていなかったが、周りが盛り上げ、楽しくしてくれるから目立つことなく楽しくボウリングをやれているようだった。
 それとは逆に鈴木は不機嫌な表情で人が球を投げるのを見ていた。斉藤が気に入らない。そんな斉藤と楽しそうにしている後藤や三島、横山さんも気に入らない。今まで三人にはこんな感情を抱いたことなどなかったのに、不思議だ。変わったのは三人でもなく鈴木でもない。斉藤がグループに加わったというだけだ。
 斉藤がストライクを出したらしく、三人が一段と盛り上がり、斉藤に駆け寄った。口々に「スゲーじゃん」「やっとストライク出たね」などと言っている。

「ほら、鈴木君もあの輪に入らないと。嫌われちゃうよ」

 傍観している根尾さんが言った。根尾さんはボウリングが得意なのか、ずっとストライクばかりで、それが当たり前らしく特に喜ばないで満足そうに座っている。誰かがストライクを出せば、笑顔で手を叩くくらいだ。

「いや、僕はいいです。なんか嫌なので」
「ふぅん。鈴木君、あの斉藤君が気に入らないんでしょ。わかるよ。僕も彼は嫌いだ。でも、彼は悪いことはしていないんだよ。何一つね。だから怒るのは違う。かといって、このまま見過ごしてたらもっと酷いことになりそうだ。これは難しいね。数学や医学よりも難しいかもしれない」
「どうすればいいんですかね」
「普通に注意すればいいんだよ。やってみたほうがいい。たぶんうまくはいかないと思うけれど」

 盛り上がっていた四人が戻ってきた。「鈴木ノリ悪いぞ」なんて言いながら。

「いや、斉藤君ってなんで僕の真似してんだろうねって根尾さんと話してたんだよね。正直気持ち悪いからやめてほしいんだけど」
「真似?いやいや、たまたま似ただけだろ。何言ってんだよ。嫌ならそっちが変えればいいんじゃね?別に圭太は気にしてないもんな」
「うん。まったく気にしてないし、真似もしてないよ。本当にたまたま似ちゃっただけだよ。たぶん、僕は鈴木君に憧れてたから見ているうちに似ちゃったのかも」
「いや、そんなの信じられないでしょ。それに圭太ってなに?」
「名前だよ。僕の名前は斉藤圭太だよ。知らなかったの?」
「名前まで一緒とかマジですごいよな。鈴木はなんでそんなに気に入らないんだよ。別に損することないじゃん」
「いや、なんとなく、皆だってそうでしょ。同じ服とか髪型とかしてたら気持ち悪いでしょ」
「やめてよこんな時に。啓太はもう帰っていいよ。暗いし、盛り上がんないし、いきなりこんなこと言うし。じゃあね」

 あぁ、こんなはずじゃなかったのに、なぜ、皆は斉藤の味方をするのだろう。悔しい。
 荷物をまとめてボウリング場を出るときに一度振り返ってみると、四人は鈴木などいなかったかのように盛り上がり楽しんでいた。携帯を見ると、根尾さんから「ごめん」という文章が届いていた。

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 三島と別れることになり、大学でも話すことはなくなった。横山さんも後藤とも話すことが無くなり、鈴木の周りには人がいなくなった。楽しくやれていたフットサルもメンタルが不調だからか下手になり、知らない人に舌打ちをされるようになったからもう行っていない。
 大学ではたまに斉藤を見かけることがあった。服は相変わらず鈴木が好んで着そうな服で、髪型も以前の鈴木と似ている。心なしか顔も鈴木と似ているように感じる。出会ったころの陰鬱な印象は一切なく、もともと明るく活発だったかのような印象だ。

「あ、あの人いつも一人だよね。絶対就職とかできないタイプだよ。どうするんだろうねあれ。ああいう感じにはなりたくないよね」

 どこからかそんな声が聞こえる。逃げるようにトイレに入ると、大きな鏡の前にはいつか見たことのあるような陰鬱な男が写っていた。



 

 

 

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